我、コントという名のとびだす絵本を体感す

※内容に触れておりますので配信を観てからどうぞ。


年末だ。
2023年も昨年に続き、この時期がやってきた。
男性ブランコの博物館コントライブ『嗚呼、けろけろ』が配信された。

今回のキービジュアルは網代幸介さん。
不勉強が故、失礼ながら存じ上げず、書籍が無いかと調べるなどした。

「とても好きな世界観の絵を描かれる方だなあ」という印象を抱いた。
『てがみがきたな きしししし』の表紙絵に心惹かれる。そして改めてキービジュアルを目にし、一番初めに思ったのは「なんだか”百鬼夜行”感あるなぁ」だった(おそらく骨格標本の所為)

過去に目にしていたキービジュアルには割と視覚的な意味で余白があったように思う。今回は開催場所が国立科学博物館とあり、現存する・しないにかかわらず、様々な生き物(もしくはそうであったもの)がひしめき合い、骨格のみとなった男性ブランコa.k.a骨格ブランコに物珍しいような視線を向けているように映った(あくまで個人的な印象)

全くもって想像できん。
彼等なりの『ナイトミュージアム』のような物語が観られるというのだろうか(あんなにドタバタせんとは思うが)…などと、想像を膨らませていたし、昨年配信された『トワイライト水族館』同様、配信で観て楽しめる仕様になっているので楽しみにしていて欲しいという、チームの方々からのお声がワクワクを加速させる。12月にも入ってない時点で「配信はよ」となっていた(やってすらいないが)


そして蓋を開けてみれば、擦り切れていた心に、とても温かく、やさしいなにかがホワリと灯ったコントライブだった。

どれだけ頑張っても上手くいかない日々が続き心が荒んだ帰り道、立ち寄ったいつもの定食屋で、寡黙な店主から何も言わず、静かに差し出された程良い大きさのにぎりめしを口に運んだ瞬間に溢れ出す感情の様なものが自分の中で湧いた。

変な比喩を用いてしまったかもしれないが、そのくらいのやさしさを今回のコントライブには感じた。物語だけでなく、映像も音楽も、照明も、すべてが温もりの様なものに包まれているように思えた。


ー今自分が目にしていた場所は博物館であったはずなのに、浦井さん演じる学者先生が登場した瞬間から、膨大な生き物の資料が集められた彼の研究室へと変わる…物語は舞台に現れた彼がこちらに語りかけるところから始まる。
さながら、テーマパークで見るアドベンチャー系アトラクションの様だ。

今回のコントライブにあるこの温もりは、前回サンシャイン水族館で行われたコントライブともまた違う、幼い頃に触れたなにかに似ていた。
視聴後、出先で「あの感覚、なんだろうな」と振り返っていた中で、「なんだか絵本みたいだったなあ。もし手に取ることが出来る形でこの物語が存在していたならば、我が子に読み聞かせたいなぁ」という想いがふと浮かんだ(子ども居らんけど)

…なるほど、「ご家族で是非」と仰っていたのも合点がいった…絵本だ。
いつも観る彼等のコントライブは「映画的だったなあ」と感じることが多かったのだが、語弊を恐れずに書くと今回はそれが無かった。
そう感じたのは、今までになかったデザインのキービジュアルと、物語に登場した未知の生命体【ニョロリーニ】の存在が大きいのだと思う。

「あれ~、この子ここでも見かけたし、あそこでも見かけたなぁ」と思いながら、配信視聴前に公式X(Twitter)のポストを眺めていた。この子には以前から出会っていたけれど、たしかにこの子がどういう存在なのかをわたしは知らない。

今回はそんなニョロリーニ出生の秘密を突き止める旅。

出会いのシーンへと回想する時のモタつきが好きだし、普段は紳士的な立ち振る舞いだけれど、ド直球で「キメェ…」と思わず素でシンプルひどい事言っちゃう学者先生、人間味がある。そして、流暢に学者先生と会話できている辺り、ニョロリーニは結構素直な子なのだろうと想像する。

旅の始まりを告げる学者先生の「気をつけて、楽しんで」がすごく好きだった…オンヲアダデカエス目 タヨラレタラウレシイ科のいきもの…なかなかにレアな存在を保護してらっしゃる(タヨラレタラスコシコマル科も存在していることに後で気が付く)


毎度思うけれど、OPとED、幕間の映像がとにかく良い。自分の中では男性ブランコのコントライブを観る楽しみのひとつでもある。
OPの中で出てきた、某機動戦士系アニメに出てくる戦艦を模したカメの骨格(宇宙船だろうか…?)、反転した『Danbla』という文字が施されていたのも、その船内でワクワクしてそうな骨格ブランコも含めて個人的にツボだった。余白がある中にも、冒険のはじまりに触れた時の高揚感が、胸の中でスッと手を差し伸べてくれる様なOPの音楽、凄く好きだ。OPの最後の部分で彼等の音声が入っているような気がして、サンプリング元もほんのちょっぴり気になった。幕間で紹介されるカカリノモノ達の姿や生態も、自分の中にある「好き」をくすぐられる。


様々ないきものが眠っている種類森と呼ばれる場所…博物館には、こんなに壮観な展示があるのだなあとシンプルに思う。
(失礼ながら上京して15年近く経つものの、美術館には行けど博物館に足を運んだことが無かったことに気が付き調べたのですが、今回の場所は地球館だったんですね)

学者先生は森守さんが現れなかったら、あれずっとやってるつもりだったのだろうか…笑、そして森守さんは威厳がありそうに見えるけど、怒りを露わにする時だけ語彙力消失しちゃうの笑ってしまう…そんな、使い物を”やっさん”みたいに探さんといて…(メガネメガネ…)
この場面、客席も参加型になっていて、当日観覧された方々は自分たちもこの旅の一員なのだと感じていたのかもしれないなあと想像する。

余談だけど、森守さんの道案内聞いてたら、途中から江ノ島に居るのかもしれないと思ってしまった。


浦島伝説というのは実際にあるらしい。
神奈川の方にそういった言い伝えを伝播する石碑やゆかりの場所も存在している…が、ここでニョロリーニが出会うのは浦島太郎ではない。亀救という男だ。亀を困らせていた存在を追い払った人物が出てくるが、それは浦島ではなく亀救だ。
亀救とニョロリーニが出会った海、個人的にはうっすらとデジャヴを感じたのと同時に、昔海に潜る場面では『アビス』という映画を少し思い出した(脱線が確定しているので内容は割愛)

亀救がニョロリーニに事の経緯を端折って聞く会話の
〇〇ハムスターバムスター
なるほど察した!
のテンポの良さがすごく好き。
言質(顔質)を取ろうとする亀救の感じに急にちょっとチャラい感じが出た所でフフフっとなる。けど、言質取る事はお互いの為に大事。
銭の為とはいえ亀困らせを追い払ったり、乙姫から金銭巻き上げるとか掻っ攫っていくとかじゃなくて、壊した壁を修繕しようとしてたりちゃんと仕事探してたりしてて、律儀な男だよなあ亀救って。
そして『歩く知識塊』こと乙姫…乙姫と書いて「おつひめ」、衣装が綺麗だったなあ。空に居るのが「おとひめ」だからこっちは「おつひめ」になったのだろうか、それとも「おつかれ」の「おつ」…?幕間の解説を読んだ感じ、独特な舞を踊るだけであって苦手というわけではないのね。

舞とは。

弱ってるニョロリーニを見て「だいぶ乙な状態」って、モンハンかなと思いながら「おつおつおつおつ…」と画面越しに念を送ってみると、ちょっぴり楽しかった。

ていうか、開けてもいい玉手箱なんてあったんだな。
自分が幼い頃は「この箱は決して開けてはいけません」と教えられてきたから、乙姫はニョロリーニのきれいな心を見抜いていたのかもしれない(そういうことじゃないと思う)

……ところで体幹大学 体幹学部ってどこにあるんでしょうか。
もし何処かにあるのだとしたら、通ってみたい次第(体幹弱子)


玉手箱を探して開けて中身を見る場面が個人的にかなりお気に入りだった。
その箱から古書感皆無なめちゃくちゃキング〇ムなバインダーが出てくるのも好きだし、全てに取り込まれそうになった学者先生の場面もとても好きだった。ピラミッド建設の本当の理由気になるがな。
この時出てきた学者先生の「大丈夫さ。こんな気まずさくらい、一人で受け止める」という台詞が心に残っている。

そして、ニョロリーニの正体が判明した瞬間、「ぉあぁぁぁぁぁぁそうきたかあぁぁぁぁぁ」と自分の中でコネクトした。だから『祝祭的な』だったのかとも思う。
うん?しかし待てよ?鱗粉撒いてたよな…?とプロローグを振り返り思ったが、現実的な視点で見れば目にしたことが無い想像上の生き物だ、鱗粉撒く子が居たっていいじゃないか。
書かれていることに納得いかず引いてるニョロリーニにちょっと笑ったけれど、幼体と成体の外見に大きな違いがあるが故、虐げられた主人公の物語なら童話にも存在しているし、ありえない話ではないのだと思う。
そして、冒頭に書いた「絵本のようだ」と感じたのは、ラストの学者先生の独白だった。何でも簡単に知ることが出来てしまうことの怖さを諭してくれる辺りにそれを感じたのだと思う。
ニョロリーニからのさよならが聞こえなかったのは、これから共に一年歩んでいくからなのだろうと勝手に思っている。最後の咆哮が実はさよならでしたとかだったらちょっと嫌だけど。

EDでのびのびと空を泳いでるニョロリーニがとてもよかったなあ。


心中吐露

※このnoteは中の人の個人的な記録も兼ねており、ここからは誰にも打ち明けられずにいた気持ちを、ただただ表に吐き出したかっただけのものです。
配信の感想は上記までで終わっており、こちらはあくまで個人の記録として書き記しているだけにすぎませんので、読まずにバックして頂いて大丈夫です。

冒頭にも書いたが、この作品の温かさに触れ、実のところ涙した。
なんとなくだけど、どういう形であれ、現在の自分の心情に寄り添ってくれているのではないかと思ってしまう。

そんな気持ちを彼等のコントライブを観る度に抱いてしまう。

今回の冬は、今までにない位に気持ちが落ち込んでいる。
落ち込んでいる…そう、現在進行形である。

別段、仕事が慌ただしかったわけでも、冬の寒さから来ているもの…というわけでもなく。はたまた一度経験済のそういうやつ…というわけでもないと思う。

2023年の年末以降、いつもとはちょいとばかし心持ちが違う。

情報を辿れば様々出てくるので、理由はあえて書かない。

そんな最中だった事もあり、今回『嗚呼、けろけろ』を視聴しようか、正直少し迷っていた。

勿論、配信が始まる日を公演が行われる前から心待ちにしていたのは事実だ。なんせ平井さんがずっと口にしていた、彼等が実現させたかった事が2023年もまたひとつ叶ったのだから。

ただ、それ以上に葛藤せざるを得ない出来事を、その数週間後わたしは注視していた。

迷いもありつつ、最終的には配信チケットを購入し視聴することを選んだ。

自覚はなかったが気付かぬうちに疲弊し、少し現実逃避をしたかったのかもしれない。

まだどこか他人事なのかもしれない。

そんな事を考えながらも、自分の中で今ある日常を過ごすことを選択した。

結果、彼等のコントが今回もまた自分の心に寄り添ってくれた。
本当に温かかった。




世界中がこの物語の様に、やさしさで溢れたら良いのに。

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