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はじめまして。

みなさま、ばけらったと申します。どうぞよろしくお願いいたします。

ようやくnoteを書き始めるに至りました。私がnoteを書き始めようと思ったのは、いわゆる断捨離がきっかけです。

ここ1年くらいでしょうか?私はとても死を意識するようになりました。何か悪い予感がしてならないというようなことではなく、動物として誰にでも当たり前に体験する死への意識です。半世紀以上も生きてしまうと、身体にあちこちに何かしらの不具合が出てきます。

生まれてから這う、歩く、身長が伸びる、声変わりもしくは生理が始まる、恋愛したくなる、子供を産んでみたくなる、顔のシワが増える、白髪が出てくる、ひざ関節が痛くなる、内臓がほころびてくる、血管がどろりとなる、身体の動きが機敏でなくなってくる、耳が遠くなる、記憶力が落ちる、背中が曲がる、歩けなくなる、話せなくなる、そして最後にはいずれにしろ、100%の確率で死ぬ。

ですから、いつどのタイミングでいきなり逝ってもいいように、備えておきたくなったのです。気になるのは私の身体の後始末だけでなく、書類手続きの後始末だけでなく、モノの後始末です。非常に労力がかかります。家族親戚にも迷惑をかけざるを得ません。そのために、なるべく身の回りをシンプルにしておこうと考えました。自由に使える時間もだんだん減ってゆきます。時間があるうちに。頭が混乱する前に。時間がありそうで無くなってしまう前に。そして今がその時だと。

私は物持ちが異常に良い方で、小さな頃からもらった、手紙やハガキ、ちょっとした伝言メモや贈り物の封筒、お年玉の封筒や寄せ書き、ほとんど全て保管してきました。大きな紙袋や段ボール箱やアンティークな東南アジアのボックスなど、保管場所はいくつかにまたがっていました。それらを一箇所にまとめてみると、結構大量にあります。身の回りの整理整頓で、特に大変なのはこれだなと思いました。

住所については、私は16回引越ししましたし、相手も世界各地に散らばっています。だけどそれでもプライバシーなので、住所氏名の書いてある封筒はびりびりに引き裂く必要がありますし、文章もそのまま丸ごと捨てたくはありません。だけどただ破って捨てるのではなく、最後にもう一度、全てに目を通してから捨てることにしました。

懐かしい名前がたくさんあります。書いてきた相手は当時、文字を書きはじめたばかりの子供から、そろそろ筆談は不可能だろうと思えるお年寄りまでいます。それぞれの年齢、時代、状況や受けた教育に応じて、内容もさまざまです。

当時は仲がとても良かったのに、後に喧嘩して疎遠になった人もいます。まだ文字すら読めない幼い私に宛てた、おばあさんからの手紙もあります。昔のボーイフレンドたちの手紙もあります。その時は理解しずらく斜め読みしてしまったけど、今読み返すとびっくりするような意味深な手紙を書いてくれてた、昔の同級生の手紙もあります。元夫の手紙や彼の家族からの手紙もあります。その時々に送られてきた母からの手紙もあります。どの文章も思いやりに満ち溢れた、今でも読んでて涙ぐんでしまいそうな丁寧で温かなものばかりです。今更ながら「私はこういう風にたくさん人たちに関わり続けてもらいながら、今日までやってこれたんだな」と、その時々で時間を共にしてくれた書き手の人たちに、深く感謝をしています。人との出会いや関わりによって、私は人生を豊かなものにしてもらえました。

それでも、手紙類はいつかは処分しなくてはいけません。そしてそれをするのに最も適した人間は、私しかいないのです。おざなりな処分の仕方はしたくない。じっくりと手間暇かけて書いてもらったものだからこそ、手間暇かけて最後にひとりひとりの顔を思い浮かべ、記憶を思い浮かべ、私の人生を振り返り、そうしてさよならしようと思いました。

当然ながら、さまざまな胸がキュンとする感情が沸き起こりっぱなしです。精神衛生上、全く良くありません。その手紙はハッピーでも連鎖する記憶は必ずしもハッピーだとは限りません。封印してたずっと忘れていたかった記憶が蘇ったり、逆に送り主のことをすっかり忘却してて、思い出すのに時間がかかりすぎたりもしますした。やっとやっと、見覚えのない名前の人のことを思い出した時の、すっきり感と恥ずかしさときたら!

そういった感情のあれこれ、過去のエピソード、当時の自分と今の自分の考え方の違い、などを記録しておきたくなりました。大切にすべきは、過去や未来にとらわれることではなく、現在をしっかり生きること。ですから、過去の手紙など振り返らない方がいいのかもとも思いましたが、手紙は過去に書かれたものであっても、それを読んでさまざまな思いを持つのは現在の私です。過去の手紙を媒介にして、現在の自分と向き合うこと、しかもそれは大変に濃厚な時間でもあります。だから、書かずにはいられません。むしろ書かなきゃダメなんです。

以上の理由で書くことになりますので、とても私的な内容になります。私と手紙の書き手以外の人たちには、読む必要が全くないと言えばそうなんです。単にお時間の無駄にさせてしまうかもしれません。そうしたらごめんなさい。

ただ私は、魂を削るような、もしくは魂を繕うような思いをしつつ、えぐるように書くことになるような気もしています。書いてみないとわからないし、しれーっと書くことになるかもしれないけれど。

それでもよろしければ、たまに読んでくださるととても嬉しいです。幸せでありしんどくもあるマラソンの伴走をしてくださってるような気持ちになれると思います。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。








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