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【ピリカ文庫】今日もアレレマートで 後編


アレレマートは、食品や日用品を手ごろな価格で提供するほかに、
サービスカウンターでは、クリーニング受付やハガキ・切手の取扱い、宝くじの販売などもしている。
店の外には、町なかにあまり見かけられなくなった郵便ポストもある。
幹線国道沿いなので、市内外から利用客層は広い。

今日、繭子はいつものレジ打ちと兼務で、サービスカウンターの応援に入る日だ。カウンター専任はいるのだが、あいにく誰もいない時もある。そんな時はお客がチャイムを鳴らし、繭子はすぐにそちらに移動するのだ。
レジとの兼ね合いもあり、なかなか気を張る一日だ。レジ待ちの行列に間合いができて、少し安心する。

その時ちょうど、サービスカウンターのチャイムが鳴った。見ると、若い女性が買い物袋を提げて待っていた。
「クリーニングかな?それか商品のクレーム?」と見当を着けながらそちらへ向かう。

「ご用件は?」と聞くと、女性はおずおずと袋を開けて中身を見せた。
「このペットフード、昨日買った物ですが、返品させてもらいたいんです」
「缶詰ですね。・・・3個とも大丈夫です。返品理由を聞かせていただいていいですか?」言いながら繭子は、返品報告用のメモを取り出し日付を書きつける。「レシートはありますか?」

女性は「はい」とレシートを提示してから少し言いよどんで
「あのう、少しご相談があるんです」と小さな声で切り出した。
繭子は、自分が顧客の相談を聞いてもいいのか迷ったが、ざっくり要点だけ聞いて、売り場主任に来てもらおうと思った。
「これ、うちのおばあちゃんが昨日買ってきたんです。橋口カツ子と言います。私は孫の美優です。・・・実はうち、犬はいないんです」

繭子はこの缶詰に見覚えがあると思ってはいたが、そうか、これはあの時、カツ子さんが買い物かごに入れていたものだ。
そばにいたユキエさんの「犬は飼っていないんだけどなぁ」という言葉を思い出す。

「うちのおばあちゃん、この頃少し認知症っぽくて。昔、犬を飼っていた頃に戻ることがあるんです。そういう時に買って来ちゃうみたいで。
前も間違えて買ってきて、「鯖缶と間違えた」なんて言い訳して自分で食べちゃったんです」
美優は繭子のおどろいたような表情を見て、目を伏せた。
「食べて・・・カツ子さん、おばあちゃん、大丈夫でした?」と繭子は思わず聞いた。
「あ、とくに何ともなかったですけど・・・でもあんな事が続いたら大変だし。おばあちゃん、自分が少しボケているって絶対認めないと思うし。考えたくもないだろうし」
最後は独り言になった。

美優はまた少し考えてから、思いきったように
「それで、これからも返品に来てもよろしいでしょうか?おばあちゃん、一旦は買ってくることになるけど・・・犬なんかいないからダメとは、言いたくないんです。
けど、お店にご面倒かけることになるし、ご相談しようと思って」

繭子は、美優が祖母を思う気持ちをなんとかしたいと思った。従来あまり他人のことには口を挟みたくない性格だったが、美優がカツ子の気持ちを大事に思っている様子がとても好ましく、自分の平坦な感情が温かくなるのを感じるのだった。それは繭子にとって心地よいものだった。
「わかりました。少しこちらのベンチでお待ちください」
繭子は言い置いて、売り場主任を呼びにいった。



売り場主任の神崎は、繭子より少し歳上の37歳の 女性だ。
快活で物おじしない。明朗な性格でみんなから慕われている。
繭子の取次に対して、奥の休憩室に美優を招き入れて、座って丁寧に話を聞いた。
「事情はわかりました。カツ子さんにアレレマートができることをみんなに周知してご協力します。
ですので、私からも美優さんに一つお願いがあります。美優さんの今の不安、必ずお父様にお話してください。そして、カツ子さんにも。できれば病院受診もおすすめします。認知症って薬では治りません。
でもね、味方を増やすとね、違うんですよ。」

神崎はにこりと笑った。美優の肩に手を置き、「リラーックス」と声をかけた。

「カツ子さんが1番自分のことを知りたいはずだから」神崎の最後の言葉に美優は頷いた。

繭子は、1人のお客様にこれほどまでに真摯な神崎に驚きを隠せず、美優の帰った休憩室で口を開いた。

「神崎さん、ありがとうございます。でもどうするんですか?たった1人のお客様に私達スーパーの店員が何ができるんですか?だいたい出過ぎたことになりますよね」

「あー、繭子さん。それ、みんなからも絶対言われるから、みんなの前で喋るね。あとね、アレレマートの理念わかる?」

「お客様のアレあるかしら?に応える。でしたよね。」

品揃えが自慢である。

「他には?」

「お客様の、アレ?こんなに安いの?を引き出すですか?」

地元で1番安く安全な食品をお手元に。と広告にある。

「だね。じゃあ、他には?」

繭子は思い浮かばず黙り込んだ。神崎は、

「繭子さん、明日の朝会で答え合わせしよう」そう言い残し店に戻った。

翌日の朝会で、神崎は美優からデータでもらったカツ子さんの写真をみんなに回覧していった。

「こちらのお客様、橋口カツ子さんは最近思い違いや物忘れがおありで、不要なお買い物をされることが増えているそうです」

「ご家族は3人。犬はいませんし、実母を看取られ気持ちがどこか不安定なことも記憶に影響しているかもしれません」

「レジで、あれっ?と思うものがあれば、小さい声で手招きして囁いてください。カツ子さん、これ明日安売りですよ。と。そして、できるならばご本人の同意の元、こちらにお預かりしてください。」

パートの山田さんが手を挙げた。

「そこまでしなくてはなりませんか?認知症のお年寄りなんて沢山いるのに。」

「ごもっともです、山田さん。でも、沢山いるから1人からはじめましょうよ。アレレマートは、アレレに寄り添うスーパーです。お客様の、アレレ?元気がないかな。アレレ?お困りかな。生活に寄り添うスーパーは、そうあるべきが会社の理念。
カツ子さんの、アレレ、ほっとけませんよね」

神崎の言葉に、山田さんは口をつぐんだ。スーパーはただものを売るだけではない。スーパーは、地域の生きるを支えているんだ。繭子は急に自分の仕事が誇り高く思えた。

あの日以降、レジでカツ子に耳打ちすると、カツ子は大抵教えてくれてありがとうといい、繭子に返却をお願いした。
カツ子は、人の親切を無碍にはできない人だった。

レジでの耳打ちのみならず、売り場の店員はカツ子を見かけると、挨拶を交わし、「あれ、それ、明後日特売ですよ」などと言ってくれてカゴがいっぱいになる買い物はなくなった。美優と来ることも増えた。

美優は神崎の助言を受けて、自分の不安や想いを父と祖母に打ち明けたと、繭子に教えてくれた。

「父は、祖母に病院に行こうと声をかけて仕事を休んでくれました。祖母は、美優を不幸せにはしないと言って、ボケはね、早期治療と生きがいだから。と張り切って、自分でケアマネさんを頼んでました。私の不安はなんだったんですかね」と笑った。

カツ子さんはアレレマートを愛していると思っていたが、今、相思相愛かもな。と繭子は密かに思っている。



今日もアレレマートは、たくさんの買い物客でにぎわっている。
「申し訳ありません、こちらは少し色が変わってしまってます。お取替しますね」
繭子は、レジを通す前にキウイの変色を見つけ、売り場店員に無線連絡して、替えを持ってきてもらう。

レジを打ちながら、今日もカツ子と美優の姿を見つけて、元気そうでほっとする。そんな自分を少し変わったなと感じる。
カツ子と美優はなにやら笑顔で話しながら、売り場を行き来している。カゴはもうすぐ山盛りになりそうだ。しかし構うことなく、美優はカツ子が指さすものを入れて行く。

美優は、レジが混んでいないタイミングをみて、最後尾に着く。今日も2人がレジ前までやってきた。
「美優、これ調べてね」
カツ子がニコニコと美優に言う。買い物の最終的な判断は、美優に任せると決めたのだ。
美優は「五十嵐さん、お願いします」というと、繭子が差し出したカラの買い物かごに、多すぎるものやいらないものを分けて入れた。

カツ子は、品物がチェックされるのを大人しく眺めていたが、ふと思いついたように大きな声で
「その靴下カバーはばあちゃんの!」と口走った。
カツ子の大きな声に慌てた美優が思わず
「おばあちゃん、あけみばあちゃんは、」と言いかけると、繭子はそれにかぶせて内緒話をするように、カツ子に向かってささやいた。
「この靴下カバーね、季節外れ品で土曜日に半額になるから、待ってた方がいいかもね」
カツ子は繭子と美優を順々に見て、わかったというようにニッコリした。

繭子は自分が少し変わったと思っていたが、それは買い物に来るお客さんたちへの自分の態度だと気が付いた。
今まではとにかく、一日の自分の仕事をちゃんとやることしか考えていなかった。売り場で何かトラブルがあろうが、お客からのクレームがあろうが、直接自分の仕事でなければ、淡々と事務的に処理していた。
しかしこの頃は、お客や売り場をよく見るようになっているなと思う。

アレレマートの「地域の生活に寄り添う」という理念。それは単に安く売ればいいということではもちろんないし、ニコニコ接客すればいいというのでもない。
「お客様のアレレ?をほっとかない」
いつかの朝会で主任の神崎が言っていた言葉が、ずっと耳に残っているのだ。その時感じた、この仕事への誇り。
視線も気持ちも、ぐっと引きしまる気がする。

「あれ?なんかいつもと違う」を素通りしてしまわないこと。それは「いつも」を知っているからできることなんだ。
繭子はお客さんの「いつも」を知りたいために、意識して売り場の様子を眺めるようになっていた。


閉店時間に近づいた。
今日、繭子は遅い勤務で、もう9時に近かった。飼い猫の茶々丸がお腹をすかせて待っている。遅出の日は少しフードの時間をずらしてはいるが、やはりずっと留守番している茶々丸のもとへ急ぎたくなる。

ロッカーへ向かおうとすると、左手奥の総菜コーナーに見覚えのある姿があった。
「あれは、ひょっとして、航?」
頭の中が真っ白になった。それから我に返り、少し胸が痛んだ。

離婚して3年。お互いに「嫌い」という感情で別れたわけではなかった。
結婚生活はお互いあまり細かく干渉せず、それはそれで居心地がいい面はあったが、やがてだんだん相手に期待することもなくなっていった。子どもを介した接点もなく、お互いの距離は開いて行くばかりだった。

航はもともと颯爽とした雰囲気ではなかったが、今見るその姿に繭子はとまどった。あの別れた頃ともどこか違う。
なんとなく小さくなった?痩せた?身綺麗なほうだったのに、髪の毛もなんだかガサついて見える。

「繭子といても寂しい」と言った航。
あれから3年の間、どうしていたんだろう。何を思って過ごしたんだろう。
一人だった?寂しかった?
買い物かごをぶら下げた後ろ姿が、だんだん離れて行く。

気づかないふりをしてもいいのに、と思いながら、今の自分の中から湧き出てくる思いに抗えず、繭子は航に声を掛けた。



終わり





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