恐竜元年:始まってからの二日間の物語

06:タツマとユェズとショウ・韻

「雷竜のトゥシ。名前は聞いたことがあったけど……」
ユェズが誰となしに呟き、積み上げられた飾りを揃えて束ね、捨てる準備にかかっていた。滞りなく済んだ儀式の後、全ての飾りを取り払われて開放感に浸る竜達を視界に入れつつ、堅く反った軸に気をつけながら向きを合わせていく。二人が厩舎に戻ったのは昼過ぎだった。一方のタツマは飼葉桶を竜達の元へ運び、そっとその柔らかい首を撫で、
「よく我慢したね。そんなに何に怯えていたんだい?」
――コワカッタヨ、アノコ、コワイヨ
竜は低く唸るような声を咽から鳴らす。
(怖い?)
――アノコ、コワイヨ
(でも、その人がお前の主人だよ。もう、私じゃない)
――アノコ、イヤ
思わず使ってしまう力。ふとユェズを見、そんな自分に気づいてないことを確認すると、そっと飼葉桶を置いてやる。竜が怯えていたのは、大きな男、ではなく、彼の側に居た年端も行かない少年。可憐で、思わず見入ってしまうような魅力に溢れた彼ではあるが、タツマも言い知れない何かを感じ取っていたのは確かだ。
――ズット、イッショダヨネ? キミ ガ スキ タイセツ イッショ、コワクナイ
(私もだよ)
――イッショニ、イテ コワイノ
哀しげな瞳の汚れなき魂が懇願し、太く暖かい舌が伸びて戸惑うタツマの手を舐め、
「随分な懐きようだな」
朝の一仕事を終えた韻がその姿に何を見たのか、穏やかに現れる。
「韻様!」
二人が二人とも慌てて手を止め頭を下げると
「ああ、そのままでいい。今日はご苦労だったな。有難う、君たちのおかげでとても良い竜を渡すことができた」
韻は主人らしい労いの言葉をかけた。が、その表情が曇ると、
「だが……正直、彼らを歓迎してはいないのだ。注意してくれ」
潜む声。驚くユェズと、納得した顔のタツマ。韻はその反応も予想済みなのか続けた。
「ダブスの息のかかった荒くれだからね」
「はい」
タツマが静かに返事をする。
(確かに、彼はとても危険な人間です。竜をここまで脅えさせるほど)
「しかし、一人は子供でしたね」
と、ユェズ。
「ああ、彼の弟だそうだよ。まぁ、恐らくは引き取って育てている子供だろう。彼が育てる子供というだけで末恐ろしいものがあるけれどもな」
と続けながらも
「あの見かけだ。今日の行幸で、あっという間に都市の人気をさらってしまったようだし、陛下や後宮の女達も大層な気に入りだよ」
困った顔をする。しばらく都市はこの第二師団の話題で持ちきりになるだろう。
「あまり良い事ではないのだがな。今いたずらに軍を強めたとて……」
言いかけて、
「ああ、これは、ここでの話にしておいてくれ。取越苦労であればそれに越したことはない」
やはり気配りの利く人である。すぐに話題を切り替えた。
「……ところで、住まいの方はどうだね? 半ば無理矢理に娘の元へ決めさせてしまったが……。皆ともうまくやっていると聞いているが」
「はい。とても良くしていただいてます」
気持ちの良いタツマの返事に、何よりだ、と満足げな主人。
「ハセとベナートには、下宿でも色々と教えていただき、とても助かりました」
出会った頃はまだ見習いであったハセとベナートだが、晴れて韻家の侍従士として今は働いており、下宿からの独り立ちも近いだろう。貴族の屋敷に勤めるために必要な礼儀、知識、立ち居振る舞い、については、屋敷で習うだけで足りなすぎ、二人からの補習はとても有り難かった。
「そうか、私からは何も言うてはおらんのだがな。お前達がしっかりやっておるから、あやつらも自然とそうしたのだろうよ」
謙遜とした言葉だが、誇らしさがにじむ。
「人に教えると、自分に何が足らぬのか気づくと言うし、それで自らで補おうとしておるのだろうな、ハセもベナートも。それは、もちろん、そなたらも、だが。知らぬのは良いのだ。大事なのは、知らぬことを知らぬままにせぬことだ」
と言い添えて締めくくる。
「もったいないお言葉」
優雅にタツマが頭を下げ、そのやりとりを静かに見ていたユェズの、チクリとした心の痛みが自然と彼に伝わるが、気づかない振りのまま静止。
「顔を上げて良いぞ、タツマ」
「はい」
命令に忠実に従順に。
「そういえば、ユェズよ」
「はい」
「お前、あの蒔(まき)の鼻をへし折ってくれたそうじゃないか!」
楽しげに、朗らかに笑う。蒔(まき)は相変わらず門弟の身分で、下宿からシージップ家の私学に通いたい時に通い、遊びたいときに遊び、何も変わらない。だた、一つ、変わったとすれば、一目置く人間が増えた、くらいだろうか。
「韻様、僕は折れるところまではやってませんよ、やり過ぎたとは思ってますけど、それは、悪かったなって思ってますけど……」
言い訳めいた返事を追うように主は
「ははは、そうではない。あやつの心の鼻よ」
「心の?」
「良いのだよ、そなたはそれで良いのだ、ユェズ」
そして優しい顔。その線は少し、大君、今は亡きユェズの父に似る。
「……うむ、あやつには良い薬だ、問題ない。これからも頼むぞ、二人とも。……さて、おしゃべりが過ぎたな。午後は強化鍛錬があるので遅くなる。お前達は朝も早かったことだし、後は好きにして良いぞ。たまには息抜きも良いものだ」
襟を正してきびすを返すと、挨拶代わりに軽く手を上げて宮殿へと戻っていく。タツマとユェズは再び深く頭を下げて主人が去りゆくのを見送り、その態度はそれこそ、主人と奴僕の日常の風景そのものだった。


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