恐竜元年:始まってからの二日間の物語

08:タツマとスグリムとユェズと独楽

太陽が地平線に惹かれようとしていた。午後は休めと言われたに関わらず、真面目な二人にはまだ「息抜き」にどうすればよいか、何をしてよいのかが判らなかった。結局はいつもと同じ仕事をし、いつもと同じ日常、いつもと同じ道を帰るという変わりない平凡を選び、いつもの時間に門番に礼をし、いつものように真っ直ぐに下宿へと向かう。竜の皮を着る奴僕は白の門から夏至門までの大通り以外を通ることは許されず、警備の兵士達の視線の中、それを当たり前として、彼らは口をきくこともしない。
「今日は長く感じたなぁ」
ユェズが足下の影を追いながらボソリとつぶやいたのは、夏至門をぬけてすぐのことだった。竜のお披露目に第二師団との出会い、記憶をたどりながら傍らのタツマをちらと見るが、当の彼はずっと何か考え込むそぶりでうわの空のようだ。
「タツマ?」
再度呼びかけても、ああ?と相手は生返事で
「すまない、どうも気になってしまって」
何を気にしているのか、は何となく判っていた。儀式の後からずっと、そうだったのだから。
「あの……少年ですか?」
歩きながら、静かに頷く。
「彼は、私達に近いのかもしれない。確かではないのだけれど……」
「私達に?」
思わず繰り返す重い言葉。
「そう言えば、この世界にいる全ての人は私達の子孫だと、父がよく……」
「離れて代を重ねていくと、力を失っていくらしいけれどね。まぁ、そうでなくては、確かにこれだけの人が集まって都市を築くことはできないだろうし」
聡いタツマらしい補足。
「ただね、ユェズ、時々、人の間にあっても恐ろしく強い力を持つ人が生まれる事があるとは聞いていたんだ。ほとんどは小さなうちに死んでしまうらしいのだけれど……」
意識するしないにかかわらず、心に流れ込んでくる様々な生命の意識と想い。人の間に生まれてしまった不幸な子供はそれを防ぐ術がないまま、物心つく頃には毒ともいえる力に蝕まれて耐えられず狂死する。強い力を残したままのアーシェント達が同族で集い、その中で子を育んで他との接触を極力さけてきたのは、確実に生き残り、種族を維持するためにも必要なことだった。離れてみて、それが確かだと今なら判る。
「でも仮に本当にそうだとしたら……あの子は……今までに一体どれだけの辛い想いを、苦しみを経てきているのだろう、と考えると、つい、ね」
あの少年がもつ心の奥底の何か。触れようと思えば簡単にその蓋を開けることが出来るだろう。だが、それが正しいことなのかと問われれば、今のタツマは、否、と答える。相手の為にも、自分の為にも。己の力を自覚すればするほど、「人」でいることの難しさと、危うさを感じ、一方で、それでも「人」でいたい、と思う自分の何かが、ここでの暮らしを重ねるほどにしっかりと根付いているのが判っていた。
「とても明るい人に見えましたが……」
一方のユェズは、タツマの持つ、人に対する独特の嗅覚とも言える感性が自分の理解の範囲を越えていることを自覚しているのか、タツマにそれ以上何も言わなかった。
(やはり貴方はアーシェントの王となるべき方だったのだと思います、皇子)
そして何より、傍らにある彼に、主従関係を捨てたとは言え心の奥底ではやはり主人として彼を尊敬し、仕えている気持ちが変わってはいない。だからこそ、水を汲み、竜を磨き、韻に仕え、奴僕として働き、頭を下げ地に膝をつける彼の姿に心が痛む。
「タツマ」
「何だい? ユェ――」
不意に、ドン、とタツマは後ろに衝撃を感じ振り向くと
――あっ!
手にあった包み、毎日棗(なつ)が持たせてくれていた自分達の手弁当がはいった籠の包みが他の手に奪われていた。突然の事に戸惑うタツマより、
「このっ!」
さすがにユェズの反応が早い。走る影を追い、その先、大通りから細い裏小路へと走り、見えなくなる。その先には、あの、南への道が。
――いいか、南へは絶対に行くな
その隙間に滑り込む、蒔の忠告。
「ユェズ!」
躊躇い出遅れたタツマも走り出し、
「ユェズ! 待て!」
追う。いくつかの慣れない小路を勘で曲がり、建物の影がかぶさる裏路地への入り口で完全にユェズの気配が消えた。これ以上踏み込むのはいけない、なぜかそう感じたタツマは途方にくれたかのように
「ユェズ!」
もう一度名を呼ぶ、が、返事は無い。
「よう」
が、その代わりなのか後ろから見知らぬ男の声がした。
「あの黒いのはユェズってのか」
(敵意)
瞬間で察知したタツマだったが、
――!
泣きながら両手を広げ、何かを捜し求める幼子をその声の主に感じ取ると
「あなたは?」
それでも恐れず、ゆったりと受けた。
「にしても随分紅い髪なんだなぁ。近くで見ると笑っちまうくらいに、目立つわ、お前。隠すとか何とかなかったのかよ? 殺してしてくださいってか?」
じりじりと歩み寄って来る相手。容赦ない敵意が全身を噛む。
「……あなたは?」
再度、その噛まれる痛みに臆することなく、相手からの落差ある感覚に戸惑いながらタツマは尋ねる。
「誰です?」
「知る必要なんてねぇだろ?」
子供の影が消えて全身から殺気と憎悪が立ち上るのを知る刹那、避けようとしたタツマに走りこんできた男の膝が
「かっ、はっ……」
鳩尾を直撃して、無理矢理に止められる呼吸。ぐっ、と低い小さな呻きと共にそのまま崩れようとした身体が受け止められ、暗がりの路地へ引き込まれると敵の大きな手が容赦なく首、喉笛を捕らえて壁に力強く押し付け
「折るか絞めるか切られるか、どれがいい? 選んでいいぜ」
物影の闇に浮かび笑う白い歯。
「残念だなぁ、女だったらたっぷり楽しませてやるってのにな」
「……どちら、も、ご……めん、だ」
タツマは強い意志で日焼けした硬い腕を取り
(君はなぜ泣いている? 何を探していているの?)
「!」
その心に沁みこんでいく。
(何だよ! お前!)
(君はどうして泣いているの? 私には君の泣き叫ぶ声だけが聞こえるんだ)
(来るなっ!)
渦を巻く闇の中、独りで泣いている子供は
(くるなっ! みんな大っ嫌いだ!)
全身の毛を逆立てるように虚勢を張る。
(母さんを返せ! 皆を返してよ!)
途端、闇が焔の色に変わり、吹き込む。汐に混じって鼻に潜り込む焼ける匂い、肌に突き刺さる熱がタツマにそれが現実であることを教え、
(ここは……どこ? 戦場?)
「スグリム!」
すぐ傍、その子の名を呼ぶのは見知らぬ女性。短く波打つ髪を振り乱すようにして、必死の形相で固い貝殻に固められた小さな扉を閉じようとしている。
「スグリム! ここにいるのよ、じっとしているのよ、何があっても出てきてはだめ!」
扉に強く語りかける。
(これは……)
「碧(みどり)さん! はやくこっちに!」
「おかあさん!」
外の女達に口々に呼ばれた女は、すぐいきます!、と声だけを投げると
「生きて、スグリム。せめて、お前は生き抜いて!」
細い全身から溢れている我が子への想い。不思議と、知らぬはずの自分の父の想いが重なる。
(エルデスの軍勢が……来ている?)
飛ばしてみる意識。欲望に駆り立てられた人間と恐竜の集団が焔を食いあらしながら跋扈する。逃げ惑う人々の恐怖と侵略者達の殺戮の歓喜が身体を食い破り、タツマの全身から汗が噴く。
(これを、あの子は見ていたのか?)
瞬間、碧(みどり)と呼ばれる女の後ろに立つ、人影たち。そして、襲いかかる、欲望。
(やめろ!)
人が人を……。途切れそうになる意識と激しく蠢く肢体と荒くなる呼吸。隙間から、それを見ていた少年の瞳。
(こんな事が……起きていたのか? この世界で?)
初めて知る、絶望に満たされた空間、世界、時間、光景。戦争、諍い、蹂躙。
(だめだ! こんなことは!)
認めたくない、だが、これは、現実に起きた。
(あいつらは、まとめて殺す! でも、簡単に殺す気はねぇ! 同じだけ、奪ってやる、壊してやるよ!)
深く刻まれて満たされ、あふれ出る彼の憎悪が、自分が保っている何か、彼を保っている何かを力ずくで割ろうとする。
(だめだよ、それは、ダメだ!)
心の鍔迫り合い。二人をそのまま包んでいくその荒れ狂う蹂躙の炎、ふと、次の瞬間、男、スグリムの気配が、違うモノに変わる。
「君は……」
あう視線。
「久しぶり、なのかしらね? アーシェント」
真っ直ぐに立つ少女。エルデスへ入る直前に出会ったあの蒼く冷たい存在。
「彼の憎しみって凄いでしょ?」
幼いはずの唇が不似合いに艶かしく笑う。
「彼って何でも欲しがるのに、どれも欲しくないって言うのよ、違うんだって言うの」
思わず浮かべてしまう嫌悪の表情に
「殺しても殺しても、まだ、足りないのですって、人って皆そうよね。欲しがって奪ってばかり」
突き放す言葉。
「見て、この街。人が作り上げたものを、人が壊しているのよ。人はただ、殺したいから殺すの、奪いたいから奪うの」
吐き気を催す嘲笑。
「ねぇアーシェント、それでも貴方、人でいたいの?」
呆れたように尋ね、一歩飛び跳ねるようにして近づくと
「ねぇ、覚えてる? 初めて会った時に、私が言ったこと」
蔑む視線。哂ったまま彼女はまた一歩近づき、
「私、彼にね――」
「タツマっ!」
飛び込んだユェズの声と、影と、男のうめく声。瞬間で闇と炎と子供と少女が掻き消え、視界の隅で何かが動く。
「てっ……」
派手に蹴り飛ばされたらしいがすぐに体制を起こした男、恐らくはあの少年だった存在、スグリムという名の男にもう一人の男、荷物を奪い去った男が寄り添うと対峙する。
――ユェズ?
戻ってきた。そんな安堵も冷めやらぬタツマの前に立ち、
「何が目的だ?」
睨み付ける華奢な姿。相当に怒っているらしいことが容易に判る。
「参った……お前、強すぎ……」
派手に頬を蹴られたらしい、腫れた顔で喜ぶ悪漢。
「独楽振り切ってこの俺にケリ入れるって……面白すぎる、どんだけ早ぇんだよ、お前」
「タツマに触るな、下郎」
自然と出てくる物言いに相手はフと口元が緩む。
「下郎、ねぇ……これはまたお上品な……ってことは当り? お前ら、アーシェントだな?」
その問いを返せば、相手はアーシェントを狙う者だと名乗るようなもの。
「悪いが、私たちはアーシェントではないよ、スグリム」
もはや、という言葉を呑み、首をさすりながら、タツマはゆっくりと立ちあがると
「言いがかりで命を狙われるのはたまったものではないね」
「お前、俺の名を?」
知られ、相手は少し躊躇う。
「俺の名が、なぜわかった?」
イラついているらしい言葉に、さぁ、とわざと恍けるタツマ。
「タツマ、大丈夫?」
チラと視線を投げながら、大丈夫だろう、と念を押すようにユェズ。
「お前ら……」
スグリムの相方らしい男はタツマの包みを手にしたまま、強い警戒感で見据えるが、一方の相方は楽しそうに
「おもしれぇ……。特にお前、綺麗な顔して気にいらねぇ、細っこいくせしてつぇえとか、気に入らねぇ」
欲望のままに生きる男。彼の興味はタツマからユェズへと移ってしまっているらしい。
「お前を殺してぇ」
「……やれるものならね。今度は顔だけで済まさないよ」
頭に血が上ると挑発に乗りやすいユェズの性格は直りそうにないらしい。
「いい顔だ」
顎をしゃくるようにして、男はそれでも快楽がとめられないのか。
「お前……殺す。殺してやる」
静かに上がる右手。指がゆっくりと曲げられて拳となり、
「嬲り殺して、そのお上品な面、ぐちゃぐちゃにしてやるよ」
本気の言葉。何を想像しているのか、ふてぶてしいまでに視線の奥の笑いが消えない。
「ユェズ!」
近寄ろうとしたタツマの首元に
――うっ
瞬間で光る白く骨を削りだした短剣。
「大人しくしてて。この場でそっちを殺すのは簡単なんだけど、あいつはああなると好きにさせるしかないんだ」
一対二では確かに分が悪い。背後に回られたユェズはイラついたように視線をめぐらせ
「もう一度だけ言う、タツマに触れるな」
静か。だがそれでも全身から殺気が立ちのぼる。
「君らに恨みはないよ」
返す相手。確かにその突きつけられた刃に殺意が無い。
(アーシェントでないなら、確かに殺す義理は無いんだ。言いがかりで、悪い、ごめんな)
思ったよりも優しいらしい目の前の男の本質。すぐに感じ取ったタツマは
「大丈夫だ、ユェズ」
なら、と受けた彼も目の前の漢に集中した。
(何だろう、この嫌な予感は……)
いつもの頼もしい細い背を見守りながら
「ユェズ……」
「心配なのか?」
傍らにある相手が声をかけ
「……嫌な感じが、胸騒ぎがする」
思わず零してしまう本音。
「でも、信じてるんだろ?」
尋ねられ、つい、頷く。
「だったら、信じろよ、タツマ。俺はスグリムを信じてるぜ」
呼ばれた名が心に響き、
「……君は……」
「俺は独楽(こま)。わけあってアイツといる」
敵意のない言葉。
(お互い、後腐れなしってことさ)
強い友情に支えられた信念が聞こえ、それは確かに、自分とユェズの繋がりと似ている。
(……そうだ、ユェズはいつも……)
――これからも……シン・ユェズは、生まれた時より、あなたの友であり、『しもべ』です
いつも影のように傍にいて、静かで熱い乳兄弟。直系に生まれながらその力が全く無く、姿さえもアーシェントには程遠い。だが彼は、このエルデスの人の間にあって時に酷く傷つくタツマを支え、護ってきてくれた大切な存在。
「ユェズ……」
だが今、敵に向かおうとする彼へ、心の怯震が止まらない。
(私たちとあの男は戦ってはならない……!)
あの男はユェズ、ひいてはアーシェントにとって恐ろしい存在、何かが、そう告げている。
「タツマ! ユェズ!」
突然割って入ったのは、蒔の声。
「何やってるんだ?」
事態を把握していないようだ。だが、
「お前!」
スグリムに気づくなり、その表情を硬くして構えを取る。
「お前……、黒スグリだよな、あの南の賞金首……」
ユェズに伸されたとはいえ、彼もそれなりに腕は立つ。
「ふん……割って入ろうってのか? ひっこんでろよ、雑魚が」
視線を合わすなり、朗らかに狂気を含んだ侮蔑だが
「ユェズだけじゃ不足だろ? 悪いけどこっちもそれなりに腕あるしさぁ」
いつもの落ち着きない態度で手首を回し、蒔も受けてたつ。ユェズはチラとだけそれを見、無表情で動こうとしない。
「はっ、冗談!」
スグリムの血走った眼が
「……ま、今日はここで退けってことか」
サラと優しいそれに変わる。
(避けられた……のか?)
拍子抜け。その一方で、暖かい安堵の呼吸が自然と漏れ、
「アイツは気まぐれだ。いつもの事だよ」
そんなタツマに独楽がその手にあった包みを返し、
「そら」
「あ、有難う」
「大事な物なら、もっとしっかり持っとけ。お前、隙だらけだぜ」
呆れたように話しかけてきた。そう、まるで昔から見知っていた友人、のように。

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