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③手紙

2:30。意識が目覚める。睡眠中からそうだったんだろう。手足の血管がぎゅうっとすでに収縮している。恐怖と緊張と不安で眠れない。こんな時はいっそ起きた方がいい。そして日常の目標(古い手紙を破棄することで、生活を少しでもシンプルにすること)にごくわずかでも近づいて達成感を感じるのだ。

そう思ってまた、古い手紙の整理を始めた。あまり嵐のような感情に自分を晒すリスクは、こんな不安定な時には取りたくなかったので、まずは無難な古い年賀状の処分から始めた。そのうちに、20代前半の頃の元カレからの封筒があった。中身は、私が生まれて初めてもらった詩だった。当時は、意味がわかるようなわからないような、「これって私なの?」という感じ。単に詩をプレゼントされたっていうシチュエーションってクールだよね、アーティスティックな関わりの人生経験を積めたのかな?という、表面的な自己満足で終わっていた。

今思えば、彼も私もその程度でしかなかった。若い者同士の自己承認欲求を満たし合っただけのことだ。と、文章を読み返しても思う。彼にはそういうところがあった。自分に酔う人だった。私は特に愛されていたわけではない。人に魂レベルでとことん愛されるということを私に教えてくれたのは、肉親の他には、今のところ元夫だけだ。

文章書くのが高じて、彼は今、ライターの仕事をしている。最初は出版社の営業から編集へ。そしてフリーのライターになった。かなりはじけた内容の、彼独自のジャンルを開拓している。彼の本がちらりとアマゾン上位に食い込んだこともあったらしい。近所の大きな書店で彼の本を見かけたこともある。あれだけあそこまで書いてるのだから、相当腹括ってるようである。マイナーな世界でのメジャーな人となっていて、好奇心に満ちてクリエイティブで知的でふざけてて皮肉ってて唯一無二の強烈にアンダーグラウンドなイベントも行っている。自己実現が華々しく暴走している。趣味が爆発している。彼の現在の仕事ぶりを見て思う。あー、私はこの人と別れてよかった。あの頃にかなり近かった感性価値観が、今はこんなにもずれまくっている。今では彼も家庭を持っている。奥様を大尊敬し、相当な子煩悩だということも手にとるようにわかる。(かつては、「母親に孫の顔なんか見せてやるもんか!」なんて軽口叩いてたくせに)とてもうまくやっているようだ。人にはそれぞれ適した人が現れるんだなあと。

彼の残した詩は、過去の彼とも今の彼とも矛盾しない。自己承認欲求、ナルシズム、一見、相手のことを考えているようで、自分しか見てないナルシスト。今の彼の本の内容を見ても、あの頃のままの彼がベースにあった。

彼にはたくさんのことを教えてもらった。当時は「クロワッサン」や「マリー・クレール」という雑誌が、とてもかっこいい時代だったのだが、彼からはその感性を日常生活の中に引っぱってくることを教えてもらった。映画、小説、音楽、料理、ワインや日本酒、ファッション、フラワーアレンジメント、食器、建築、絵画、英語、旅、、、。とてもセンスのいい人だった。20代前半の多感な時期にこれらのことをカジっておくことができたのは彼のおかげだ。彼以降、そんな知識体験のおかげでどれだけ私の世界は豊かに広がったことか!その点で、私は彼と出会えてラッキーだった。そして長続きしなかったのもラッキーだった。

詩はこれだ。そのまま書いておこう。心がこもってるようでこもってない。元夫からのちょっとしたカードやメモ書きの文字の方がよほど想いが強烈だ。だけど、おそらく人生最初に(最後かも?)もらった詩ということなので、記録として。

「目がある事を 光がある事を 知ってしまう 私は呆然と立ち尽くし 震え 怯え 闇と教えられた 空白の中に うずくまる ”目が見えない”  泣き叫びながら 私はうずくまる 青黒く膨れ上がった体を 教えられる 血まみれで 机や椅子とぶつかり続ける姿を 教えらえる 眩しさもなく 影もなく 心地よかった体温の夢 なのに 私は (痛い・辛い・苦しい) ー胸が ー足が ー指先が 追いかけていたはずなのに 追い抜かれていた 時の質量に 私は侵されている ”目が見えない”  ある事さえ知らなかった 私の姿 知る事さえ知らなかった 他人の姿 私はうずくまったまま 泣き叫ぶ 今さら どんな問いを どこへ向けて 発せば良いのか 私は 泣き叫ぶ 泣き叫ぶ 今」

当時彼の目に映った私だそうだ。知らんがな。

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