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むかしの写真

いつものように実家へ顔を出す。
いつものように両親と弟が茶の間にいるが、コタツの上に何かワラワラと積もっている。確かめる間もなく、弟がニヤニヤしながら
「姉ちゃんのヤバイ写真も出てきた。今日持って帰れば?」
という。

実家では過去の写真の整理が始まっていた。
「玄関にアルバムが積んであるだろ?あれもこれから見るんだよ」
確かに、見覚えのある分厚いレトロなアルバムが積んである。
レザーや、布製や、ゴブラン織りみたいなカバーが掛かっている。
角や縁は擦り切れ、日焼けして古色蒼然という面持ち。

写真は糊付けされているから、弟はそれを一枚一枚注意深く剥がしている。両親はコタツの上に積み重なったそれらを一枚一枚確認している。
まだ生きている持ち主には返そうか、なんて言っている。
そしてほぼ半数以上(いや、もっとか)がこの世にはいない。

私のヤバイ写真は、ポケットアルバム(手のひらサイズの、ちいさなファイル式のもの)2冊だった。これ、探していたんだ。一番見られたくない人たちに見られてしまった。
大学時代に友達や、付き合っていた人と撮ったスナップや
その彼が私の下宿に来た時に撮ったもの。
げげーーーー!だ。
どびんに眼鏡をかけさせたり、ぬいぐるみを頭に乗せてバンザイしていたり、わけのわからないポーズをしている。
照れていたんだな。はしゃいでいたというか。
その頃に家から送られたと思われる、綿入りの半纏を羽織っている。
半纏deおうちデート!!

そんなことより、目を奪われるのは、背景の部屋の乱雑さ。
よくこんな部屋に彼氏を招いたものだ。物置部屋だ。あきれる。
あの頃の自分に喝を入れたい。
デートより、そっちのほうがヤバイ写真だった。


弟が毎日そばで両親を支える生活が、すでに半年以上になった。
両親は半日と目を離せないので、弟は仕事をやめ、年金を前倒しでもらうようにした。
最初のうちは弟も大変そうで、とくに父とのやりとりがストレスになるのか、体調が狂ったり、憂鬱そうだったりした。
年が変わるころからどことなく雰囲気が軽く明るくなり、冗談もよく言うようになり、両親に対しても自信をもって接しているように見えてきた。

私は週に2回行くが、弟はしょっちゅうどこかの整理をしている。台所の調味料や油、乾物を「おれは料理しないし、母さんももうできないし」と、私にくれる。賞味期限はギリギリだったりとっくに過ぎていたりするが、ありがたく使っている。
物置も少しづつ断捨離しているし、今回のアルバムの整理も、自分から始めたようだった。

考えてみれば(みなくても)両親がいなくなると、弟がこの家の一切の始末をしなくてはならないのだ。この家は彼で終わるだろう。
親戚にも、友だちにも、周囲にも、そういう家が多くなった。

アルバムの写真のほとんどが白黒だ。誰かの出征前の記念とか、温泉旅館の芸者さんとか、会社の慰安旅行の顔が豆粒みたいな集合写真とか、お祭りの人通り、嫁入り行列で一緒に歩いているご町内さんたち。
昔は町に人がいっぱいいたんだなぁ、なんておかしな感想をもった。

写真からはざわめきや笑い声や、雑多な音が聞こえてくる。
せせらぎや下駄の音、自転車のベル。オート三輪の騒音。
店先の「たばこ」や「塩」の旗。ばあちゃんの匂い。
あーあ、昭和という時代だよなぁとなつかしい。


家の整理としては、3人で上手にやっていると思う。
両親は日ごとに弱弱しくなり、日常の細かいことなどもすっかり弟頼みになった。
気の優しい弟は小さい頃から父に「頼りない」と言われ、それをかわいそうに思う母は二人の緩衝材的に気を遣ってきた。

しかしこの頃は、弟も父を説得できるまでになった。
父は子どもみたいに負けん気が強いから、それを煽らないようにうまく対応しているようだ。
母はたまにちょっとオトボケになって、父に優越感をもたせることで機嫌良く保っている。

3人の時間の中に、昔懐かしい写真や、歌や、古着などが話題を提供している。なかなかいい感じだなぁと思いながら、少しでも長くこんな時間が続くようにと願い「また来るねー」と玄関を出る。




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