見出し画像

「はいよろこんで」の意味を知りたい

こっちのけんと「はいよろこんで」がYouTubeチャートの1位を走っていて、3000万再生に届くのではという勢いです。

私は彼を知りませんでしたが、MVのかねひさ和哉の動画はよく見ていたので、なんだか自分事のようにうれしい気持ちがあります。

そしてMVと歌詞の考察合戦が盛り上がっていますが、歌詞全体を通してなかなか難解だなと感じたので、私が感じた意味を文章にまとめてみました

これは「私がこの曲から受け取ったメッセージ」として読んでいただけたらありがたいです。


--
喜んで引き受けていたことが
いつの間にか嫌になる

正義の顔をしたとても面倒なこと
そんなの押しつけないで
言っても分からないならシャットアウト

喜んで引き受けていたことが
いつの間にかとても嫌な義務になる

そしてまたフラッシュバックするんだ
あの嫌なことが
地獄のような響きとともに

でもまた嫌なことを思い出したら
次は正気に返って
堂々とSOSを出そう

ぎりぎりなら何も気にせず叫べばいい
ぎりぎりなら何も気にせず助けを求めればいい

あなたの苦しみを普通にすればいい
馬鹿げた他人の主張など見なければいい
一見正しい話なんて薄っぺらいもの
次は正気に返って
堂々とSOSを出そう

何かにイラついても態度にすら出せない
自分はそんなダメ人間
「それは欠点じゃなくて長所だよ」
その励ましで踏み止まれるほど単純でもない

そしてまたフラッシュバックするんだ
あの嫌なことが
地獄のような響きとともに

でもまた嫌なことを思い出したら
次は正気に返って
ここから思い切り逃げ出せばいい
自分の感情に身を任せればいい
そう、SOSを叫んでも
「心配ないさ」

ぎりぎりなら何も気にせず叫べばいい
ぎりぎりなら何も気にせず助けを求めればいい
--


私はここまで書いて、正直言って涙が出そうになりました。

みんなにとって必要だ、自分がそれをやるべきだと思ってやってきたことが、誰かにとってはただの踏み台でしかなかったと分かった時の悔しさ。

正しそうな姿をしたやっかいなことを巧妙に弱い人に押しつけるのがうまい奴らが上に行く。
その下でただ石を積んでは崩されてを繰り返していただけだとようやく気づいたバカな自分。
みじめさのあまり、周囲の慰めや同情を受け入れることすらできない。

でも勇気のない自分は、苦しくても「苦しい」と言うことができない。
本当につらいときは誰かにすがることもできないほど弱っているから…

この曲は、そんなぎりぎりの人に向けた応援歌のように聴こえます。


「正常性バイアス」という言葉がありますが、つらくてもう無理っていう「正常じゃない」事態であると自分が認めることができず、「助けて」という言葉さえ言えない、という苦しみを超えてみようと言っています。

コンプラやら何やらでもう何も言えない今の空気をひたすら読んで耐えて疲弊するより、叫べばいい、わがままでいい、逃げればいい。

昭和の懐かしいアニメーションが、良くも悪くもそんな歪な空気のなかったかつての時代を思い出させてくれます。

結局大事なのは、あなたが正しいかどうかではなく、あなたがしたいように生きることである、と私は受け取りました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?