恐竜元年:始まってからの二日間の物語

12:トゥシとヴァシェと三本角と少女

月が見下ろす夜明け前の荒野、目の前には数多くの《狩人》(ラプトル)の骸が転がっていた。エルデスを脅かしていた群れの一つがこれで壊滅し、第二師団の果たす役目がまずは上々の滑り出しと言っていい。
「……手ごたえがないな」
ふぅ、とトゥシはため息混じりに呟くと息絶えている竜、リーダーらしい特に大きな雌竜の背を軽く蹴る。ドンという鈍い音からもそれがもはやただの肉塊であることが良く知れた。
「一番小さな群れでしたしね」
この規模なら二人で十分だということだろう。ヴァシェは白い愛剣を横に振るい、払われた恐竜たちの血が夜の土に模様を描く。その形を見ながらゆっくりと表情を崩して
「僕の言ったとおりでしょ? まともに狩りもできないボンクラなんて敵じゃないって」
残忍な言葉が不似合いな綺麗な顔、だがどこか冷たい瞳孔をたたえた顔から零れる。
「まぁこれが仕事だ」
トゥシは倒れた竜の間を歩き、腹を切られただけでまだ息のあるらしい一頭、先ほど目の前に飛び出してきて尾羽を振りダンスを披露しながらも、ヴァシェの一撃に倒れた囮役の一頭に気がつくと喉に止めを刺す。低い呻きに近い悲鳴のようなものが聞こえたが、その声さえも蚊の鳴くようなものだった。光を失う直前の眼は、何かを訴えていたが、相手には届かない。
「人間相手はもうないさ」
飢えて弱りきっていた彼らにとって、現れた獲物、トゥシとヴァシェは最後の希望、贄の獲物だったのかもしれないが、彼ら二人にとってはその群れこそが殺戮の獲物だった。
「……このあたりは他に大きい群れが一つ、それに水辺の《長顎》(ディノスクス)と……《暴君》(レックス)か」
「あの森はかなり大きくて、深い所にまだ判ってない何頭かがいるらしいですよ、そういうの」
あくまでも噂、それもバードルの話でしか伝え聞いてはいないけれども、という背景を含みつつ、近づいてきたヴァシェは囮役をした一頭、最初の一撃を食らわせた竜の腿の腱を正確に突き、足掻く鉤爪の後脚を手際よく空へと切り取り、白い刃がふたたび空気を斬り踊った。舞が終わって彼の手元に戻る頃には足先と脛と腿に切り離された肉塊は弧を描いて荒地に転がり、少年は上々、とばかりに走り寄ると腿を拾い上げる。良く動かす部位の肉はティノの大好物で、羽毛がついたままのものを無理繰りに丸のみするのが特にお気に入りらしい。そのためのお土産のつもりだろう。なにしろ、馴れてきてから、あのヒナは自己主張が激しい。血の匂いをさせて手ぶらで帰宅すると、何かもらえるまでキィキィと甘えて煩いのだ。
「《三本角》(トリケラトプス)に小娘も、な」
色々がよぎって苦々しい口調のトゥシは
「竜と住む人間、か……そいつが一番やっかいだろうな……」
ぼそり、と呟き、その視線が自然と闇にある静寂の森の影を見る。
(竜と暮らす人間の恐ろしさは……よく知ってるんでな……)

トゥシがヴァシェに出会ったのは、アーシェントが滅びて年月が流れ、それにあわせるように凶暴になった竜たちが人間を襲うようになっていたある日。
「あんたが今日来たっていう旅の人?」
その集落の男が、確かに困った顔で泊まり客の彼を訪れていた。小さな灯火一つの彫りぬいた洞窟の小部屋にある彼は大きな身体に逞しい四肢、身には多くの刃がぶら下がり一目で戦いを生業としているだろうことが判る。
「ああ」
相手のやる気ない答え。何かの悩み事らしいことはすぐに判ったが、男には面倒ごとを引き受ける気はなかった。小さな集落では見入りもないし、これ、と見定めた女がいるわけでもない。一泊の礼は持参していた食べ物の一部でも置いていけば十分なはずなのだ。
「……あんた、竜は倒せるか?」
不安げな問い。刃を持つ男は何も言わず、じっと相手を見、
「実は……この村の先に《狩人》(ラプトル)の巣があるんだが……」
睨まれた方が萎縮して促されるように続ける。
「倒してほしい」
懇願。
「悪いがあいつらに興味はない。それとも、何か報酬はあるのか?」
流れ者の傭兵を雇うにはそれなりのものを持たせるのが慣わし。食べ物でも女でも水でも良い、ただし、相手が満足しなければならない、という難しい条件がつくが。
「いや……」
項垂れ、首がゆっくりと左右に振れる。
「なら、あきらめろ」
フンと鼻が鳴る。
「でも、明日にはヤツラはここに来る。あいつら、飢えてるんだ」
「だったら逃げるなり、籠るなりすれば良い」
狩られる獲物たる人間。守ろうとする術も逃げようとする術もないらしい。
「自分の村は自分で守れ。当たり前だ」
「……子供や年寄りが多いんだ……逃げる先もない……」
「だから何だ?」
歯切れ悪い相手に、言い訳にもなっていないな、と嘲笑。
「腹減らした竜が食えるものを食う、何がおかしいんだ?」
畳み掛けるような問答をしたところで埒は明かないだろう。だが相手は引き下がる様子もみせず、なら、と表情を変えた。
「……だったら、せめて、あのチビだけは殺してくれないか?」
「?」
「竜じゃない、人間だ。ただ、まるで手がつけられない暴れ者のチビで……ヤツラより性質が悪いんだ」
人間が人間殺しを依頼する。確かに、ついこの間までは人として有り得ない事までが、今では当たり前の話になった。
「チビ? 子供か?」
頷く男。子供を殺す、後味の悪い話だなと心が濁る。そんな彼を見透かしてか、
「見た目は五つにもなってないんだがな、ただのチビじゃない。あいつらに育てられた人間だ」
「?」
「言葉も話さないし、何考えてるのかも判らない。あいつらの巣で寝起きして、一緒にいやがる。すばしっこくて、平気で噛み付いてきて……」
有り得ないだろう、と思いながらも脅えた目と物言いに嘘が見えない。
「竜に育てられた人間、だと……?」
そのきつい物言いに何を感じたのか、
「ああ、そうだ!」
男は先ほどのまでの態度から掌を返し
「せめてあいつだけでも殺してくれ。あいつは……あいつは、生まれたばかりの俺の子を食いやがったんだ!」
激しい憎悪をぶつけてくる。人が人を食う現実。吐き気を催すような光景が一瞬頭をかすめ、トゥシは思わず眉をひそめた。
「赤子を食った、んだな……その餓鬼は」
恨みに満ちた目があうと、答えずにいられず、
「……いいだろう」
報酬は、無い。判っていたが、理性が理解する前に闘争本能が答えていた。

翌朝早く、太陽が顔を出す頃には彼はすでに狙う森に入っていた。目的の《狩人》(ラプトル)の中規模の群れの場所へ、風下から進み、音を消して慎重に近づいた茂みの向こう、そこに居るのは一回り小さい幼体が数頭と卵があっただろう窪みの後と盛り上がった土と……
――きゃははっ
確かに人間の子供だった。土にまみれた姿で服も着ていない。飾り羽がそろっていない若竜や綿羽の幼竜達とふざけているかのように跳ね、一緒に走り回っていた。
――きゅあきゃっ
その声も鳴き声に聞こえる。子供、男の子はまるで兄姉と遊んでいるかのようにラプトルの首にまとわりつき、相手も抱きしめ受け止めて甘鳴を繰り返していた。
(本当だったのか)
軽く眩暈がした。獰猛で狡猾で凶暴な狩人であるあの《狩人》(ラプトル)、その中でも最も美しく利口で凶暴で狡猾で危険と言われる《猟師》(サピエラプトル)が人間の子供と暮らし、しかも我が子と共に育てている。
(有り得ないだろ? どう考えても)
彼らに「育てさせる」何かを子供が持っているとでも言うのだろうか。
(いや、アーシェントなら、有り得るか?)
瞬間でそんな考えが通り過ぎた。アーシェントは動植物を操る力があり、人間を呪い、正気を奪い狂わせることができるという。あの子供がアーシェントの生き残りで、彼らを操っているとしたら……。
(だとしたら……とんでもないな、こいつは)
野にアーシェントがあれば、いつか人間に復讐すると伝え聞いている。アーシェントを裏切った人間を、彼らは決して許さないだろう、と。最悪を考えたとき確かにこの子供をそのままにはしておけない。アーシェント一人の力はそれこそ、一国の竜の軍団を従えるようなものだ。実際、目の前にいる子供はその齢にしてすでに奴らを従えているではないか。エルデスが皇女一人を人質として残し、残るアーシェントの全て、女子供容赦なく全てを根絶やしにした理由は、きっとそこにある。野に放たれたアーシェントは人間にとって、最も恐ろしい敵、最大の脅威なのだ。
(どちらにしても、このまま捨て置けんな。……やる、か……)
ゆっくりと刃を抜き、わざと回りこむようにして巣が背にしている崖を見上げた。横切っていく翼の群れの影。親竜達があの村に向かっているのだろう。翼竜はそのおこぼれを狙って群れを追い、方角が確かにそれを示していた。彼らが獲物をその胃に蓄え、獲物を咥えて戻るまで後一刻はあるはず。
(村が囮か)
つい浮かぶ嘲笑。確かに子供を退治する事は引き受けたが、村を守る事は引き受けていない。そしてその村は今日、確実にあの美しい殺戮集団によって壊滅するだろう。普通の《狩人》(ラプトル)であれば、食えるだけの獲物で満足するが、《猟師》(サピエラプトル)は獲れる時に獲れるだけ捕らえ、穴を掘って獲物を埋めて蓄える。だから必ず風通しの良い冷えた土と影のある場所に巣を作るのだ。その穴に、今日は多くの遺体が埋まる、それは判っていることだ。
(一つの村とあの子供、引き換えられる程の事なのか?)
自問して、答えはすぐに出ていた。
(いや、アーシェントなら……)
エルデスが血眼でアーシェントの生き残りを探しているらしい話を聞いた。アーシェントを捕らえ引き渡せば都市での身分と暮らしが保証される、と。エルデスは力ある者が人も物も欲しいままに手に入る都、そこで確実に力を得るための簡単な方法として、目の前の子供を攫うのであれば何と簡単な事か。
(だが、そうでないなら……)
どうするか? ふと疑問が過ぎったが、
(育ててみるのも悪くないかもしれないな)
ラプトルに育てられた人間の子供を雷竜と呼ばれた自分が育ててみるのも一興。この好奇心が満たされるなら、確かに見知らぬ一つの村を犠牲に引き換えても見合うはずだ、と自然に嘲りが期待に呑まれていった。

「トゥシ!」
成長した彼、ヴァシェの言葉に瞬間で今に戻ったトゥシは、うん、と呼ばれた方へと視線を投げ、
「!」
その先に三本角、大きなトリケラトプスと少女が居る事に気づく。予想よりもずっと角竜は巨大で、どれだけの時を経ているのか想像もできない。
(あれが……例の子供、か……)
都市の人間が竜子、蒼子、森の子と呼ぶ謎の子供。恐らくはヴァシェと同じように、恐竜に育てられている子供なのだろう。かつての話のように彼女がアーシェントの生き残りでエルデスへの復讐のために竜達を操っているとしたら……。バードルの危惧するとおり、彼女はエルデスにとって最大の脅威、下手をすればこの辺りを縄張りとするどの竜よりも性質が悪いと断言できる。
(それにしても、ぞっとする小娘だな)
流れる蒼い髪が月明かりの下で銀色にも見える。顔立ちはハッキリとは見えないが恐らく整っているだろう、アーシェントの女性は皆、美形だと聞く。後数年してから出会ってみるのも悪くないかもしれない。だがそんなトゥシには目もくれず、大きさには不似合いなほど大人しい角竜の背で彼女はじっとヴァシェだけを見つめていた。
(同族意識か? だがヴァシェはアーシェントではないぞ、人を呪い殺すことも、狂わせることも、他を操ることもできない)
同じく竜に育てられていた経緯を持つ彼を自然と彼女が見分けたとて不思議ではない。一方のヴァシェも視線をはずせないらしく、じっと少女を見ていたが、その表情は恐ろしいまでに冷たかった。
「……だから、何だと言うんです?」
聞こえない会話があったのだろうか、突然のようにヴァシェは声を荒げ
「お断りします!」
真っ直ぐな言葉が終わる前に、彼の手はティノへの手土産を棄て、柄を握っていた。
「トゥシ、あの子は……人間じゃない!」
激昂。そのまま若者はゆっくりと身体を屈める。その影は獲物を前に襲い掛かろうとするラプトルそのものにも見えた。
「……あの子は……敵です!」
敵。ヴァシェの口から毀れた言葉に、トゥシもゆっくりと構えを取る。だが、その二人を見、それでも少女は静かで、岩のような角竜も臆することなくノシと来た道を戻ろうと身を返す。
「待て!」
一歩走ろうとしたヴァシェ、だが、その足は地面に釘打たれたかのように動かない。
「待てぇっ!!」
叫ぶ少年。去る少女。
「?」
その間も、トゥシには彼女から敵意が全く感じられなかった。ヴァシェにそう感じさせる何か、自分には判らない何かが二人の間にあったのだろうか。
(どういうことだ?)
判らない。トゥシは静かに首を振り、
「ヴァシェ、落ち着け」
「でも、トゥシ!」
唸る相手。
「落ち着け」
雷竜はゆったりと歩み寄ると大地に転がった肉を拾い
「帰るぞ。ティノが待ってるんだろ?」

その空の月は、状況をいまだ把握できないまま戸惑う雷竜と去り行く角竜、歯軋りする獣脚竜をあざ笑い、幾多の星を従えて君臨していた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?