恐竜元年:始まりの三日間の物語

21:ヴァシェとトゥシと《棘鎧》(エドモントニア)と《巣篭》(マイアサウラ)

北の内壁の東端の門は、その次の柱へ太陽が向かう間を「雨季」とし、「雨季の門」と呼ばれ、逆に、西端にある門は、次の柱から太陽が向かってくる間を乾期とするため「乾季の門」と呼ばれていた。その「乾季の門」「雨季の門」から中心の「天頂の門」から伸びる中央大通りまでの距離はかなりあり、人の足では半日はかかる。エルデスの広さを実感するにはちょうど良いだろう。
「乗り心地はどうだ?」
バードル邸からドスドスとかなり速い足取りで中型の鎧竜、首から背にかけて分厚い装甲をもち、その両側面を棘の鎧で固めた巨大な《棘鎧》(エドモントニア)が「壁向こう」の目的地に向かっていた。その広い背に籠を乗せ、そこには少年が一人。御者の男は太く硬い首を跨いだ鞍にあって、首元から左右に突き出た棘、といっても安全のために先を丸く削られている棘の間に垂らした鐙に踵を乗せ、手慣れた騎乗姿で遠目からも判るほどに立派な体格をしていた。
「横揺れ、意外と、強い、、で、す」
声が途切れ途切れで、籠の方はあまり良い乗り心地では無いらしい。屋敷から「乾季の門」までたどり着いた竜は立ち止まり、
「おっと!」
籠の中の少年は持ち前の動きの良さで振り落とされること無く慣性の法則に逆らった。と、同時に、衛兵が飛び出してくると御者である鞍上の大男と何やら話す。背中の籠からの距離では内容は聞き取れそうに無い。だがほんの数呼吸で話がついたのか、今度はもっと速い速度で、鎧竜は勢いよく動き出す。
「ちょっ! なんですか、もう!」
酷い扱い。
「トゥシ!」
横揺れをものともせず、叫ぶ、これは絶対に、悪ふざけ、わざとだ。
「お、やっと慣れたな!」
御者は快活に笑うと、手綱で少し速さを落とせと伝え、竜は大人しくそれに従う。
「あ、収まった」
「ちょっと急がせちまったからなぁ、悪い悪い」
御者の男は誇らしげで楽しそうだ。
「ひどいや、トゥシ、やっぱりわざと?」
ちょっと膨れっ面で少年、ヴァシェが口を尖らせると
「久しぶりでな、加減が判らなかっただけだ」
(ま、無いだろうと思ったが、案の上だな)
ヴァシェで無ければ、舌を噛むか、振り落とされてしまうか。大丈夫だと判っていたからなのだろう、言い訳がましく惚ける。確かに、都市と呼ばれる規模の国や街が失われてから、歴戦を渡り歩いた勇士である「雷竜のトゥシ」が人を乗せられるだけの巨竜を扱うこと、は久しく無かった。だが、エルデスに来てバードル・ダブスの元へ入り、客人待遇を受けた今では普段の乗り物として竜を扱うことができる。それだけでも誇らしいのだろう。そしてそれに乗ったことの無いヴァシェに、その揺れを経験させようという試みでもあったようだ。
「しかし、よく調教できてるな、こいつ。さすがだぜ」
トゥシの手がバンバンと強く視線の先の首甲羅を叩き、その音はとても鈍く硬さがよく判る。だが、それにも我関せずで、《棘鎧》(エドモントニア)は指示された通りの方角へ歩き続けていた。「壁向こう」の人々、貴族階級とその侍従となる者達は都市内の移動に竜車や獣竜、鎧竜を使えるが、それ以外の人間は徒歩というのが決まり。人と通り過ぎるたびに畏怖の視線を感じる一方で、確かにここは厳しい身分格差があることを思い知らされる。
「これバードル様の?」
すっかり慣れて快適になった揺れ具合だろう少年の問いに
「いや、バードル様が皇帝陛下からお借りしている、ってことらしい」
言い含めるような答え。
「そっか、皇帝陛下以外に竜が持てないんだっけ」
この竜も含め、普段の生活で使える竜は皇帝から下賜されて所有を許されるものであり、貴族階級だけの特権。大切な雛竜ティノも例外では無い。
「ねぇトゥシ、僕は行き先を聴いてないんだけど」
剣の稽古中に乱入したトゥシに拉致され、ヴァシェはこの籠に否応なく乗せられ街に出ていた。子ども扱いされるのは好きではないと判っていて、トゥシは時々このような扱いをする。その行動が気に入らないのか、少年は籠の中から少し身を乗り出し、兄の背にそう問いかけて
「ん? すぐに着く」
応答は何かに期待しているワクワクとした口ぶり。それに対して、少年が追い打ちしようかとした矢先、竜の足取りが止まった。どうやら目的地に着いたらしい。

 珍しく客人があるとの知らせで、その場にいた下男達は少し緊張しているようだった。部外者が来るのは滅多にない事なのだろう、横に並び、静かに頭を下げている。彼らの直接の主は今はまだ名も知らない下級貴族達であり、その頂点には財務・経済を預かる権者「ロード・奥羽」がいる。軍事・治安を預かる「バードル・ダブス」とは異なる命令経路であるため、一切の会話は許されてはいない。トゥシはそれを承知した上で、バードル家からの使者として、ここを訪れたようだ。鎧竜から降りた客二人が見上げていたのは、黄色がかった骨、長く太いアバラ骨の類だろうか、それらが規則正しく、まるで綾織のようにがっしりと組み上げられている壁だった。
「すごい……」
きらきらとした瞳の少年の頬が少し紅になる。
「こいつは、すげぇな」
さすがのトゥシにも来るものがあるらしい。壁は高く大きく、大きな弧を描いていて長かった。もしかしたらエルデスの外周の壁よりも頑丈で頑強かもしれない。そして微かに、その壁の内側から、なにか生き物の匂い、野太いような鳴き声が聞こえる。その気配を感じている間にトゥシは慣れた手つきで手綱を杭に繋ぎ、繋がれる方も慣れている様子で、暴れる気配も無くじっとしていた。
「ここ、何があるの?」
ヴァシェの無邪気な問いに
「食い物だよ。前に言ったろ? ここは巣篭竜を飼って増やしてるって」
待ってましたと言わんばかりの言葉が応え
「お待ちしておりました」
声をかけてきた者は、侍従士だろう。壮年で、粗末な綾を纏って日に焼けた働き者らしい姿をしていた。両手を下腹に添え、片膝を折る。
「主より、バードル家からの使者をお迎えするように申しつかっております」
最低限の言葉となるのも、身分が違うため。主から許された言葉のみを声にすることができる。名乗ることも、それ以上のことも、主が許さねば出てくることは無い。
「臨時請求依頼書をお預かりしたく」
そういって、恭しく、両手をトゥシに差し出していた。

トゥシが預かっていた書状の吟味が終わり、許可された二人が物言わぬ下男の一人によって通された壁の入り口は小さく、人ひとり通るのがやっとだろう。大柄なトゥシは不自由そうに、一方のヴァシェは普段を変わりなく順番にくぐり、二人ともが目に飛び込んだ光景に少したじろいだが、気付かぬ振りをして奥へと進む。
中は一変して足元が柔らかい土に変わり、生物の匂い、汚物の匂いに近い臭いが踏むたびに湧き上がる。中規模の村がすっぽり入ってしまうだろう広い空間、小さな虫がところどころに柱を作っていて、潔癖な人間であればかなり苦痛に感じるだろう囲われた屋根の無い広場に、都市の家畜、巣篭竜の群れが丸々一つ放し飼いにされていた。銘々に土に転がり、あるものは巣を堀り、あるものは中央にある籠に首を突っ込んでエサを食べている。良く見ると奥には一筋の小川が引かれ池が作られており、水辺もあるようだ。
巣篭竜、のちにマイアサウラと呼ばれる恐竜は大型ではあるが性質が大人しく、頭や手足、尻尾にいたるまで武器と呼べる棘や爪を持たず、食べられる肉の部分が同じ種類の竜、嘴竜の中でも特に多く、雛の成長も早い。巣をつくり子育てをして周辺の餌がなくなると新しい繁殖地へと移動するという習性があり、それを利用した人間は十分な水と食料を与えることで移動する理由を奪い、壁の中に留めることを覚えていた。竜達にとってそれが快適であるかどうかは不明だが、少なくとも、人の手によって家畜として生かされているのは間違いがない。そして、卵、孵化した雛、若い竜、産卵期を終えた竜、は計画的に取られ必要な解体作業を経て、ここから皇帝に献上され、余った分が市に回され、都市の食料として、素材として活用されるのだ。
「はっ、よくもこんな」
笑うトゥシの白い歯。
「すごいね!」
ヴァシェは好奇心が全身から溢れている。
「お、あれかな?」
見渡し、土に歩きなれたらしいトゥシが竜の間を器用に抜けていくと巣に近づき
「トゥシ! 危ないよ!」
ヴァシェも後を追う。そんな「人間」の往来も気にすること無く、家畜竜たちは各々に何も変らずにそこに居た。
「ほれ」
追いついた大きな手から渡されたのは卵。受け止めるために、ヴァシェには両手が必要だった。
「外の物より、小さいし、軽いね」
彼らしい洞察力。土に汚れ、紛れる模様をもつ恐竜の卵と雛は良く目を凝らさないと見つからない。この偽装で彼らは卵を護り、雛を護っているつもりなのだろう。少なくともここでは、それは無駄な努力なのだが。
「そうか? 食えれば何でも良いとは思うがな」
一方はそんなことを気にしない。
「確かに」
くすくすと笑う少年。
「外のは、巣に人が近づくだけで大騒ぎなのに、ここのはなんて大人しいんだろう」
人に飼われ、馴れて、それが日常である恐竜。それだけでもヴァシェには新鮮なのか
「卵を取る、というより、拾う、だなんて、おかしいや!」
明るい声が晴れた空に響いた。
「ということで、だ、ヴァシェ」
改めて、なのか急にトゥシは姿勢を正し、
「バードル様からの命令だ。ここに預けてある若い竜の肉を二頭分、卵を四つ、持ち返れ、とのことだ。肉は俺がこれから受け取りに行くから、お前は卵を頼む」
「はい!」
解き放たれる少年。この環境にも慣れたのだろう、素軽い足取りで跳ねるように竜を避けながら、良い卵を物色し始める。その姿はまるで卵を狙って紛れ込む小さな《狩人》(ラプトル)のように見えていた。

その日のバードル邸の夕食が雷竜歓迎の宴となり、その卵と肉が供されたのは、言うまでもない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?