恐竜元年:始まってからの二日間の物語

04:スグリムと独楽(こま)

「居やがった」
その宮廷前の門のやり取りを遠くから見ていた男はニヤリと笑う。第二師団の行幸は人の眼を引きつけ、群衆に紛れることで彼らは普段なら入り込めないはずの「壁の中」まで易々と潜り込んでいた。この後の宴のことを考えれば、今夜は遅くまで「壁の中」は無防備だろう。「アーシェントの王族」を探すために入り込んだそこで、まさかの形で獲物を見出した獣の興奮が覚めやらぬのか、二つの影は、まんじりともせずに目的の相手、見事な紅い髪をした竜の男を見据えていた。
「あれが……アーシェント、なのか?」
囁くような独楽。
「あれだけ紅い髪はそうないさ」
自信に満ちたスグリムの言葉。
「見たのは一度だけ、それも後ろ姿だからな。……ああ、あいつは、見ない、ここに来て間が無い」
――ああ、お前は、見ない。
初めて独楽(こま)とスグリムが出会ったときも、彼はその言葉を使った。彼はいったいどれだけのエルデスの人間を知るというのだろう。謎めいている男の不思議、その勘の良さに戸惑うが
「殺るのか?」
独楽(こま)の問いに、友は、当然だ、と口端だけで応えた。
「人違いだったらどうする?」
「だったら何だ?」
愚問だった。激しく後悔する友人を前に
「野郎なんざ知ったこっちゃねぇ。殺っとけば良いんだよ」
小さな子供がその欲望のままに壊す玩具に対する物言い。だが、ふと、
「横のやつ……」
「あの黒髪?」
「ああ、あれはなかなか綺麗な顔をしてるし、細くて女みたいだ、が――」
「が?」
「あいつは……強い。下手すりゃ、雷竜よりもヤバイな、あいつ」
鋭い勘を働かせ、警戒心を強める。あの姿のどこにそれを嗅ぎ取ったのか。それなりに鍛えているはずの独楽(こま)でさえ疑問に思うほど、遠目の相手は一殴りで折れてしまいそうな程に華奢で、大人しい、嫋やかな男にしか見えない。とはいえ、スグリムの勘に野生のそれともいえるほどの的確さがあることも知っている以上、意義を唱えることはせず
「ショウ・韻の下男……いや、奴僕だね、あの挨拶の仕方」
明らかな身分制度は、返せば明確な身分区別の材料となる。彼らの動きからそう読み取った独楽(こま)は
「すると宮殿には通いだね。奴僕が壁の中で暮らすことは許されないし、仕事を終えたら壁から出なきゃならない」
と補足した。聴いて、ふふん、とスグリムは鼻で笑い
「だったら、あの細いのと紅いのを引き離せばいいだけのこと、か。あのおっさんの部下で新参者なら、あのお堅い女の下宿で飼われるだろうし……」
瞬間で何かの策を探り当てたらしい、この回転の速さ、地頭の良さには舌を巻く。
「スグリム、どうするんだ?」
あえて聴いてみる。あらかじめの手はずが必要なら、手伝わざるを得ないだろう。だが、瞬間、胸の中で「主命」がのし掛かり、それ以上の言葉がうまく出てこない。
「やりてぇ」
そんな独楽(こま)の感情に気づいているのかいないのか、相手はそう言いながら、鋭い視線は門から外さない。
「アーシェントを?」
問いに答えない。が、かと思えば態度を崩し
「いったん戻るぜ」
「準備するんだな? 何をすればいい?」
真剣な独楽(こま)に
「邪魔すんな」
悪い顔。
「俺は今、すげぇ碧とやりてぇんだ、日暮れ前までどっか行ってろよ」
白い歯。
(そっちか!)
「なんなら、屋敷に戻っても良いんだぜ?」
揶揄う黒スグリ。
「……そうしたいけどね」
(無理だよ、お前を殺さないと、だから。帰れないんだ)
苦笑で答え、ちらと視線が動く。視界に飛び込む懐かしい屋敷の輪郭。
「ま、好きにしろ、決めるのはお前だし」
物心ついた時から「絶対の存在」である「主」の鎖を焚き付ける言葉。焼き切る強さが自分にあれば、と、ふとそんな重苦しい何かが燻る。先ほどの重さ、その正体が、この鎖。
「また、後でな」
ポンと肩を叩き、スグリムがフラリと気配を消す。行き先は判っている。
「ああ、そうだね」
残された影のつぶやき。理路整然なのか支離滅裂なのか、掴めない男の考えてることはいつも、独楽(こま)には判りすぎて判らなかった。

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