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3年通ったカウンセリングも無駄になる程、私の鬱を溶かした幼馴染の一言

5年ぶりくらいに再開した友達は、20代引きこもりの私にこう言った

「吉永ちゃんは「これが欲しい」が、いえない子だったよね」

この言葉のおかげで今の私があり

今私は生きています


私はかつて、いい子なろうとしてなれませんでした

いつもなにかとケチをつけて笑う親を

「いい子」になって見返したかった

だけど、高校を卒業して、名前を書けば入れる大学に

結局、奨学金は借る勇気がなく親のお金で入って

一年であっけなく中退

そのまま引きこもりになった私を救ってくれたのは、その海外に留学中の友達でした



高校まではそれなりに努力が報われる世界で、いい子になる方法として、とりあえず平均点を取れていた私

大学進学の時に、必ず通る自己PR文がどうしても書けなくて言えなくて

ハッタリだろうと事実だろうと自分のいいところなんて何もなくて

私は自己PRを書かなくていい大学に行き

中退して高卒のニートになった

何もしたいこともなく

生きているだけで迷惑だと感じていたとき、

その幼馴染が、留学中のアメリカの家に呼んでくれた

私はその時、うつ病で、薬も飲んでいたし

眠れないから睡眠導入剤も飲んでいた

行く前にそのことは何も伝えてなかったけど

何も聞かれなかったし

日本にいる時みたいに、私を腫物扱いする人もいなかった

だけど、アメリカでも学業とバイトで忙しいその子とは正反対に

私は相変わらず引きこもっていた

アメリカくんだりまでいって、引きこもっていたけど

ある日、その子とルームメイトが、

山に星空を見に行くから一緒に行こうと誘ってくれた

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砂漠の山は木がなくて

車を止めてエンジンを止めて、窓から見える夜空は

満天どころの騒ぎではない、息が詰まって、痛いほどの星空だった

そこで、ぽつりと友達が言ったのがさっきの言葉

何の前触れもなく

なんの脈絡もなく

急に

一瞬星空に語り掛けているんじゃないかってくらい何気なく

「…吉永ちゃんは、「これが欲しい」が言えない子だったよね…」

その子は、日本にいるときはかなりマイペースで、少し間違えると自己中といわれるような子だった

とてもおっちょこちょいで

いつも私が世話を焼いていて

ちょうど、矢沢あいのNANAの

ナナとハチの様だった(かなり美化ですが)

家族ぐるみの付き合いがあったけど

迷子になるのはいつもその子だから

同じ年の私がいつもその子の保護者みたいになっていた

そう思っていたけど…

ただ単に、

その子は、自分がやりたいことをちゃんとできる子だったんだ

行きたいところへ行き(迷子)

興味がある方に行き(迷子)

誰かと何かを分け合うとき、これが欲しいという(自己主張)

だから周りの反対を押し切って今アメリカで一人、学んで働いて

「生きている」

とてもうらやましかったし

とてもかっこよかった

その子が私にかけた言葉の真意は当時わからなくて

どうせ自分なんて。という考えしかなかったから

「言えなかった子」という部分が

「できない子」という風に一瞬変換された

「これが欲しい」って言っていた気がするし

自己主張もしていたつもりだった

だから自分はわがままな子だと思っていた

だけど、「え?どういう意味?」ということに関しては答えは返ってこなかったけど

記憶があいまいだけど、その子が私に気が付かせてくれたのはこういうことだった

「いつも我慢してたんだよ。

いつも誰かの後に選んでいたし、

いつも誰かのために我慢してたんじゃない?

さっきだって私が寒いって言ったら自分の上着を貸してくれた。

いつも私が先になんでも選んでいたし、

吉永ちゃんはもっとわがままになってもよかったんよきっと」

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私は、これ以上自分はわがままになってはいけないと思っていたし

一人っ子なのにしっかりものねと言われるのがうれしかったし

わがままを言わなければ親に文句を言われないと知っていた


これが正しいと思っていたし、

これが普通だと思っていた


だけど、ずっと思ってた

ずっと我慢してきたのに

ずっと「いいこと」をすれば神様がみてくれて

いい行いは報われて

悪い行いは自分に返ってくるって信じてた

だから、がんばったのに

頑張ったのに、報われなかった


「だれも」わかってくれないし

「だれも」私を救ってくれないし

誰かに助けを求めたところで、全部自分が悪いんだから意味がない

って思ってた

だけど、その友達のその一言で

「私のことをわかってくれる人がこの世にいたこと」

「私が我慢していたことを知ってくれている人がこの世にいたこと」

それがわかった時

すべてが報われた気がしました

そして、誰も私を救ってくれないんじゃなくて

「私が」私を救ってあげようとしていなかったんだと知りました

もっと、自分がどうしたいのか

どうしてそうしたいのか

それを考えるようになれるといいんだと

後々ですが気が付かせてくれた

その友達は命の恩人です

ほかのエピソードもブログに書いてますのでよろしければ(宣伝)

生きる価値のないニートから生きる価値のあるニートに変身した瞬間の話を読む

#あの会話をきっかけに

【おまけ】

その友達のエピソードは他にもあるのでいつか書く予定です

内容は、アメリカで一緒に心理テストをしたとき

みんなでバーベキューをしました

あなたにとってどちらが大切ですか?みたいな質問がありました

・自分が楽しかったかどうかを大切にする

・みんなが楽しかったかどうかを大切にする

これ、この二つの違いわかります?

私は当時、この二つ違いがわからなくて選べなかったんです

は?って思うかもしれないけど、これもまた人生を変えた話なので

書きたいと思っています

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