恐竜元年:始まってからの二日間の物語

02:バードル・ダブスと皇帝と正妃

「陛下におかれましては、ご機嫌麗しく」
バードルは広間にいて、恭しく最上の礼を尽くしていた。朝の光が降り注ぐそこは、敷き詰められた磨石が光を反射し、その反射は計算し尽くされた柱達の屈折を経て、奥の玉座に自然と集まるように設計されている。初代の宰相、現在の星見一族の頭領として君臨するシージップ家の初代当主が作らせたもので、その高い技術力はエルデスが今日の位置を得るに至った十分な理由を自然と語っているだろう。
「うむ、此度のそなたの世への忠誠、しかと受け取った。褒めてつかわす」
そこの中央の奥、上座に在る皇帝は、いつもよりも機嫌が良い。バードルから贈られた貢物が効を奏しているようだ。
「有り難き幸せ。家臣としてこれほどの名誉はございませぬ。全ては陛下の御為、陛下あってこそのエルデスでございます」
慣れているバードルは頭を垂れたまま、慣れている言葉を口にした。この目の前の座の若者は、敬い、認め、褒め、称えれば良い、とても判りやすく御しやすいことを知っている。
「ふふ、そうであろう」
そして昨夜の「貢物」のことを思い返したのか
「なかなか、良いものであった。楽しめたぞ」
瞬間、察しの良い隣の正妃がギロリと視線を動かしたが、すぐに明後日へと逃げていく。貢物となった、健康以外に何の取り柄も知恵も無い下家の侍従の娘は、今後、この後宮で生きていくことになる。が、後ろ盾のない身分の捨て駒、おそらく、この正妃と、横並びの権勢を持つ妊婦のシエラ姫のことを考えれば長くは生きていないだろう。
「それはよろしゅうございました。お喜びいただき、下家一同も感涙が止まらぬことでございましょう」
「大げさだな。だが、気持ちは分かるぞ」
「さすが陛下、お心の深さ、感嘆の極みでございます」
心ない世辞に、ニヤつく今は亡き年上の従姉妹の息子。血縁があると思いたくない、という嫌悪感を振り払おうとした矢先、
「今日はめでたい日である、良きに計らえ」
皇帝が機先を制した。
「あの者たち、今日の新しいモノ達だが、ほれ、名は、なんと申したかな」
「トゥシ・怒槌(いかづち)のことでございますか?」
「そう、そうであったな、その者に、近衛第二師団、期待しておる、と伝えよ」
「は」
「バードル家に新たな系家の誕生だ、益々のそなたの働きを期待するぞ」
そして、視線が隣に座する正妃に移ると
「バードル殿」
やっと、正妃は口を開く。先ほどの視線の動きとは裏腹に、さすがに化けるのが上手い、皇帝に付き従う貞淑な妃としての気品あふれる、
「トキヤ皇子の宴に出すハネモノを育てていると聞きましたが、それは真実(まこと)ですか?」
と穏やかな問い。何か問題があるのか、とバードルは一瞬で計算がよぎり、
「は、ただいま、屋敷にてお預かりしております」
「さすがに後見ともなると、気が良く回りますこと」
ホホと笑う女。畏れ多い、と前置きしながら男は
「大切な陛下のお子様、それもご長男でございます。陛下の御為にも、このエルデスの為にも臣下として当然でございましょう」
伏して応えた。受けて、そう、と女は
「これも陛下のご人徳ですわね。して、そなたのこと、さぞ良いモノを見つけたのであろう?」
さりげなく媚びて、だが、無邪気なようでいて、平気で喉元に刃を突きつけるような問い。
「陛下のお眼鏡に叶った上物でございます。もちろん、大切に、順調に育てております」
バードルはぐるぐると、だがその尾を隠して緊張気味に即答した。持ち上げておけば良いだけの皇帝と違い、あの宰相を女性にしたそのままのような鋭さ、抜け目のなさ、隙のなさを備えた正妃は油断できない相手。
「そうでしたか、安心しました」
黒さを隠す笑み。臣下も心をなで下ろす。チラと皇帝を見てから、正妃はすこし硬い面持ちで
「実はそのハネモノを、此度の宴ではなく、別のものに使いたいと考えているのです。そのまま養育を頼みます」
事務的ではあったが、確かに、言質を取る。
(それは、立太子!)
ついに視野に入ってきた。この為に、後見についた。下家の人、金、財産、己の心、誇り、全てを犠牲にした見返りがついに日の目を見ようとしている。
「は、この上ない名誉、心して務めさせていただきます」
再びの臣下の礼。緩む口元。それを見、何も判っていないまま、皇帝は誇らしげに、ハッハッハッハッと高らかに笑い
「バードルのハネモノ、食するのが楽しみであるな!」
その笑いもまた、音の反射を計算され尽くした広間に大きく響いていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?