恐竜元年:始まりの三日間の物語

16:タツマとユェズと棗(なつ)と蒔(まき)

「おはようございます」
今では慣れた朝の下宿の食堂に、ユェズとタツマは現れていた。他の者達はすでに出ているらしく、二列ある食卓の一つはきれいに片付いている。奥の厨房から湯の沸き立つ音と白い蒸気が見え、働いているのだろう棗(なつ)の居場所を教えていた。独りいた蒔(まき)はいつもの落ち着きがない動きで朝食に手をつけていて、二人を見つけるなり手を振り、頬張ったまま前に座れと合図。
「おはよう、蒔(まき)」
タツマが挨拶をするのと、蒔(まき)が咀嚼を飲み込むのは同時だった。
「やぁ、今日からだろ? タツマ」
タツマは腰掛けると真中に据えられた皿の蒸し団子に手を伸ばす。
「ああ」
そして見回し
「ハセとベナートは?」
「あー、今日は韻様の屋敷に出仕の日、早く出てったよ。一応、あいつらは韻様の侍従士見習いだし」
彼らには彼らの立場と仕事があるのだろう、そして自分もその一部になる。
「お前らは竜の奴僕だろ」
「ああ」
「流民からの士官なら順当だな。ま、がんばれよ。俺は今日は講義があるから、からかいに行けないんだ、残念だよなー、いやぁ、残念だわ!」
屈託のない笑い。
「講義?」
「ああ、俺、学生だよ、ヴィクトリアス・シージップ様の門下生。韻様の紹介で門下になったし、成績も良いからな、ちょっとしたものなのさ。このまま順調に学位を修めたら、見習いなんてしなくてもそのままシージップ様か韻様の侍従士になれるし、その気になれば一気に侍従、分家に入って独立すれば貴族もあり、ってな。自分でいうのもなんだけど、将来あんのよ、俺」
おおよそ勉強熱心には見えないな、とふとそんな思いがよぎりつつ、
「蒔(まき)」
「なんだ?」
「実はその……仕えるのが初めてで、何か、気をつけることとか、あるかな?」
慎重に言葉を選びながら、タツマは丁寧に教えを乞う。
「は? お前、仕官したこと無いのか?」
素直に頷く。
「参ったな、マジの流民か。しょうがない、教えてやろう。……韻様以外の人間、特に身分の高い人間との会話には気をつけろよ」
「気をつける?」
「お前とユェズは韻様の奴僕だから、韻様が許可しないと、身分の違う相手とは会話できないし、お許しがない時に『壁向こう』にいるのも御法度な」
タツマは一口ちぎった欠片を放り込むとそのまま姿勢を正すようにして真剣に耳を傾ける。
「ここは身分がハッキリしてる。皇帝、権者、貴族、侍従、侍従士、侍女、市民、下男、下女、奴僕、奴婢、流民の順番な。物心ついた時から、たたき込まれる常識だから、覚えとけよ」
確かに大ユェズの話に聞くアーシェントの平等な国風とは根本的に違うようだ。
「あと、市場と祭りを除いて、基本的に上の身分の人間と話すことはできないぜ。上から話し掛けられたとしても、下手に返事したら首が飛んで放り出されてエサな。そういう時は、黙って膝折って頭下げて、やり過ごせよ。主がある場合は、主が許す以外の行動はダメだ。主の言う事には絶対服従だからな」
タツマが蒔(まき)の言葉を胸に刻もうとしている横に、二人分の碗を持ったユェズが座る。
「身分?……難しい話してるね」
割って入ると自然にタツマに碗を渡し、同じように団子を取る。その優雅な身のこなしを見届けるようにして
「といっても、実際にそんなの護ってるのは北の『壁向こう』の連中だけだ。ここいら東は身分によって差がつけられることはほとんど無い。面倒くさいしな、やってらんねぇし、そんなの。でも、たまーに口うるさい警備兵や治安兵とかがいる時にやらかすとヤバいから、そこは抜かるなよ」
くるくると饒舌な蒔(まき)は続けた。
「お前ら、昨日、棗(なつ)さんから皮の服もらったろ? 仕事着で」
「うん」
ユェズはそう言いながら、まだ違和感のある作業着の縫い目をなぞる。柔らかく鞣した恐竜の皮を裁ち切り、棕櫚茎の繊維で縫い合わせたものが一般的な奴僕の服で、華やかな染め糸から作る綾と違い、枯草や土の色彩が多く地味でもある。
「実はな、奴僕、奴婢、流民は上着が恐竜の皮って決まってるんだ」
「……それはつまり、着ているものを見れば相手の身分が判るってことか」
聡いタツマの返しに蒔(まき)は、ご名答、と目で応えた。
「働くから丈夫な方がいいだろ?ってのは建前さ。判ってるねぇ、さすがだよタツマ。で、この下宿でいうと、韻様と棗(なつ)さんは貴族、俺は侍従の家の出で、普段つるんでるあいつらは市民。つまり、俺らはお前らより目上で、お前らは下だ。都市じゃ、下男、下女、奴僕、が多いから、そんなに心配すんな、仲間は多いぞ」
目上、という言葉を強調しつつ、ちょっと毒のある顔をする。
「まぁ韻様の方針で、この下宿の中では身分差なしってことになってるんだが、そこは空気読んでもらうとして、だ、この東のあたりは基本、それ以外の貴族や主君が出入りするってことはねぇから、そんなに困ることねぇと思うぜ。南に至っては身分どころか人殺しや手篭めなんていつものことだけどさ」
「南?」
「そうだよ、ユェズ。お前みたいなの、南に行ったら厄介な連中が寄ってくるぜ。あいつら、男も女もかんけーねぇし、特にヤバい奴、賞金首の黒スグリとか、もうアタマ逝っちゃってるヤツらがゴロゴロ居るから気をつけろ。大通りの突き当りから、南へは、行くな」
ユェズの強さを知っているはずの蒔(まき)の忠告は、それこそ大切にするべきだろう。二人は静かに態度で礼を述べると揃って汁椀を口にする。目をしっかりと覚まさせてくれそうな優しい干し魚の味が広がっていった。
「タツマ、ユェズ」
一息ついて、声をかけたのは棗(なつ)だった。二人がそれぞれに元気良く返事すると、彼女は大きな網籠の包みをタツマに渡し、
「……これを、お父様に」
「賜りました」
つい、言葉尻が出てしまうようだ。その瞬間ではあるが、確かにタツマの生まれついての気品が見え隠れする。棗(なつ)は相手をすこし羨むような視線で見つめてから
「ええ、お願いいたします」
やはり、文句無く美しい。軽く会釈をした彼女がまた台所へと戻ると、収まらないのは蒔(まき)だろう。
「あー、タツマ……」
咳払い。
「これだけは言っとくけどさ」
「何か?」
「棗(なつ)さんは大切な御嬢様なんだ。あぁしてるけど、貴族のお姫様だからな。雲の上のお人だからな、そこは、ほら、空気読め」
クスリ、と相手は
「ああ、判ってるよ」
と答えるが、蒔(まき)の方はソワソワと動く疑い深い視線。
(タツマに空気を読めって言っても……それ、たぶん、無理だと思う……)
呆れたユェズは黙々と食事を続けていた。

Next>>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?