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微笑みが生まれるところ

長男は気管切開していて、声が出せない。
でも今朝はにこにこしながら、声を出して笑おうとしていた。
切開してなければ「きゃっきゃっ」と笑っているような様子だった。
こんなに陽気な様子を見ることが出来て本当にありがたい。

長男の声が出ない選択をしたのは私だった。
6年前、インフルの重篤化でICUに入り、死に向かう激しい流れに流されそうになっていた時。

血液の成分バランスが崩れて用をなさなくなったと。「敗血症性ショック」という状態になった。薬が効かない状態になり、「中心静脈カテーテル術」という処置になった。

鎖骨付近の静脈からカテーテルを通し、直接、心臓静脈に薬を送るということらしい。細く蛇行する静脈にもっと細いカテーテルを通す。

翌朝早く、ドクターヘリで大学病院からドクターXがやってきて、その処置を行ってくれたので、とりあえず、一命はとりとめた。

しかしその後も、挿管や酸素マスクなどで酸素を送っても、どうしても状態が改善しない。このままだと命も危うい。
それで、気管切開をしてそこから酸素を吸入するという方法に同意した。

同意は時間を争う。これで声が聴けなくなる。しかし今それは重要ではないと思うしかなかった。

切開する前、しばし体調が落ち着き、そばに行くと声を出してこちらに何か話しかけてきた。苦しそうではなく、少し微笑みながら。

これが長男から聴く最後の声になるかも知れない。
そう思いながら、うん、うん、と目を見合わせて、聞いていた。
落ち着いた、やさしい声だった。

何を言っていたんだろうか。

耳の奥にたいせつにしまった。


体調が回復すれば、また切開部を閉じて、発声できる場合があるが
長男は普段からも嚥下機能が悪く、むせがひどく、鼻経管栄養を併用していた。それでも唾液でむせる。

痰は異物に反応して、限りなく生産されるから、むせるとどんどん増える。
喀痰も切れが悪く、またむせる。

結局、切開して日常的に痰吸引したほうが、体力的にも精神的にも、楽なのだとわかった。
よほど嚥下がうまくできるようなことがなければ、切開部を閉じる可能性はかなり低そうだった。

今後もし、酸素が必要な場合には、口に酸素マスクではなく、切開部に直接接続できると言われたのも、判断できた要因だった。


しかし、意思疎通ができないのはもとより、ただ声が出せないということが、どれだけストレスになっただろう。
切開して数年、不機嫌や異常な興奮、大暴れに苦しんだ。

またドライブ生活が始まるかと思っていたが、ドライブ中にも怒りはおさまらない。ある時、夫と私の2人がかりで(一人は吸引係)ドライブ中、どうにも収まらない興奮がつづき、窓にガンガンぶつかったり、フロントガラスに痰が飛び散ったりと、まともに座っていられないくらいに暴れたので夫が「ちょっとここで降りて」と私に言ったのだ。

ここって…ここどこ?

「どうも、お母さんがいるから暴れているみたいだから」という夫の判断だった。確かに安全に運転できる状態ではない。
でも、ここで降りて私はどうするんだ?駅もないしバス通ってるのか?

結局、そうこう言いながら、収まったりまた興奮したりと繰り返しつつ帰り着いた、なんてこともあった。
どうも、ドライブは、長男の気持ちには添わないようだった。


それからは夜の散歩が始まった。
雨が降ればガレージ内で、車いすを押しながらゆっくりと回る。
(幸い、車3台置ける広さがあって、冬以外、その車たちは外に出しておく。降雪期は2台分のスペースを空けて歩いた)

車椅子の背にiPadをくくりつけ、YouTubeの音楽を延々流し続けながら毎晩3時間の散歩だ。次男、私、夫と交代でやる。
結局、夜の外回りは危険だし夜露も悪いからと、その年の秋以降はずっとガレージになった。
夏場はシャッター全開で、まわりが雪で埋まる冬場はストーブを4台つけて、3年間、ショートステイ以外はほぼ毎日、夜の散歩は続いた。

その間はトラブルもなく、長男も不満げでもなく、落ち着いて、音楽を聞いたりウトウトしたりして過ごしていたから、その作戦は成功だったのだろう。クリスマスには、ツリーやリースを飾り、クリスマスソングを流したりした。
やがて長男は、果てしなく不機嫌に興奮してしまうということが、ぐんと減った。まるで、何かを受け入れたように。

それから今日まで、夜の時間は夫の部屋でYouTubeや、笑点、のど自慢のビデオなんかを見て過ごせるようになっている。


声も出せない。食事も胃ろうからの摂取。
発散も意思表示も、ごく基本的な楽しみもなくなってしまったが
時々、嬉しそうに笑っている。
話しかけるとニッコリ返してくれる。

小さい頃から歯磨きが好きだったが、33歳の今でも、歯を磨きながらニッコリとこちらを見上げている。(仕上げ磨きの態勢でしています)
その視線の甘さ。可愛さ。
この視線に出会うと、こちらも微笑まずにいられない。

どうしてこんな笑顔を浮かべられるんだろう。
長男の楽しいこと、嬉しいことって何だろう。
生まれてからずっと探してきた。

きっとそれは不定形で、とらえどころがないもので
ふっと偶然に、何かと何かが出会ったところに花が咲くように生まれるんだろう。

目が合ってほほ笑む。最高だな。


こういう述懐をしていると、突然、わけのわからない(こちらサイドでは)大不機嫌に見舞われたりするんだけれど。

すると私も一緒になって心臓バクバク、テンションアップしてしまって
呪いの言葉など吐くんだけど。

でもしばらくするとまた、あのあま~い、笑顔に出会ってしまって
呪いの言葉はどこへやら、私はメロメロになってしまうのだ。



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