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未熟と成熟の狭間で見つける『幸せな地獄』

浦井のりひろ(敬称略)は才能の塊である。
改めてそれを肌で感じた80分だった。


昨年行われた『浦井が一人と「話」が三つ』…浦井さんの演技力を余す事なく堪能できる、大変に素敵な公演だったが、今年もちょうど一年の時を経て二度目の開催が決まり、嬉しさ溢るる。

前回と同様に、今回も三つの話と、舞台上には浦井さんが一人。

目に見える限りでは。

視覚で捉えることは叶わないが、浦井さん演じるキャラクターという実像のフィルターを通して相手の姿をぼんやりとイメージし、その人物との対話により、相手の声までも聞こえてきそうな三本だったように思う。三つある話のうち一つを除けば、ほんの少しの効果音はあるものの、BGMすら無い舞台の上で、一人演じる浦井さんの長台詞とその一挙手一投足に惹き込まれ、目を離さずにはいられない。
そして本編が終わった直後、頭に浮かんだ言葉は何故か『破綻』と『再生』という二つの言葉だった。
「何言ってんの?」と思われるかもしれないが、わたし自身が一番「何言ってんの?」と思っているのであなたのその認識は正しい。bioにも書いてあるとおり、わたしは『頭がおかしな人』なので、よくあることだと思ってくだされば幸い。
おそらく、三つの話で感じ取ったものの断片に過ぎないだろうし、全てに共通しているものではないと思う。

今回の脚本はテニスコートの神谷圭介さんにダウ90000の蓮見翔さん。
そして、浦井さん御本人。
神谷さんと蓮見さんの脚本では、描かれる男女の関係性にもそれぞれに年輪が見えて、それぞれにとても好きだった。

テニスコートは以前、配信でコントフォルト『かに道楽エビ全滅』という公演を拝見したことがある。お笑いのライブ公演等を見る様になったのが巣篭もり需要高まったこの2、3年なので、割と最近の公演となってしまい若干申し訳ない気持ちはあるが、大人な空気感が漂い、毒や風刺もありでとっても好みの世界観だったと記憶している。
余談だが、その時使われてた東京塩麹というバンドの楽曲がまた凄く良くて、今でも時折聴いている。

最近は『画餅(えもち)』というソロプロジェクトが結構気になっている(リンクは∞ホールの公式Twitter参照)

ダウ90000は昨年末の『仁丹天丼丸三角』に足を運んだ際に観たバーカウンターのコントがとんでもなく強烈に残っている。あのコントを観た時は「コレ海外でも通じるんじゃないか?」と本気で思ったし、とんでもない人達がまた現れたものだなと思った。蓮見さんは最近だとラブレターズの単独公演のコントでも脚本を書いたりしていて、これまた好きな感じ。

浦井さんは…前回公演終了後に時折話に聞くとある出来事がきっかけで、今回脚本を書くに至ったという経緯があるようだが、ある意味そういう部分を見抜いていたから、当の本人はあえて言ったのではないかとなんとなく思っている…普通にプロレスやりたかっただけなのかもしれんから違う気もするけれど、ちゃんと同期の人達のそういう部分は見抜いていそうな気もしている。
『月刊芸人』や『てんどん記』のコラム、映画作品へ寄せたコメント等に目を通すと、浦井さんは言葉の選び方が綺麗で、とても文才ある方だなと思うし、そういった部分は芝居のマイムや所作などにも直結しているような気もしている。数えるほどではあるがピンネタも何本か観て面白いと思っていたし、個人的には割と好きなものも多い(「犬見て〜」のヤツがマジで好きすぎてだね)
そういった一面も見ている分、普段であれば男性ブランコとして平井さんが紡ぐ物語の中で、様々なキャラクターを演じている浦井さんが、20代の蓮見さんと40代の神谷さん…その間の世代で生きる30代の浦井さんが15分の話を書くと、どういった物語が出来上がるのか本当に楽しみだった。

そして結論から言わせてもらうと、冒頭の2行に帰結することとなる。
本当に才能の塊すぎるのよ。

今回、あえてアーカイブを観ずに、初見の記憶だけを辿りながら感想を書いていくことにした。
蓮見さんの脚本は、御本人のnoteに公開されているので、若干引用する事はあるかもしれないけれど、アーカイブ観ながら書いたら、最近の感じだと下手したら某音楽雑誌の10000字インタビュー並に文字数溢れるなと思ったので。
これからは少しボリュームダウンさせて書いていく事も考えようと思う。お暇な時に目を通して頂き暇つぶし程度になるならば幸いです。


なんだかそういう空気を醸してから始まる冒頭からの

………違うよ?

これ絶対(に脚本書いたの)神谷さんじゃん。

…そう思ったのと、絶妙な間からのこのひと言で思わず爆笑してしまった(案の定、神谷さんだった)、明転してから数秒ほどのスパイスが抜群に効きすぎている。
前回のマツモトクラブさんの脚本然り、浦井さんと程良きエロティシズムの親和性の高さなんなんdぁ違ったエロではないんだった(幕間参照)

この神谷さんの【VR】という話、浦井さん演じる男の職業柄、出てくるワード(人柱とか)なんかが、自分が好んで観る事があるような書籍や映像作品の空気感や狂気を孕んでいて、その時点で「これはおそらく、大分好きな話だぞ」と思ったし、結末を見守りながらニヤニヤしていた。
VRの内容も、ここ最近の休日に観ていた『サイバーパンク:エッジランナーズ』の冒頭の場面を想起させられたが(視点的な意味で)、職業柄(いや癖か)とはいえ自分でそれを作っているというのはあまりにクレイジー。
そんなアブノーマルな所ある彼にも、傍に居てくれる人の存在はあるわけで…えっちなVR見てると思い呆れ返り(まあこの話の場合ある意味そうではあると思うんだが)、荷物をまとめて出て行こうとする彼女に対し、誤解を解きたいのに墓穴を掘りまくってる様にしか見えず…思春期に見たあんな夢の話を淡々とされたらそらキm…失礼、そら荷物纏めたくなる気持ちも分からなくはない。

彼女をテーブルへとエスコートする時の腰に添えているであろう手や、テーブルを挟んで彼女の手を握ったりするマイムを目にして、そこに彼女の姿はないのにそこに存在しているのだと思ってしまう。毎度細やかだなと思う。
そしてVRやってる間に相手が部屋を出て行くのは定石ですよね…マジでエロティシズムとの親和性たkエロじゃないって(2回目)

最後、部屋を出てまで彼女の事を追いかけずに、VR機を手にした時、それは諦めだったのか、彼女よりも快楽を優先させたのかどっちなのだろう(後日、アーカイブを観てみたら思いっきり後者だった件について)
2次元の女の子に没頭するあまり、3次元では呆れられて相手に捨てられてしまい2次元に還る様な、そんな感じなのかね…彼の場合、快楽の対象がどうもソレでアレなんだけれど。


今回は浦井さんの口上ではなく、少し前に期間限定で公開していた前回公演のプレミア公開の感じの延長なのか前置きが書かれていたり、全体的にクラシカルな感じのOP映像。映像に合わせた音楽も軽快なピアノが効いていてすごく好きだった。
そして前回の幕間VTRは自己紹介的なものだったので、今回はどうするんだろうとずっと考えていたが、脚本提供した神谷さん・蓮見さんと、浦井さんがそれぞれサシで3分間トークをするというもの。
…これちゃんと話聞きたすぎた。

「ここからこの話は面白くなっていくのですが…」と、まるで講談の物語に惹き込まれていたところに耳に飛び込んでくる結びの言葉の如く、神谷さんの時も蓮見さんの時も、めちゃくちゃ話のキモになるであろう部分を聞きたいという所で、無情にも制限時間終了のアラームが鳴る…3分という時間は、絶妙に掘り下げられなくて、絶妙に良い時間設定だなと思う。
話の先を聞いてみたいとは思うけれど、これも余白のひとつと捉えて色々な方向から物語を見つめていったら、見えなかった何かが見えてくるかもしれないから、それはそれで良いのか、とも思ってしまった。

ただ、もしそういった機会があるのであれば、是非お話を聞いてみたいとは思うけれど(ご都合主義すぎる)

因みに、神谷さんとのトークの時に出ていた気がするVRのコントというのはこれだろうか…VR走馬灯…(思い出し笑いする)


そうね、恋人が居ない部屋って…広いよね…と、電話でのやりとりに耳を傾けながら【広くなった部屋の中で】というタイトルを思い返す。
序盤で色々湧き上がった謎の数々と中盤でのサイコスリラー的展開の答え合わせ、そして彼女との結末がどうなるか分からなくて凄く面白かった。須藤と紗季の電話でのやりとりの端々に、「なんとなくだけどこの二人、20代後半とかそのくらいなんだろうな」と思う空気を自分の中では感じた(あくまで自分の中での話なので異論は認める)
公演後、前述した蓮見さんがnoteに公開している台本に目を通してみて、「よくこんなに膨大な量のセリフを頭に入れておく事が出来るな」と、震えたし若干引いている。後に削った上で結果20分くらいやっていたと知り、実際にやった以上の事を頭に入れていたと考えたら凄過ぎるだろ…などと思ってしまい更に引いた。本当に凄すぎて。
そのくらいずっと、浦井さんはほぼ喋りっぱなしだった(頭の中の記憶を辿ってみた感じ噛んでない気もしている)

主人公の須藤、色々と可愛らしい人だねと思ったり…彼が挙げてた紗季の人物像の様な女性とも合う気がして、好きになるのもなんか分かる。
別れを切り出した側なのに未練はあって…でも好きな所沢山あるのに、嫌な所とか不安な所が一つ浮きすぎて、相手の事信じられなくなっていく気持ち分かるなぁ。ア◯ウェイやってる友達居る様だったら尚更(紗季本人は分からないけれど)
「ヤリマンがすごい本読むことかっこいい」
「欲しい物リスト公開してる女は信用できない」
とか結構パワーワードだよなぁと思いつつ、周りの流行にそこまで興味がない身としては、今そういう感じなのかとも思ったり。

須藤と紗季、気が済むまで喧嘩した後に、よりが戻ってると良いね。

余談。
never young beach久しぶりに聴きましたが、『お別れの歌』良い歌ですね。


「(男性ブランコは)色がないのが色。何者にもなれるって事やから、それは強みやろ」

『栗鼠のセンチメンタル』という単独ライブを行う少し前に、すゑひろがりずの南條さんが御二方にこう伝えていた事がある(細かい部分は記憶違いがあるかもしれないが、要約すると多分合ってる)…わたしの中でこの言葉は、御二方の事を的確に言い表しているなと思ったし、今でも強く印象に残っているし、そう思っている。

浦井さんが書いた【手品】という話は、喫茶店のマスター(代理)である主人公が、一見さんのお客に打ち明ける-前述したそんな言葉を思い出す様な-話から始まった。

脚本の事は『浦井の枕もと』の方で都度話して下さっていたが、その度にネタを書く方達に対する敬意を口にしていた。そんな浦井さんが描く主人公は、陽キャを除けば何者にもなれるのに、だけど実際は何もできないくらいとても不器用で(喫茶店のマスターなのにドリップする素振りが無かったのはそういう事ね)、故になんとなくどこか自信なさげで。
そんな打ち明け話を聞いていくうちに、この物語はたぶんラストシーンまで、浦井さん御自身のこれから先も続いていく、ある意味自叙的な物語なのだろうと勝手に思う(ほらボク頭おかしいからさ)
「こういう感じの人に見えるでしょ?」と聞かれたら、実際そう見えてしまったり溶け込めたりするのは、浦井さんにとっての強みだよなと常に思う。纏っている空気感は別として。

力強い握手をされ、喜びが溢れるのが見えたりするあのマイムも良かったな…手品の練習をする場面では、テーブルの上に今回のビジュアルで使われていたモチーフであるトランプ、一輪の薔薇、ハットが全て揃っていたり(ここから【手品】にしようと考えたのだろうか)…途中、トランプを切る時にカードが一枚テーブルにハラリと落ちたけれど(おそらく偶然)、アレも男の不器用さが際立ってて良かったな。

あと自分の過去の宣材イジるのやめてもらっていいですか笑、不意打ちでデカデカと映し出されたのでめちゃくちゃ笑ってしまった。

ラストシーンで、「僕は何に見えますか?」と男が眼鏡を外し問いかけ、「何者でもない」と返ってきたあの場面が凄く印象的だった。
「幸せな地獄」という言葉もなんか残っていて。浦井さん御自身が、今その場所に立っている感覚があるからこそ出てきた言葉なのかなとも感じた…この話はあくまでフィクションだから、真意は分からないけれど。

何者にもなれるのに本番まで(そして、おそらく本番でさえも)何も出来ず、トランプを切る事さえ辿々しかった不器用な男が、最後の最後では手品をちゃんと成功させていて、わたしはその時ただ舞台を観ていただけなのに、肩にビリッとしたモノが走っていくのを感じていた。肩こりとかそういう事じゃなく、感情が動いて電気が走るような、そんな感覚だった。この感覚は一生忘れないと思う。

…彼の未来に輝かしい光があらん事を。


至極私事な話だが、今年の春まで30代だった。そして誕生日を迎え、40歳となった。
もう若いといえる年齢ではなくなってくるし、だからという理由だけで少しはしゃいだりすると馬鹿にされたりすることもある。声を大にして「これが好き」と誇れる事も20代の頃からほとんど無いし、基本的に物事にやる気が無く、なんとなく生きてきたから、これといったキャリアやスキルも持ち合わせていない。今から人生の実になる様な何かを身に付けたとて、それが今後活きるのかも分からないという不安もある。

何者にもなれるのに何もできなくて、それ故に半分人生を諦めている様に感じた【手品】の主人公の姿に、自分を重ねてしまった部分が少なからずあった。
でも彼が口にしていた「幸せな地獄」を今から探してみても遅くはないのかなと思えた。

彼が「幸せな地獄」を見つけた時、またどこかで会えるだろうか。


今回も凄く良い公演だった。
またいつもと違う側面を魅せてくれる三つの話だった。おそらくアーカイブが終わってしまったら久しぶりに空虚感の様な感覚が襲ってくるだろうと思う。『浦井が一人』ロス…たまにはそんなのも良いか。

芝居が出来て時にアイドルにもなれて、
手先も器用で文才があって、
こんな素敵な話まで書くことができる。

やっぱり浦井のりひろ(敬称略)というお笑い芸人は、とても魅力的な才能を秘めている人なのだと思ってしまう80分だった。

また一年後に期待して(も良いですよね…?)、こんな素敵な公演が開催される事を祈って。

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