恐竜元年:始まってからの二日間の物語

05:ヴィクトリアス・シージップとアトル・アトリウム・エルデス

都市の喧噪と打って変わり、静かなシージップ邸の部屋で窓辺から街道と群衆を見下ろしていた主人、今は亡き妻の忌日として宮殿から宿下がりをしていた宰相の元に、下女から予定無き客人が来たことがもたらされていた。
「お館様。アトル・アトリウム・エルデス皇子殿下がご来訪にございます」
恋人に会えない日々が続き、寂しさの募っている華奈は明るく振舞うように、だがもれなく淑やかに告げると、次の指示を待つためにゆっくりと膝をつく。サラサラと音を立てるかのように髪が肩から毀れ
「あぁ、お華奈。すぐにお茶を用意して。例の、この間、取り寄せたばかりのを。湯は熱いので頼むよ。葉を一気に開かせないと美味しさがないから、気を付けて」
まるで予定していたかのような彼の態度に、華奈はそっと頷くと立ち上がり、戻っていく。一気に慌ただしくなった空気の中、侍従士がさっと彼の上着を恭しく手に取ると、主も判っているのか背をシャンと伸ばし、その枯れた肩に上着が掛かる。
「後は良い、それより、ゴローに伝えなさい、屋敷の者達を留め置くように」
(このことがこれ以上、外に漏れるのはよろしくなかろう)
端的に指示すると、急ぎ足の部下を追うように部屋を出、自らその腰の綾織紐を解き、正式な結び目、目上に逢う時の礼儀となる複雑な結目に器用に直しながら客人の待つ部屋へと階段を駆け下りる。その足は軽い。昨晩に見た、これまでに無い星の配置は、自分と、この国の行く末を見せた気がする。歴史が動く、そんな期待で高鳴る胸を押さえながら自然と逸り
「皇子! ご健勝のこと、何よりでございます」
扉を開けると同時に感嘆に近い声。
「シージップ。私の来訪を知っていたような口ぶりだ」
「久しぶりの星見をしましてね、吉兆がございました」
いつもの眼だけが笑わない顔で華奈の茶盆を受け取ると仕草で人払いを命じ、中の客人には側の編んだ椅子を促した。皇子は玉座へ向かうかのようにゆっくりと腰を降ろす。クロトン・スワニーネ・エルデスの即位、彼の異母弟である現皇帝擁立の後、こうして見えることはなかった二人だったが、その空気はどこまでも自然で、隔てた時を感じさせなかった。
「それで、例の儀式の日取りは今日、というわけだったのかい?」
無邪気な客人の問い。エルデスでの儀式祭礼は必ず皇帝の命によって行われる「星見」が決定する。その「星見」を一手に引き受けてきた代々の一族がシージップ家であり、当主ヴィクトリアスが初代以来の宰相の地位にある今では、表裏どちらにおいても都市の要、と言えるだろう。
「妻の忌日と重なるとは、私の不徳の致すところ、なかなか無礼千万、お笑いください」
「それなら、その儀礼をサボった王族もかなりの不束者ゆえ、笑ってくれて構わないよ」
(わざとだろう?)
アトルらしい答えに、宰相は静かな面持ちで
(はてさて)
「ご用向きをお伺いいたしましょう」
この謁見の日、三権者のうち二人が宮殿に揃って出向き、人の眼が新たなる貴族に全て集まるだろう日、何より、日々忙しい宰相が確実に終日の予定を入れることのない日にあえて訪ねてくる意図、簡単なことではないだろう、と想像がつく。
「……実はずっと、あることに悩んでいたのだ。結局は、そなたを頼るしかないのだと思ってね」
かつての自分の後見。
「私は弟君、皇帝陛下の正妃の兄ですぞ? 貴方様の呪殺容疑の詮議をし、宮殿の西へ蟄居に追い込み、全ての儀礼と発言の権限をはく奪した裁定の張本人、皇子にとっては……」
自嘲。
「判っている。あの時、そうする以外に私もそなたも生き残る道が無かったことも」
む、と相手から笑みが消えた。
「そうする事で、そなたが宰相の地位にあるから、今のエルデスがある。あの愚かな弟と調子者の取り巻きだけでは、決して民も国も無事ではすまなかったろう」
「アトル様……もったいないお言葉、このヴィクトリアス、身に余る光栄にございます」
手を胸にあてて頭をさげ、その口調は、かつて後見であった頃の彼のものに戻っていた。
「シージップ、感謝している。お前のおかげで、私は今もこうして生きているし、エルデスも栄えているのだから」
自然と彼も庇護の元にあった頃の言葉に戻り、
「だから……これをお前に渡したくて。受け取ってほしい、そして、良い使い方を示し、存分に使いこなしてほしい」
アトルはそっと手に持っていた粗末な布を解くと、中から古い長剣らしきもの、を取り出す。
「これは……」
震えるような手つきで、シージップは皇子から剣を受け取る。何の変哲も無い、抜けそうもない、錆びた鞘に崩れたような柄、誰も見向きもしないボロボロの剣は、見知らぬ何かで出来ているのかずっしりと重く、手触りも悪い。
「半年ほど前、都市の外の森で、あの不思議な子供からこれを受け取った。夢に出てきた事そのままに」
「なんと!」
剣を膝に抱いたまま、
「くわしく、そのお話を、どうか、くわしく!」
宰相は目を見開いて身を乗り出す。
「いつもの夢、まぁ悪夢のようなものなのだが、その終わりに、あの子供に呼ばれ、それに従って森へ行ったのだ。不思議な事に、出くわした竜達は皆、私を襲わなかった」
「それで?」
「夢に出てきたとおりの泉にたどり着くと、目の前に美しい丸い石が現れて、一筋の光に打たれ、色を亡くして死んだようになった。そうしたら、それが姿を変えて、私の手にこの形で残されたのだ」
「もしかして、その石は、青く白い帯を纏う、たいそう美しいものだったのでは?」
「そうだ」
「それは、それは……なんということ……こんなことがあろうとは……」
涙ぐむような感慨深い口調で両手が顔を覆う。見たことの無い、動揺した姿。
「お前には、それが何か判っているのだな」
はい、と態度が頷き、下ろされた手の向こう側にあったのは潤った叡智の瞳。
「時が来れば自ずと知れましょう。それはとても掛け替えのない、この世に二つとない我々の宝です」
「そうか」
何か心にあたるものがあるのだろう、双方がそれぞれに押し黙ったが
「これが私にあったこと全て、だ。お前の言葉を借りるなら、この世に二つとない我々の宝が光に撃たれ、姿を変えて、私の手に来たということだね。なら、なおさら、それを知るお前が持つべき、そう思う」
締めくくる皇子の口火に
「アトル様、その子供は何か申しておりましたか? 言葉をかわされましたか?」
追う質問。
「『あなたに託すわ』と」
おお、と宰相は改めて両手に剣を戴き、凝視しつつ
「あなたを……選んだのですね……あの子は……アトル様を選ばれたのですね……」
感動に打ち震えるような声。
「シージップ。あの子供を知っているのか?」
皇子の問いに彼は答えず、その代わりかのように、そっと皇子に剣を返した。
「アトル様、私には、これを預かり、主となる資格がございません」
「シージップ!」
「これは、あなた様、この世界が選んだ『殿下』がもつべきものにございます。私に出来ることはアトル様の後見となること。妹には申し訳ないが、剣を託された以上、あなたがこのエルデスの皇帝となり、民を導かねばなりません。それが、この『世界』が選択した答えでございます」
その真意はそのまま謀反を意味した。アトルはその言葉の重さごと剣を受け取る。
「アトル様なら、きっと、成し遂げられます。……残るモノ達もほどなく、きっとあなたの下へ集まりましょう」
その彼の想い。読めない宰相の表情は、皇子を緊張させた。
「アーシェント亡き今、この世界の命運はその剣となったモノの主に託されています。あなたの望む未来を、皇子」
シージップの瞳には、かすかな希望が見え隠れする。
「いったいこれは……」
「かつて、アーシェントとよばれる国と人々がありましたこと、ご存知でしょう? 後宮のアーシェント・祥子が最後の生き残りで、その子トキヤ皇子が、実質のアーシェントの世継ぎ、と言われておりますが」
ここでやっと宰相は皇子に茶を勧め、皇子は軽く口をつけた。少し冷めた飲み頃の茶はほろ苦いが舌にまろやかで、ゆっくりと香気が鼻へと抜けた。
「……ああ、人間を呪い狂わせる力を持ち、竜を意のままに操る恐ろしい存在だ、とも聞くね。私はそうは思わないけれど」
弟の息子である世継ぎ。言葉もまだ辿々しいであろう幼児が、アーシェントの世継ぎであり、エルデスの世継ぎであることは明白だが、それゆえに後々の遺恨となるだろうことも予想できている。かつてアーシェントの呪いで死んだとされる皇帝の孫、今の世継ぎが、そのアーシェントであることは皮肉以外の何物でもない。
――愚かな話だ
その皇子をどう捉えたのか、
「ええ、アーシェントは呪う力どころか憎しみや恨みさえ抱くことのない、人の姿をして人に非ず、神秘なる存在、です。そしてアトル様、あなた様もまた、その血を受け継ぐ、生き残りでいらっしゃる」
「それは……」
自分に眠る、アーシェントの血。
――美しい女神が、若者を連れているの。きっと、これはあなたなのよ。
かつて母が教えてくれた、母の見た夢の話、アーシェントの神話。かの女神がアーシェントの巫女とすれば、その若者はトキヤなのか、自分なのか?
「人間はみなアーシェントの子孫、母からそう聞いているよ。この世界と人が争わないために、必要な存在だ、と」
「正妃様、貴子様は、多くを御存じでいらした。私も星見というアーシェントの末裔ですが、その力ではとても遠く及びませぬ、それどころか、年を重ねて弱り微々たるもの……」
といいながら思い出を奥歯に噛む。彼の母、貴子・アトリウム・エルデスは「先祖返り」と揶揄される程にアーシェントに近い姿と、何よりも強い力を持っていた。人の心を知り、未来を読み、それ故に星見にとって最大の脅威になりつつあったのだ。
(そのお力ゆえに、彼女を葬らねばならない時が来てしまったのですが、それを語ることはありますまい、皇子)
広がっていく苦みを乗せたまま
「……アーシェントは直系の祥子様とトキヤ皇子、傍系の貴方様を残して、もはや滅亡したと言ってもよいのです。この世界にまだ『純血の』アーシェントが残っておるのであれば、また話は変わりましょうが、もはやその望みは無く、我々はアーシェント無き世界、未来を正しく見定め、そして生きてゆかねばなりません」
一気に吐き出した。最後の都市エルデスにいる最後の人間達の為に、と締めくくると、アトルは抱いていた杞憂に図星を刺され、戸惑うが
「だからこそ、その剣はあるのです。失われた彼らの力は剣に込められ、目覚めるときを待っていたのですよ、しかるべき者、この世界の要となる者を選び出すまで」
その迷う皇子に抱かれ眠る剣をじっと見据える宰相。
「この剣?」
促されるように、改めて皇子は剣を見る。何の変哲も無い、いやそれどころかボロボロの剣。
「まさか……まさか、こんな瓦礫のようなこれが、アーシェントの……?」
「そう申し上げてよろしい、かと」
困ったままの若者を前に、宰相は続けた。
「この剣の本当の姿、力、意味、何を起こすのかは、今では祥子しか知りますまい。逢うこと叶わぬのが悔やまれます。いえ、まだ、諦めてはならんのですが……今はまだ難かしゅうございます」
「確かに……」
同意する言葉の裏側で、あの美しかった姿が重なってトクンと跳ねる動悸。
「ですが、現時点で確かに言えることはございます。あの子供から剣を託されるということは、この世界の命運を託されるということです」
「シージップ!」
「アトル様。あなたは、王としてあるべき方、我々をきっと導いてくださる」
真剣な、そしてこれまでに無い強く冷たい視線。
「私は貴方様の後見となり、人を統べる者、このエルデスの皇帝とすることをこれからの目的とせねばなりません。これは世界の意思、エルデスの為に取らねばならぬ最良の道です。その剣を持つことの意味は、そういうことなのです」
そして、椅子から立ち上がり、彼の足下へ跪くと両手を下腹に当て、深く身体を折る。
「このヴィクトリアス・シージップ、残る時間と生命の全てを、我が主に託し、忠誠を誓います」
「……」
皇子はゆっくりと息を呑み、
「……あい判った」
覚悟の言葉は短かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?