恐竜元年:始まってからの二日間の物語

15:トゥシとヴァシェとバードル・ダブス

バードル邸は昼食の時間を迎えていた。主の居室から間続きの食卓室、主と彼が認めた客人のみが使う部屋に三人分の料理が用意され、主の横に侍従、卓を囲んで数人の侍従士が隙の無い動きでテキパキと世話を焼く。皺一つない羽毛を織り込んだ綾、水を弾くように作られている特別で高価な白い敷布をかぶせた立派な円卓には、主食であるシダの実の粉を練り上げた団子、貝の蒸し煮、魚肉がたっぷりと入った大椀が銘々にあり、希少な球果の柔らかいところだけを削り出して練りこんだ煮凝りに色彩豊かな海藻も盛られていた。中央のひときわ大きな皿に家畜竜の若子の丸焼きが鎮座し、それを囲うのは茹でられた卵の絞り飾りと蓮根の煮物。その横には口直しの甘銀杏も大鉢にある。
「報告は聴いた。ご苦労だったな。後始末も無事に済んだようで、良い素材と肉が集まったと皇帝陛下からお褒めの言葉を頂いたぞ」
ダブスは上機嫌で切り分けられた足肉を器用に匙で頬張っていた。その手元には愛用の陶器の鉢が置かれており、手や口中が油で汚れるたび、彼はその水で汚れを落とし、その汚された水は容赦なく窓の外に捨てられ、新しい水が手差しから満たされる。この水は、かぶれやすい肌と壊しやすい胃腸を持つ主の為にだけに掘られた特別な井戸の貴重な湧水で、下男下女達が朝から晩まで途切れることの無いように運んでくるものだ。
「それは上々、よろしゅうございました」
らしくないような畏まった口調でトゥシが応える。手は休まらず、好物の貝の蒸し煮を口に運んでいるが。
「残りの連中も近々、そう期待して良いのだろう?」
「もちろんですとも」
屈託の無い会話。トゥシと話すときのバードル・ダブスは本当に生き生きとしている。ヴァシェが侍従から聞いた限りではあるが、多くの妻と愛人を持ちながらも子供ができたことがなく、本来臆病な性質である彼はとても孤独なのだという。
(きっとそんな彼にとって、トゥシは……)
「!」
思い巡らせながら、いつものようにいつもの団子を一口食べて、思考を止めて一呼吸。驚きで目を丸めているような表情をする。
「ヴァシェ、いかがしたか?」
走る緊張。尋ねるバードルに
「今日の団子……」
「団子?」
「いつもに増して美味しいので、驚いています」
素直な少年の返事。思わず相手は、はっはっはっ、と豪快でいて上品な貴族らしい笑い方をして
「そうか、気付いたか! 今日のはな、海まで貝と海藻を取りに行かせたついでに、浜辺の紫草から摘ませたものなのだ。その草は団子を茹でる際に湯にいれておくと特に美味くなると聞いておる、うちの膳所預かりは、エルデスでも指折りだからな!」
誇らしげ。都市から一番近い浜辺までは、獣竜の駆け足で往復して半日はかかる。その道中も命がけであり、確かに、それをさも日常とするあたり、三権者と呼ばれる大貴族の暮らしが多くの侍従侍女、下男下女奴僕に支えられたものであると判るだろう。
「私から、あ奴らを褒めておいてやろう。ヴァシェが喜んだと知れば、大層嬉しかろうて」
初めて謁見した時から想像もできない程に、バードルとトゥシ、ヴァシェは打ち解けていた。トゥシとヴァシェはバードルに対して目上で接してはいるが、バードルは二人を名前で呼ぶ。怒槌家となった二人は貴族の身分となったため、新しい屋敷が与えられているのだが、ティノのこともあって、そのまま離れに居候を続けており、今では家族同様の立場といって良い。
「朝まで働いてくれたのだからな、たっぷりと食べていくがよかろう」
そして侍従に合図すると、彼はきびきびとした手つきで、丸焼きをさばいていく。特に美味しいとされる腰の肉、骨の間に眠る軟骨を抱く貴重な部位を丁寧に分け、
「ああ、そこは二人に。私は首のところをもらいたい」
さりげなく指示する。皿に盛られた肉、卵、魚、葉、実。彩も匂いも味も文句のつけようがない贅沢な食事。これが特別でなく、日常茶飯事であることが、貴族であるということなのだろう。
「確かに、固い貝ってのは食えたもンじゃないが、これは柔らかくて美味い」
物事にこだわらず、どちらかといえば無頓着なはずのトゥシも思うところがあるようだ。大食漢で健啖家らしい豪快な食べっぷりで、残るものが無いのではないかと少し心配な気持ちになる。実際、貴族の食事は毎度食べきれぬ量を作り出すのが慣例で、それらを全て食べる事は不調法とされ、余らせなければならない。残りは侍従侍女、下男下女達へと下げ渡されていくのだ。足りぬ量を出すのは主人に対する謀反となり、最悪の場合には生命をもって詫びることもあり得る。
(トゥシ相手じゃ……ちょっと可哀想かも)
少年の脳裏にはチラとそんな事が過ったが、その分を自分が残しておけば、恐らくはお咎めも無いだろう、と屋敷で働く者達をさりげなく気遣う。
「うん……美味しいものを食べられる事は、とても有難い事です。バードル様、感謝します」
改めて、の気持ちをこめてなのか、ヴァシェは輝く笑顔でちょこんと頭を下げた。その胸中では、初めて食べたバードル邸の食事、団子とスープと茹で物だけの食事も嫌いになれず、また食べたい、そう思っていたが。

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