恐竜元年:始まってからの二日間の物語
01:タツマとユェズ
「これで、準備は終わりだね」
流れ着いて半年が過ぎ、もうすっかり慣れたエルデスという都市の日常のある日、フゥと一息入れて、ユェズはその華奢な腕を晴れ渡った朝の空へぐっと伸ばす。晴れ渡った晴天の日、雨季のはずなのに一滴の雨も無いまま乾季に入ろうとしていたその日は、エルデスにとっても大きな一日となる。
「ああ、ちょっと休もう」
タツマも竜を磨く手を止めた。今ではすっかり手慣れた姿で、エルデス皇帝の所有する獣竜の世話係である奴僕の二人は、主であるショウ・韻の命令で夜明け前から今まで、儀式の主役の一角を担う竜の仕上げ作業にかかっていた。最後の都市エルデス、この世界でただ一つの人間が暮らす都市において、新しく貴族として加わる者には、皇帝から字(あざな)とともに、皇帝の所有する恐竜を下賜する習わしがある。今日の二人にはその「新しく貴族となった者に下賜される特別な獣竜」を引き渡す儀式への参加、という大きな仕事が控えている。
――コレ、イヤ、コワイ、コワイニオイ、スル、クワレル
一方の獣竜、アミキスシムスは額や首に架っている羽飾りが嫌でしょうがないらしい。盛んに頭を振り、身体を揺すり、なんとか逃れようと必死。確かにそうだろう、この羽は彼らの天敵である《狩人》(ラプトル)、中型の肉食恐竜ラプトルの中でも最も美しい羽を持つサピエラプトルの鶏冠羽と風切り羽、尾羽なのだから。
(我慢して。これは大丈夫、噛み付いたりしないから)
タツマはなだめる為とはいえ、やはり自然に力、竜と話す力を使ってしまうらしい。
――コワクナイノ?
(大丈夫、怖くない、鳴き声がきこえてこないだろう? もう死んでいるんだよ、その子は)
この飾りのためだけに、狩られた。まだ若い個体だったろう。美しい、という理由だけで、この羽の主は「生きる」ことを人に奪われた。そんな空しい心をなだめるように、ぽんぽんと優しく首を叩いてやると、
――ワカッタ
落ち着いたのだろう、フーッといつもの長い呼吸をして、ゆっくりと傍の桶から汲みたての冷たい水を飲み始めた。ゴクンゴクンと規則正しい生きている音、喉の音が響く。
「タツマ、朝御飯にしてしまおうよ」
ユェズはお腹が空いていると遠まわしに語りかけ、傍らに置いてあった包み、下宿の女主人棗(なつ)が持たせてくれた弁当の包みを広げ始めた。二段の木箱には、いつもの蒸し団子の入った籠と、家畜竜の肉とシダの若葉を煮付けた蓋付きの碗、甘い物として蒸かした甘銀杏も入っている。これらは同じ下宿の友人、蒔によるとなかなかの待遇らしい。その蓋を空けると、冷めてはいるが香りよい下草の香辛料が鼻をくすぐり、料理上手な彼女の心遣いが伝わってくる。
「……タツマ?」
返事が無い相手を見、ユェズが再度声をかけると、
「ああ、すまない」
じっと竜の首を撫でていたタツマは気を取り直したかのように、厩舎から離れてユェズの隣に座る。
「日々の糧に感謝を。いただきます」
が、響いたのはユェズの声だけ。タツマは何も言わず、ただ、固まって何かを考え込んでいる。いったい何を考えているのか、判っているユェズには悪い予感しかしない。
「……ユェズ。人間は、竜を支配しているのだろうか」
毀れた言葉。情けないくらい図星だった。
「タツマ、考えるのはかまわないけど、精神が持たないよ」
エルデスに入り、竜の奴僕として勤めてからは、都市での当たり前の生活が彼らにとっては驚きの連続だった。厳しい身分制度の中でも下層にあたる奴僕であるため、着るもの、行く先、言葉遣い、友人関係、その全てが主、ショウ・韻の干渉と監視の下にあり、それが強い抑圧となり、理不尽と感じることもある。純粋なアーシェントであるタツマ、この世界のあらゆる生命と心を交わす力を持ち、その世継ぎの王として全てに平等であれとユェズの父に教えられて育てられてきた彼がそれゆえに傷つき、心傷めることがあるだろうことは、恐らくユェズ自身が一番判っていた。そしてその彼が今、最も心を痛め、答えを求めようと足掻いてこだわり続けている事が、人と恐竜の関係について、であることも。
「実は、不思議だったんだ。ずっと。私達は、エルデスでどれだけの竜を見た?」
タツマの顔は真剣だ。思わずユェズはその目に惹かれ、応える。
「そうですね……《暴君》(レックス)、《狩人》(ラプトル)……」
「後は?」
「牧場の《巣籠》(マイアサウラ)、市場で海で採れたっていう《四鰭》(モササウルス)、あ、これは干物だったね。この間は《空王》(ケツァルコアトルス)が飛んでるのも見た」
「それで?」
「《獣竜》(アミキスシムス)はずっと一緒だったし、他にも車や荷物運ぶのを見たことある。ああ、それに宮殿で飼われているよね、《雷鳴》(ティタン)と《棘鎧》(エドモントニア)。どれも大人しいけど、すごく大きい」
「もうない?」
「あ、一度だけ、でっかい《三本角》(トリケラトプス)! エルデスに来る前に見たやつ、あれは本当に大きかった!」
会話が終わった。そして、ユェズは、あ、と声を上げる。
「これだけ? 僕達はこれだけの竜しか、見ていない?」
タツマは頷くと、団子を一口食べると、碗を見た。
「大君は、この世界には数え切れない竜が住んでいて、多くの生命が溢れていると言っていた。でも、エルデスについてから、旅をしていた頃からは想像できないくらい、いないし、会えてないんだ……」
大君、亡きユェズの父の言葉に懐かしさを感じつつ
「遭うどころか……都市の外に草食竜がいないね。あの<三本角>以外」
その導いたユェズの答えが、タツマの悩んでいたことだった。
「かつて、ここにもたくさんの恐竜がいた。それはきっと間違いない」
言いながら奴僕の服、恐竜の皮で出来た仕事着をそっとなぞる。
「都市で生きる事は竜を食べ、竜を殺し、竜を利用して生きる事に等しい……」
そう呟いたタツマは、碗の煮付けに手をつけた。ユェズも間を無くさないよう、同じように団子を食べる。
「でも、それはこの都市で生きていく為に必要な事だって判ってる。都市だけじゃない、生命は、生命を糧に生きて、子孫を残して、死んでいくんだ、それは当たり前だって、判ってる」
言葉と共に、糧を噛みしめる。生きるために、生命は生命を食べる。この連鎖は生命ある者の呪いのようだとタツマは想い、本来のアーシェントは、アーシェントだけでいる限り、生命を食べることさえもなく生きていくことができた、という大君の言葉が忘れられない。そうであれば、どんなに良かったのだろうかと。なぜ、生命は生命を糧にするのだろう、と。
「でも、何かが違うんだ、ここは。人間は、それ以上に、竜を養い、殖やし、愛し、憎しみ、その感情のままに虐げ、殺し、支配して……。それは、違う、そう思うんだ。もしかして、アーシェントがこの世界から滅びたことで、人間達が……」
「タツマ」
低い声。ふとあった視線、その栗色の瞳は怒っている。
「自分で選んだ道に、迷うの? 随分だな、それは」
言葉の刃には容赦がなかった。
「見損なったよ、タツマ。その程度? あの時のあなたの覚悟はその程度なんですかっ!」
諭す感じではあるが早い口調でユェズが怒ったように大声をあげると、その声に反応して飼葉桶に首を突っ込んでいた二頭がこちらを見ている。
「あなたが、それに気がついて苦しんでいるのは知ってます! 僕にはそれは判らない、判ることも出来ない! それも判ってます! でも、でもね! 今、これから、僕たちがここで生きていくために、その迷いは必要ですか! その迷いのために、自分を追い詰めることが必要なことなんですか!」
「……あ……すまない、ユェズ」
ユェズの瞳から、涙の粒が落ちていた。
(迷わないでください、笑っていてください! そのために、僕は何ができますか?)
彼の願いがさりげなく届いてくる。怒りながら実は泣いてしまうのが、この大切な幼馴染であり乳兄弟だった。その涙の双瞳で見つめられ、タツマは自分の弱さと甘さを少し自覚すると柔らかく微笑む。
「ごめん」
――――そうだった……私は、タツマなんだった。タツマであることを、選んだんだった
謝っていたが、本音は違っていたかもしれない。拭いきれない血の宿命を感じながらも、その叫びに耳を閉じようとする自分に対して、強い嫌悪感は牙をむいて何度も何度も襲ってくる。そして人として生きると決めたはずの自分が時々こうして、負けそうになる。乗り越えられる自分になるまでに、どれだけの時間が必要なのだろうか。
「さ、もうこんな話はしないよ! 折角の棗(なつ)さんのお弁当なんだし、食べてしまおう。それから、私達も着替えないとね」
とりなすように、答えると
「じゃ、これは僕が貰うね。泣かしたバツだよ」
陽気に笑い、ユェズが残りの甘銀杏を全部ひょいと大口に放り込む。タツマの好物と知っての所業。
「こいつ! やったな、泣き虫!」
(もうアーシェントは……捨てた……んだ)
立ち直ろうとしているタツマの心が繰り返し自分に呟く。その呟きを、確かに、誰かが聞いていた、そんな気はしていたが。
奴僕は恐竜の皮以外を上着にすることはできないが、儀式の為に特別に誂えた綾を腰に巻くことは許されていた。これから一刻ほど後には、二人は飾られた竜を連れて、新たに貴族となる人を主と共に出迎えるのだ。
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