見出し画像

すーんはできない

4月から始まった朝ドラ『虎に翼』で
主人公の母親や兄嫁、一緒に学ぶ主婦が
本心を隠して「すーん」としているという場面がある。

あの「すーん」の時の心の渦巻きには共感しきりである。
でもすぐ態度や顔に出やすい私にとって、「すーん」で持ち堪えるのは至難の業だなぁとも思う。

「今日は雨が降って散歩に行けないだろう?」
マル太郎の排泄から戻り、汚れた脚を拭いている私に義母が言う。
私は聞こえないふりをした。
やっとこさの「すーん」である。

つい一昨日も、外でマルと日向ぼっこしていたら、二階の窓から
「散歩かい」と呼び掛けるので、またかと思いながら
「目が見えないんだから、散歩はできないよ」と答える。
「ええっ、目が見えない!?」と来る。
知ってるはずだよ。もう何度も説明してきたよ。
こんな切ないことを何度も説明させられる。

義母は毎日生まれ変わるみたいに、何でも忘れる。
昨日生まれたみたいに「ええ!?そうなの?」「へぇ!?」と
大げさに反応する。
老化もあるが、もともと忘れっぽい性質でもある。
ものを人に尋ねておきながら話を聞いていない。
何度も同じことを聞いてくる。
あまりに頻繁だと、とぼけているのかと、ムカムカしてくる。
そういう自分がまた腹立たしい。
とぼけてなんかいないのだ。あれが天然なのだ。

ありがたいことに、義母は鉄の心臓を持つ。
機能的にも感度のほうも。
私の悪い態度も忘れてしまう。気づかないふりもできる。
「寛大」な対応なのかもしれない。

ああ、意地悪なこと言ってる(笑)

私はどこまでひねくれられるか。
どこまで意地悪くなれるか。
実験されているような気がしてくる。
これも被害妄想的かもしれないけど。

苦手な人には感謝しましょうと教会で言っていた。
自分の悪い所を自覚し悔い改めるために、神様が出会わせてくれたんだと。
たしかに、義母と応対していると自分の嫌なところ、今まで見たことのなかった黒い心が
これでもかと生まれてくる。

そんなことには、過ぎ去ってからしか感謝できないよと素直じゃない私は思う。
それでもいいよと神様は言うかもしれないけど。
過ぎてからわかるありがたみはある。
真っただ中では、感謝のかの字もないけれど。

義母にしてみれば、私なんかはまだ若僧なんだろう。
ふくれているけど、虫の居所が悪いんだな。
まあ明日になれば、おいしいものでも食べれば、ケロっと忘れるさ。
くらいに、高をくくられているのかも知れない。

だからあんまり深追いしないで、ここに吐き出して
明日はご期待通りにケロっとしていよう。
いつも同じようなことでふくれる自分も、なんだか大人げない気がしている。私にとって見過ごせない事も、義母にしたらささいなことだろう。
空回りなだけだ。

ここまで書いてきて思った、「すーん」は、体に悪い。
体のどこかを無理させてる。
吐き出してケロっと。こっちのほうが体にはいい。

それにしてもですが
いつも吐き出させてもらってありがとうございます<(_ _)>




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?