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「続かない」の続き〈りさ子 春〉

りさ子は、2歳になる長男の稔を背負い、4歳の長女の一美の手を引きながら、実家の店先に立った。
実家は山森屋といって、この界隈で、先代から食料品や雑貨を扱っている。

店先で深呼吸する。家から歩いて30分ほどだが、この前来たのは正月だったから、それから半年近く過ぎている。
タバコ、果物、乾物の雑多な匂い。時々、奥で調理している惣菜の揚げ物の匂い。

「りさ子さん、お帰り。ボクちゃん名前何だっけ?」
店員のむっちゃんが威勢よく話しかける。
「みのる」
口数の少なさを補うようにニッコリわらって、りさ子はこたえる。

山森屋の昼前は、買い物客と、配達に出る店員とで目まぐるしく動いている。りさ子が毎日乗っていた配達の自転車に、むっちゃんがテキパキと荷物を積んでいる。
「あの自転車、今はむっちゃんが使っているのか」
りさ子が実家で御用聞きや配達をしていた頃、むっちゃんは新入りの店員だった。自転車に乗れなくて、リヤカーで近場に醤油の空き瓶などを運搬していた。

「これなに?」と手をつないている一美が見上げる。
透明なプラスチックの円筒形の箱に、きらきらと赤や黄色が映っている。
商店の店先は、幼い子どもにはおもちゃ箱のようだ。
「飴だよ。帰りに1本引いて行こうね」
と答える。
子ども向けに置いている、クジの飴玉だった。小さな三角形で、イチゴやレモンやメロンの飴玉にタコ糸が付いていて、5円払って、どれか1本引っ張るのだ。

調理室の横を通ってつき当りに、住居への内玄関がある。
「来たよ」と言いながら入る。
「りさ子。来るなら電話くれたらいいのに。
ほらほら、一美、上がって上がって。りさ子も稔、降ろして」
母が忙しげに声をかけた。

実母はりさ子が7歳で病死し、この母は3人目の継母だ。
後妻を迎えては、病気がちで去られたり、病死したりした。今の母はしっかりと山森屋を切りまわしている。

母はりさ子にお茶を淹れ、ふかし芋を添えた。
「私はこれから調理室に入るね。お芋が残っててよかった。ゆっくりしといで。一美、稔、お芋食べてね。おいしいよ」
白い三角巾を被りながら、せかせかと出て行った。

声を聞きつけて、奥からりさ子の祖母が顔を出した。祖母は早くに母を亡くした孫のりさ子が不憫で心配で、可愛くてならない。
目を細めて順々にひ孫たちを眺めていたが、りさ子に目を留めると「何かあったかい?」と聞いた。りさ子は、祖母にはやっぱりわかるんだなと思った。
「大したことじゃないよ」
無心にふかし芋をほおばる稔の食べこぼしを拾う。

「達夫さんとはうまく行ってるのかい?」
祖母が聞くと、りさ子はうーんと考えて、
「多分ね。たまに怒られるけど、達夫さんひょうきんだし」と笑う。
「でも、お父さんの前ではあんまりふざけない」
「まあ、そりゃそうだろう。清吉さんは冗談言うような人でもなさそうだし。達夫さんは母親のシマさんに似たかね」
「時々、仕事の帰りにね、こっそりチョコレートなんか買ってきて、夜一緒に食べるんだよ。どこかから紅茶なんか出してきて。紅茶どこにしまっているんだろう。そういう時は楽しい。」

りさ子は日中、姑のシマと二人になる。シマは縫物が好きで、よく綿入れ着物や布団を作る。その手伝いが、慣れないりさ子には大変なのだった。
古い着物や布団をほどき、布を洗って糊付けする。それをまた着物や布団に仕立てていく。綿を詰める作業など、一日がかりだ。
何事にも手が早く気が短いシマは、ゆっくり調子のりさ子をもどかしげに眺める。ときどき「りっちゃんは暗がりから引っ張り出した牛みたいだわね」と、冗談めかして言うが、その目が笑っていない。

もっと子どもを叱れという。
「りっちゃんはいつも、はいはい、はいはい、言ってばっかりで困る。もっとちゃんと子どもを叱らないと」
時々、りさ子に聞こえるように一美を叱っている。ちらちらとりさ子を見て「こうやって叱るものだよ」とでもいうように。りさ子はそれが辛い。
子どもを叱る基準が、シマとは全然違うような気がする。なぜ叱るのかわからない、でもうまく言えない。口ごたえはできない。

心にはたくさんの場面が浮かぶが、それをうまく言葉にできない。言葉を探すうちに、店はどうだの、弟はちゃんと手伝っているかだの、都会へ行った次兄の消息だのに話は流れて、夕刻が迫ってくる。
「お前はただ、達夫さんや家の人の言うことを聞いていればいいんだよ。それがお前のためでもあるからね」
帰り際、祖母はりさ子に言った。

ずっと、そう言われてきた。お前はいい子にしているんだよ。それがお前のため。
早くに母を亡くし、3人もの継母を迎えてきた家族には、いざこざも多かった。長兄や次兄は、よく父と衝突した。今の母は気が強く口も達者で、父は口下手だったから、収拾がつかなくなり、りさ子ははらはらし通しだった。
祖母の部屋に避難すると、いつも言われた。おまえだけは、いい子にしているんだよ。口ごたえしないこと。それがお前のため。

祖母はいつでもりさ子の隠れ家になってくれた。それはほっとできる場所だった。しかし、言葉を呑み込んでばかりいたら、シマからは、子どもも叱れないようでは云々、と言われる。暗がりから引っ張り出した牛みたいだと言われる。それも、はいと肯くしかない。
「どうしたらいいかわからない」
夕暮れ近い帰り道をたどりながら、りさ子は小さくため息をつく。今日は何しに実家へ行ったんだろう。何を期待して行ったんだろう。

家の近くにある空き地で、積んであるブロックに腰掛けた。一美は、クジのイチゴ色の飴玉をひもでぶらぶらさせて、日に透かして眺めている。稔は背中で眠ってしまった。シマが時計を見て待っていると思うと心は急くが、りさ子も、赤い飴玉が揺れるのをじっと眺めていた。

つづく




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