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踏み出した


「痩せ馬を乗り潰す」という言い方があるだろうか。
ドストエフスキー『罪と罰』に、主人公のラスコーリニコフが見た夢のことが書かれていて、そこでは、老体に文字通り鞭打たれて、痩せ馬が死んでしまう。よぼよぼな馬にこれでもかと重荷を背負わせて、歩けないくらいに背負わせて、ひたすら鞭を当てる。ガクッと前脚が跪いて前のめりになった馬をさらに鞭打つ。何度読んでも、目をそむけたくなる場面だ。
貧しくて、いくら働いても生活が苦しくて、酒におぼれ、馬を虐待する農夫。小さなラスコーリニコフはそんな可哀想な馬を助けたいが、父は「帰ろう、帰ろう」とその場を去ろうとする。
ラスコーリニコフはうなされて目覚める。

数年前から、私は実家の母にこの夢を重ねてしまうようになった。
それは、娘として苦しいことだ。
ほとんどの家事を母任せにしてきた父や弟。
家族に頼むくらいなら自分でやってしまう母。
それは、まだ若いうちはできたかも知れないが、高齢になった今でもそういう習慣は変わっていない。
痩せ馬を乗り潰す気なのか!と父や弟をなじりたくなる状況なのだ。

弟は父のわがままに反感を持っていても、はっきり言えない。後から母にとばっちりが行くからだ。母は自分が黙って事を荒立てなければ、大事にはならないと、ひたすら自分が吸収している。

父は一体どういう人なんだろう。
いろいろ特技があり趣味もあって、人からも好かれて信頼されているのに、家では鬱屈して猜疑心に満ちて、人を貶めることばかり言う。
あれは自信のなさとか、自己実現感のなさからきていると思うが、どうしてだろう。自信家であり、やりたいことはやってきたはずなのに。

不安や心配事がすぐに解決できないと、あからさまに気持ちが弱り、二言目には「もう終わりだ」などと言ったり、頑なに塞ぎ込んで口もきかなくなる。
明るい気持ちの時は、冗談ばかり言っている。
その切り替わりがいきなり来るのが、母も弟も予測がつかない。「いつ地雷を踏んだんだろう?」って感じだ。

そんな毎日も、高齢化にともなって、維持できないようになっている。母は腰が曲がり筋力も落ち、台所で転んで圧迫骨折した。同じ頃弟は、帯状疱疹で、顔の右半分がお岩さんのように腫れあがってしまった。右目が塞がって運転もできず、頭痛のため動けなかった(今は治っています)。父は数年前の手術がもとで右腕、右脚がしびれ、腰の痛みもひどく、睡眠障害もある。耳も遠い。
3人がこういう状態のところに私が呼び出されていくと、父は「もうだめだ、ウチは終わりだ」などとコタツで丸くなってつぶやいている。
ムカついたので、そうだよこのままだとほんとに終わるよ、可哀想なのは弟だよ!弟のためにこのままじゃ終わらせられないからね!と、耳の遠い父にも聞こえるように、大声で言った。
「おれがどこかに行けばいいんだ」と言う。再度ムカ!まったくよくわかってるじゃないか。あなたがいなければどれだけこの家は気楽になるか。
とは、まさか言えないから「そういうことも含めて、介護の認定受けないといけないよ」と言う。

父は、こういう時にはしっかりしてくれると、私は長らく思っていた。体は思うにまかせなくても、せめて言葉だけでも、気力だけでも。しかしそれは買い被りだったかもしれない。
父の記憶を混ぜながら小説風に文章を書いているが、書けば書くほど、何が父をこのような気の小さいワガママ者にしたのか、大変な状況になるとすぐに投げやりな態度になる情けない人にしたのか、まったくもってナゾなのだ。

それはナゾなんかじゃない。
わかっている。母がいつも父をかばってきたのだ。いや、それは母には厳しい言い方かな。父を立てないと、あとで父からの言葉や態度の制裁が(それはとても冷たくて静か)辛かったからなのだ。

自分が家族からこれだけ支えられているのに、妻や息子の不調には冷たい態度をとる。俺だってあちこちが痛くて、と愚痴が始まる。
なんなんだ!この人は一体何なんだーーー!!

こんなこと書いて嫌気がさしながら、実家に昼ごはんを作りに行くと、父は寝転がっていた。明日に憂鬱な通院(母の付き添い)を控えて、すべてが嫌になっている様子。自分も体の半分がしびれて、痛くて、指が利かなくて、耳も遠くて、その状態で母の付き添いで車いすを押すのだとか言っている。

無理やろ!しかし私に「代わりに行ってくれ」とは言わない。私から言うのを待っている。私も、「私が行くよ」と喉まで出かかっている言葉を意地でも言わない。実際、明日はほかに外せない予定があって時間の調整に困っているのだ。

母の受診は骨折するずっと前の予約で、しかも慢性でかかっている内科なので、「薬がまだあるんなら行かないでもいいと思うよ、骨折してるんだからね」と私が言うと、父も母も顔がほっとしてみえた。父など声のトーンまで変わった。とはいえ、明日朝のうちに電話で確認しなくてはなるまい。

今日はこれから長男とのオンライン面会がある。
わずか10分程度だが(呼びかけて笑わせるくらいしかできることがないしね)、長男に会えると思うと気持ちがはずむ。
昨年末にオンライン面会したときは、すごく笑ってくれて、夫などは長男の好きな歌まで歌った。

それが終わったらしばらく横になって休んで、夕ご飯の準備に行く。

こんなのがいつまで続くのかな。
明後日の介護認定のための聞き取りは、どんな感じなのかな。
立ち会うのは初めてだ。

思いの丈を書いた気がする。
noteがあってよかった。
父をひどく言ったけど、まあ、取り繕う気にもならない。
自分が父親似のこともあって、厳しく書きたくなったかも知れない。
自分の親を離れて眺めると、複雑な気持ちだ。

長男の介護とは全然違う心もちで向き合って行くのだろう。
多くの人が通る道なんだと思う。
私も踏み出した。


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