恐竜元年:始まってからの二日間の物語

03:トゥシ・怒槌とショウ・韻

その日、空に雲一つない快晴の日、トゥシとヴァシェの目覚めはいつもより早かった。昨夜までの連日遅くまで今日の事、今日からの事のために起きていたというのに、その寝不足の影響が全くないようで、むしろ程よい緊張が心地よいのか、洗った髪、研ぎ直した剣、この日のために誂えた新しい服のすべてが新鮮で、高揚を抑えきれないでいる。だが、その足元ではその空気が伝染したらしいティノがピィピィとヴァシェを後追いして落ち着きがなく、時々はトゥシに構ってくれと、ヴァシェに遊んでと、とにかくまとわりついては叱られ、慌ただしい空気にさらに拍車をかけていた。
「ティノ、静かに、良い子にしてて」
――キュ!
反抗期なのか、ちょっと甲高い声。わかったから、と、ヴァシェが綿毛がまだ微かに残る翼竜の羽頭を撫でようと手を伸ばしたその時、
「時間です!」
天幕の向こう側から声をかけた若者は、つい先日まで共に庭で鍛錬に出ていた仲間。だが、今日からは、トゥシ・怒槌(いかづち)を当主、ヴァシェ・怒槌(いかづち)を世継ぎとする怒槌家、この都市に生まれた新しい貴族と、その家に仕える侍従士という一線が引かれる。
「判った! 出る!」
トゥシが溌剌と応え
「はっ!」
外の若者も、その侍従士らしく、引き締まった声で受けた。
「ヴァシェ、行くぞ」
「はい」
肩越しに振り向く兄と、それを眩しげに見上げる弟は天幕を引き、日差しの下、いつもの稽古の庭に出る。出迎えた群れの先頭、いつもの陣形隊列の先頭に、塚森・ミササギがいた。顔を縦に割った生々しい傷は美しい刺しゅうの綾で覆われ、身体の大きさもあって傑物の威厳に溢れている。
「塚森殿、殿(しんがり)の大役を引き受けてくださり、感謝する」
トゥシがゆったりと声をかけ
「何を言う、新しいバードル家の盟家が増えたのだ、塚森家の当主としてこれくらいのことはする」
ミササギは先月、跡取りから当主へとなった。塚森家も、怒槌家と同様に、バードル家によって貴族となった系統家、それから三代続いていることから盟家の中では最も古く格もある。今思えば、その男を相手にあれだけのことをやったヴァシェに何のお咎めも無かったのは奇跡かもしれない。
「それに、やられてばかりではこちらも面白くはない」
だがそこはやはりミササギだった。きちんと嫌みを言う。位を賜る儀式の殿(しんがり)は、その家が最も強い結びつきがあるとされる同格もしくはそれ以上の家から出るのが慣わしで、それをバードル家が推す塚森家の当主が務めることの意義はとても大きい。
「綺麗ですね! その刺しゅう!」
堅く緊張した空気をも容赦なく切り裂けるのがヴァシェの天然の性質なのだろう。
「なんて素敵なんだろう!」
見上げてくる真っ直ぐなキラキラした感情に、相手は、う、と一瞬たじろぎ
「これは、この日のために、とある方がくれたものだ」
「大事なものなのですね!」
「ああ、そうだな。俺にとっては、大切なものだな」
この刺しゅうの彼女は先日、バードル家の命で後宮へと旅立ってしまった、皇帝の妻となるために。だがそのことは、さすがに喉に押し込める。
(もう、会えることはない)
つい、それ以上の言葉を漏らしそうになるのは、この目の前の少年があまりにも無邪気で素直で、ただ広いだけの空を必死に殴りつけようとしている自分に気づかれさてしまうからだ。それを知ってから、肩の力が随分と抜けた気がしている。
「怒槌(いかづち)殿、往きは徒(かち)となるが、復りは竜車に乗ることになる、バードル様からの辞、よろしく、とのことだ」
「あい判った。皆、参る!」
一声、全員が背筋を伸ばし連れ立ってバードル邸の門を出る。邸宅の正門から王宮への道はまっすぐであれば一刻もかからないのだが、発起人であるバードル・ダブスの意向で、一旦、北の内壁を出て大通りを抜け、朝の市がならぶ広場を経由し、街道と北の三屋敷を一筆書きに全てなぞりながら遠回りすることになっている。シージップ邸、奥羽邸の前を通りこの行列を見せつけておきたい、その心積りもあるのだろう。

噂が現実となった、新しい軍の誕生。一糸乱れぬ訓練された集団の来襲に気づき、その光景を見た朝市の人々はその手を止め、ある者は家へと走りこみ、家族を呼んでいるようだ。彼らがその都市の広場を過ぎる頃には、すでに人々が鈴なりで彼らを迎え見守っていた。その人ごみを見、思わず緊張した先頭の二人だが今はそれ以上に誇らしい気持ちにあふれ、決して俯くことはない。
――第二師団、期待しておるぞ。
エルデス皇帝直属近衛第ニ師団は、都市外の恐竜の討伐と都市内の治安を護る役目を担う特別編成部隊として、皇帝の一声で誕生した。その新しい制服、両肩につけた鎧竜の鱗を加工した紋章には新しい印、翼竜プロダクチルス・プテラノドンの雄々しい姿が刻まれ、その肩から腰にかけて巻きつけられた綾には贅沢を尽くした虹色が見事に朝の光に反射して美しい。そして大柄でいかにも武人らしさを全面に見せるトゥシよりも、危うさと可憐さと知性を秘めた美少年の方が遥かに人目を引いていて、どうやら一日にしてエルデスには新しい英雄が誕生したようだ。
(お前、目立ってるな)
(そんなに、僕はおかしいでしょうか?)
(逆だ。似合いすぎる)
並んで前を見据え歩きながら、二人は静かに会話していた。群集の見守る中、彼らとその後ろにさらに付き従う部隊総勢七十四名は真っ直ぐ宮殿へと進み、
「……あれが雷竜のトゥシだよ」
人々が畏怖を込めて囁くのが聞こえる。かつていくつかの都市を渡り歩いた傭兵、エルデス軍にも怯むことなく応酬し、その都市の陥落を数日遅らせた程の武将にして名将。一人で《暴君》(レックス)と戦い勝利したという話は語り草だ。その男が今度はこのエルデスで恐ろしい巨竜やならず者と戦い、彼らから自分達を護ってくれる。都市の弱き者達はそんな希望をこの行列に見出しているのだろう。
――そう、この都市を護り、民を護り、皇帝を護るのが俺達の役目
注がれる人々の視線を集めながら、自然と身体が熱くなる。太陽に見守られて数刻、息も乱れぬことなくやがてたどり着いた内壁を抜けた大通りの北の終点、その宮殿へと続く「白き門」の前で、皇帝近衛隊第一師団、ショウ・韻が彼らを待っていた。儀式にあわせた礼服を気品良く着こなしており、年齢相応の落ち着きと優しい性質をそのまま綾に纏わせている。肩には第一師団の紋章、角竜の横顔が陽に輝いていた。
「おはようございます。韻殿」
「おはようございます。怒槌(いかづち)殿」
ひと通りの挨拶をすると、韻は後ろに控えていた二人の奴僕に何かを命じた。程なく彼らがそれぞれに飾られた立派な獣竜を連れてくると、その良さが一目でわかったのか、トゥシは、ほほう、と漏らし、
「これは……見事ですね」
「身体ががっしりとしているし、毛艶も素晴らしいですよ。あなた達が世話を?」
無邪気な笑顔でヴァシェは竜の手綱を持つ華奢な奴僕に声をかけ、
「ヴァシェ。気安く声を掛けるのは止せ。彼らは韻殿のものだ」
いきなりに話しかけられて戸惑う黒髪の奴僕を前にトゥシが思わず語気を強めた。貴族の跡取りと奴僕とでは会話どころか対等に顔を合わすことさえ許されないほど身分に差がある。ましてや自らの奴僕で無い者に声を掛けるなど、礼儀知らずも甚だしい。
「韻殿、申し訳ない。弟には改めて礼儀作法を仕込みます。お許しいただきたい」
いやいや、と相手は
「お気になさるな。思わず聴かずにはおれぬ程の竜ですからな、さすがに判っていらっしゃる。私も今朝、陛下の御前にも係らず思わず褒めてしまってな、なかなか恥ずかしい想いをしてしもうた」
さりげない気遣いはさすがだ。そのままでは部下達の手前、確かにヴァシェの立つ瀬がなくなっていた。
「これらは陛下よりあなた方への賜り物です。お使いくだされ。後、世話はこれからも、彼らに任せるつもりですが、よろしいですかな?」
目配せし、奴僕の二人は頭を下げた。赤い髪の青年と、黒い髪の青年。よく躾られた従順な奴僕と見え、彼らごと貰い受けてもかまわないのだが、とトゥシは一瞬考えて、すぐに否定した。彼らの所有権を韻のままにしておきたいのは、恐らくは、三権者の一人である彼らの後ろ盾バードル・ダブスへの牽制もあるのだろう。
「もちろんです」
含むところを理解して、トゥシが経験豊かな武人らしく颯爽と答えると
「エルデスでは久しくなかった儀式ですからな、良い日取りになって何より」
受けた韻も朗らかだ。
「ええ、我ら一層、皇帝陛下の為に勤めを果たしてご覧に入れます」
並び立つ両雄。名にふさわしい存在感が漂う。
「では、参りましょう。謁見の議、陛下がお待ちです」
貫禄ある老兵の合図で、ゆっくりと白い扉、竜たちの骨で固く作り上げられた門が開かれる。第二師団は宮殿へ、そしてその頂上の広間へと一糸乱れぬ足取りで上り始め、その先頭に韻、最後に賜った獣竜とそれを引く奴僕が続き、行列が過ぎ去ると、再び門は閉ざされていった。

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