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人の狂気に寄り沿えるのが芸能か

世間にオタクが完全に認知された今ですが、オタク的な心情というのは昔からある種の狂気をはらんでいると私は思います。

昭和のおたくは、それがディープであればあるほど、世間から離れて自分の好きなものと心中しなければいけない肩身の狭さがありました。

まだ「マニア」と呼んでもらえるような、「収集」「模型」などの趣味はともかく、「アニメ」「アイドル」「ゲーム」などは違いました。

特にアニメ、アイドル趣味が、年下の異性への興味と結びつくと、決して明るい場所では見せびらかしてはならないものとして徹底的に迫害されていたように思います。


しかし平成のいつの頃か、オタクという呼称の意味が変化し、自分の趣味に対して本音でこだわる人というような、明らかにポジティブな扱いに変わりました。

それによりオタクというものが公言できる存在になり、今では若い人の中に、オタクにあこがれる?という逆転現象すら起きています。

しかしそのような世間の変化とともに、憧れられる側の心理にも変化が起きているのではないかと感じます。
簡単に言うと、アーティストやクリエイター、芸能に生きる人々から狂気が減っているのではないか、ということです。

最近、コンプラやポリコレの大波に洗われて素行の不審な芸能人やアーティストが表舞台からかなり姿を消し、それに代わり常識があり世間を乱さないタレントが増えているように思います。

しかし私は、心に何かの狂気を抱え挙動や言動が少々行き過ぎていても、それを超える唯一無二の才能があるタレントが大好きなので、そういった人がこの波に耐えて生き残ってほしいと思います。


柊キライというアーティストを知っていますか


私はボカロ系のアーティストも楽曲もそれほど詳しくはないのですが、ボーカロイドというテクノロジーが出現したころから、音楽好きとしての好奇心で動向を追っていました。

最初は人のボーカルの代替としてPCで簡単に作れる手軽さが受けていたようですが、初音ミクなどの登場で個性を打ち出すことが出来るようになり、人の代替ではなく積極的に選ばれるものになっていきました。

ただし一般的には、やはり人の代替、またはアニメキャラと同じような存在として理解されていると感じます。
しかし私の中で、最近その印象を変えた作品があります。


柊キライ|ボッカデラベリタ

Adoがカバーした「ラブカ?」でも知られている柊(ひいらぎ)キライですが、2019年から今も斬新な作品を発表し続けています。
特長は、非常に独特で個性的な歌詞と音の世界で、従来の音楽の評価軸には乗せられないため、まだ正しく評価されていないと思います。

MVも含めての印象として、従来の音楽に柊キライ氏のメッセージを載せたものではなく、言葉と音とビジュアルが一体的にメッセージを構成していて、ボカロもその要素のひとつとなっています。

本物の人の声ではなく積極的にボーカロイドを選んでいる、ボカロでなければいけない音楽が生まれたと思いました。

激しすぎて老若男女が口ずさむことは絶対にない、これだけの特異な音楽表現がまだあったことに驚きます。


逆にボカロにあこがれるリアルなアーティスト


面白いのは、最初は人の代替だったボカロ曲をリアルな歌い手が歌い、それをYouTubeなどで公開し拡散するというループが出来ていることです。

先ほどのAdoだけでなく多くのアーティストやアマチュアの人がその流れに参加していますが、これは、オタクの人々が好きな作品を崇拝し、それが高じて二次創作をしている姿と同じです。

さらにいうと、偏見かもしれませんがボカロ曲には心に闇を抱える題材が多いように見えます。
ボカロ曲という形態がなぜか作者の心の奥底を映し出しやすいので、結果としてそういう曲が多くなっているだけかも知れませんが。

そういった、図らずも表出してしまった狂気や真に迫る表現に憧れ、寄り沿いたいという素直なオタク的感情が、多くの人をボカロ曲に向かわせていると思います。



齊藤京子は、正統派アイドル日向坂46のセンターでありながら、さらに個性的な歌唱力があり、柊キライの「ラブカ?」を先日行われた超パーティ2022で披露していました。

上の動画は以前にMTVのライブで同じ曲を歌った映像です。

私は、彼女のようなメジャーなカテゴリのタレントがこのような高難度ボカロ曲を懸命にカバーしている姿に、非常にいい意味で、その作品が好きすぎて歌わないわけにはいかないという(オタク的な)衝動を感じます。

彼女に限らず、そういった狂気に寄り沿っていける勇気と才能がある人が、芸能の世界で人を引き付けられると思いますし、私はそういう人を応援したいと思います。



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