ジャン=リュック・ナンシーの分有について

○はじめに


 ジャン=リュック・ナンシーの「分有」というタームは、その著作中に非常に多く見出される。しかも、それはおそらく彼の哲学の中心的なものである。彼を有名にした『無為の共同体』においても、分有は重要なモチーフである。
 しかし、分有それ自体がいかなるのものなのかという言及は多くない。この言葉はその使用において意味を示されており、あえて辞書的に「分有」を説明していないようにも見える。
 とはいえ、さしあたり「分有partage」という言葉は辞書的に見ると「分かちもつこと」と「運命」であるが、ナンシーはそれを存在論的に解釈し使用している。この存在論的に使われている「分有」の基礎にあるのは、ハイデガーである。また共同体と分有は非常に密接に関係している。この共同体的な意味での「分有」の使用は、バタイユから発していると考えられる。というのも、『無為の共同体』はナンシーのバタイユ論とも言えるからだ。
 であれば、ナンシーが参照しているハイデガーから、あるいはバタイユからこの語について探っていくことが可能だろう。本稿では『無為の共同体』を基本的なテクストとして、その論を追いながら、ナンシーがどのようにヘーゲル、ハイデガー、バタイユの思想を自身の思想のなかに取り込んでいるのかを見ていく。
 まず「乗り越え不可能な地平としての共産主義」においては、共同体がこれまで思考されてこなかったというナンシーの主張を見ていく。これはすなわち共同体論の脱構築とでも言うべきものであり、これまでの共同体とは一線を画した共同体を呈示するための準備が行われる。次に「死」では、これまで思考されてきた共同体の前提である個人という概念についてのナンシーの批判を見る。ここで言う個人はコジェーヴ‐ヘーゲル的な主体なのだが、その主体は死の有限性をないがしろにしているものであるということが述べられる。死とは、個人的なものではなく共同のものであるのだ。
 この死の共同性をナンシーは、『存在と時間』におけるハイデガーの「共存在」「共現存在」の議論から受け継いでいる。これは死へと関わる存在でもあり、このタームをナンシーは「特異存在」と言い換える。そして特異存在の特異性が共同体の共同性をなすものであると述べられる。またこの共同性は実存論的に解される。そして分有が何を分有するのかといえば、この実存論的な共同性を分有するのである。これが「共存在、共現存在から特異存在へ」で述べられることだ。
 最後に「バタイユ、交流と友愛」として、ナンシーのバタイユ論を辿りながら、友愛の思想家としてのバタイユの可能性を考えてみよう。ナンシーの共同体はバタイユが交流というものとそれほど違わない。ただしそれは合一ではない。共同体としての交流がバタイユを共同体の思想家、あるいは友愛の思想家にしているのだ。
 さてまず『無為の共同体』を読んでいくことから始めよう。ナンシーは前述のようにバタイユやハイデガーから影響を受けており、その書き方は読みやすいものではない。しかし彼が何を前提として語っているのかを紐解いていけば、読めないものではなく、むしろ前述の二人の思想家の思想に新たな面を見出すようなものなのだ。

○乗り越え不可能な地平としての共産主義


 ナンシーは「無為の共同体」の最初でサルトルの言葉(「共産主義はわれわれの時代の乗り越え不可能な地平である」)を引用しながら、しかしその言葉が決して示してこなかった事実を指摘する。それはすなわち、「共産主義(communism)」という言葉はある願望の表徴であったということだ。その願望というのは、「死がもはや個人の死でしかないために支え切れない重みを担い無意味さのなかに崩れ落ちてゆく、そうした死の発育不全の彼方に、共同体のありうべき場を見出そうあるいは再発見しよう」(『無為の共同体』p.5)という願望である。
 ソビエトをはじめとした多くの共産主義国家が楽園などではなく、全体主義国家であったことが明らかになるその前まで、世界中の共産主義者たちは資本主義の発達による人間の衰退を憂い、共産主義に夢を見た。資本主義社会は、人々の分断を進め、その先に個人としての豊かな生を約束する。かつて共産主義者たちが怖れた資本主義社会は、目下のところ、まさに強烈な個人主義、自己責任論などとしていまだ広がりを見せている。
 資本主義によって失われてしまった共同体を夢想した共産主義は失敗した。それはなぜだろうか。マルクスのうちにすでに全体主義の種があったからだろうか。いやそうではない、とナンシーは言う。そうではなく、共産主義の失敗は、その理想の基盤の欠陥、すなわち「人間、それも生産者として定義された人間(端的に、定義された人間、と言うこともできるだろう)、そして基本的に、自らの労働とその諸作品という形で自分自身の本質を生産する者として定義された人間」(同上p.6 強調は引用元による)という基盤の欠陥にあるのだ。
 この「定義された人間」はあきらかにヘーゲルの奴を、マルクスの労働者を意識している。ヘーゲル的弁証法における奴とは、真に人間的主体性を獲得する人間である。
 死を賭した承認をめぐる闘争において、勝者は主となり敗者は奴となる。主は奴を媒介に自分だけで現存在する自立的意識である。逆に奴は非自立的である。奴は主のために労働する。この労働のおかげで主は自然‐無媒介から抜け出し、物を純粋に破壊し、享受し、否定できる。しかし、一見もはや完全な人間として承認されたかに見える主は、真に人間ではない。主に与えられる承認は、いまだ自然‐無媒介にとどまる奴のものであり、さらに主が自身と同等以上のものから承認を得るのは、その定義からして不可能だからである。つまり、主は自立的意識ではなく、奴の労働によって成立している非自立的意識だったのである。
 主は自己を承認する他者を承認できなかった。しかし、奴はすでに主を承認しており、あとは主に自身を承認させればよいだけである。また奴は主のために労働において否定性を培っていた。奴は真に自立的な意識となり、労働によって所与の世界を変貌させ、歴史を創造していく。ヘーゲルはこの創造を外化と呼ぶ。
 何を外化するのか。それは人間を外化するのである。ナンシーが批判しているのはこのヘーゲル的外化、人間の客観的実現である。外化の作品を共同体として描くこと、あるいは共同体として生み出される共同体、共産主義者たちが間違っていたのはこの点なのだ。
 人間のうちに実現されるべきものがあり、それを共同体として外化するという思考をナンシーは「内在主義」として批判する。この思考は、共産主義にとどまらず、これまで共同体を思考する多くの人々の軸となってきたが、ナンシーの考える共同体とは大きく異なっている。内在主義の共同体は全体主義の共同体につながるとまで言われている。
 では共産主義に至るまでの共同体の歴史はどのようなものだったのか。
 共同体を取り戻すという共産主義的要請は近代に端を発している。それはルソーにさかのぼり、ドイツロマン派、ヘーゲルへと至る。彼らがどのように共同体を考えていたのかといえば、ルソーがまさに典型的であるのだが、彼らにとって共同体は失われたものであるのだ。さらに言ってしまえば「歴史のどの時点をとっても、西洋はいつもより古い消滅した共同体への郷愁に浸って」(同上p.20)いるのだ。
 また共同体を喪失したと考えるのは、キリスト教的な合一(communion)が喪失したと考えることに等しい。人間が純粋な内在に滲入するというのが共同体という思想である。この純粋な内在とはまさに神のことなのだが、近代において神性は内在から身を引いてしまった。そのために、合一という共同体は不可能になってしまったのだ。合一もまた「より古い消失した共同体」のヴァリアントなのだ。
 だからこそ、共同体の思想や願望というのは、つねに後から作られたものかもしれない。むしろナンシーのいう意味での共同体はかつて一度も生起したことはない。たしかに、現在みられるような社会的絆とは異なったものがあったかもしれない。しかしそれは共同体ではない。ルソーは共同体が失われたその跡地に社会ができたと考えているが、ナンシー的な意味では共同体は一度も失われていない。「共同体は社会が破壊したり喪失したりしたものであるどころか、社会から発してわれわれに出来する何ものか──問い、期待、出来事、命令──なのである」(同上p.22)。
 そうであるならば、共同体に関する全く新しい、前代未聞の思考が作られなければならないだろう。

○死


 ナンシーはこれまでの共同体の思考はすべて人間のうちの人間を客観的なものとして実現する共同体を目指しており、真に共同体が考えられたことがないとする。とはいえナンシーの想定している共同体は非常に入り組んでおり、難しい。ここでは死を導きの糸にその共同体論に接近してみよう。
 まずナンシーは死が個人のものでしかない事態を「死の発育不全」と呼んでいた。であれば、健全な死は共同のものであることになる。死が共同のものとして思考されないからこそ、共同体論は内在主義に陥る。またそもそも、ナンシーは「個人」や「主体」なる概念を批判する。
 個人(individu)はその言葉通り、分割できない最小の単位である。それはあたかも世界を作る原子のようにとらえられ、考えられてきた。しかし、ナンシーに言わせればこのような考え方は「共同体の崩壊という試練の残滓であるに過ぎない」(同上p.8)のであり、であればそれは内在主義の一つの形であることにもなる。
 個人という考え方のなにが内在主義的なのか。ナンシーが想定しているのはコジェーヴ‐ヘーゲルの主と奴の弁証法であるように思われる。主と奴の弁証法では、先ほども見たように、人間の本質である人間を奴が外化し、歴史というひとつの作品に仕上げるのであった。これは個々人のレベルでも同じである。すなわち、ある個人は死ぬのであるが、彼が作り出した作品は彼の本質の外化として死後も残り続ける。むしろあたかもそれが彼自身であるかのように残り続ける。彼はその意味で不死になる。彼は死を乗り越えてしまい、またそれを自身にとって無縁なものとしてしまったのだ。
 このようにヘーゲルに死を強く見出すのはコジェーヴの読み方である。コジェーヴは『精神現象学』のあの有名な一節「しかし生とは、それが死を怖れ、荒廃を避けてみずからの純粋さを守ろうとするのではなく、かえって死に耐え、死のなかでじぶんを維持するときにこそ精神の生である。精神がみずからの真のありかたを獲得するのは、ひとり精神が絶対的に引き裂かれたありかたにあってじぶん自身を見いだす場合なのだ」(『精神現象学』p.59-60)を読み、ナンシーが今批判しているようなことを読み取った。すなわち、死を完全に乗り越え、不死となる個人という思想である。たしかに死が個人のものであるならばそれは乗り越えることも可能だろう。ひとりの死への責任はすべてその人にかかっているのだから。しかし、ナンシーはあくまで死を共同のものと考えており、「個人主義とは、問われているのは一つの世界なのだということを忘れた辻褄の合わない原子論である。だからこそ、共同体の問いは主体の形而上学の重大な欠落部である」(『無為の共同体』p.10)と述べるのだ。
 このような個人主義あるいは共産主義の想定する完成した人間とは、死んだ人間であった。ここでいう死は、死ぬ人間を不死にするのであるから人間の内在的な生の無限なる完成であると言える。しかし死はそれを乗り越えれば無限へ至るような道などではない。死は限界であり、特異なものであり、有限性をはらむ制御し得ない過剰なのである。近代における死の思想が考えそこなったのは、死のこの有限性の有限さなのだ。この意味で「ライプニッツ以来、われわれの宇宙にはもはや死がない」(同上p.25)。真の意味での死は、有限性は捉え損なわれ続けてきた。次の引用は死と共同体に関するナンシーの思想を要約している。

 市民や政治活動家、労働者や公僕の幾世代は、自分たちの死が、内在へと至るべき共同体の将‐来のうちに解消される、あるいは止揚されることを夢見てきた。だが今やわれわれは、民族、国民、生産者たちの社会、といった共同体がますます遠ざかっていくという苦い意識しかもっていない。しかしこの意識も、共同体の「喪失」の意識と同様底の浅いものである。実のところ、死は止揚されない。来るべき合一は遠ざかってはいないし、先送りされてもいない。それは、将‐来などもったためしがない。それは突如として出現することも未来を形作ることもなしえない。未来を形作るもの、それゆえ本当に突如として出現するものとは、つねに特異な死である──このことが言わんとしているのは、この特異な死が共同体のなかに突発的に出現しないということではなく、逆に私がその死を承認するということである。とはいえ、合一は死の未来ではなく、死も単に共同体の永遠なる過去なのではない。(同上p.25-26 強調は引用元による)

 死は無限なるものへの道ではない。死はどこまでも有限であり、特異なものである。そして、だから「死は止揚されない」のだ。止揚されない死、すなわち使い道のない否定性にいちはやく気付き、その涯まで進んだ人物こそバタイユである。だからナンシーはバタイユを「おそらく、現代における共同体の運命に関する体験を最も遠くまで辿った人物である」と述べ、脱自‐恍惚を手がかりにこの『無為の共同体』を構想したのである。
 このバタイユに関するナンシーの考察は後の節に回すとして、次節ではもう少し死の共同性についてみていこう。

○共存在、共現存在から特異存在へ


 共同性を持っているのは誰だろうか。それは存在者たち、存在である。ナンシーが死と共同性の問題を考えるとき念頭にあるのは、つねに存在者たちや存在の議論、すなわちハイデガーの議論だ。
 『存在と時間』のなかで、死はさておき、共同性についてハイデガーが議論している箇所は非常に少ない。ナンシーはハイデガーが現存在分析の過程でだす「共存在」「共現存在」という言葉に着想を得ている。この共存在、共現存在というタームは『存在と時間』第一部第四章二十六節で記述される。その後、現存在の顧慮や現存在が死へとかかわる存在であることが明かされていく。しかし、ハイデガーは存在の共同性を「民族」に帰してしまった。民族としての共同体はナンシーが初めから批判している内在主義のものである。だからこそ、ナンシーはそのハイデガーが残した余白を語ろうとするのである。
 まずハイデガー自身がどのように共存在を語っているかを見てみることにしよう。
 ハイデガーは現存在を分析していく過程で、現存在が世界内存在であることを解明した。共存在、あるいは共現存在はその現存在の構造である世界内存在と同様に、現存在の構造なのである。ハイデガーは、日常的な自己存在という様態がその根拠をもつこの諸構造を分析することで、日常において主体と呼ばれるもの、世人を看取ろうとする。
 ではどのようなにして現存在は共存在、あるいは共現存在と呼ばれるのだろうか。まずハイデガーは職人の仕事世界という環境世界を例に出す。職人の仕事世界において作られる製品は必ずその製品を作る他の人々を指し示し、職人は製品と「共に出会われる」。また職人でなくとも、単に道を歩いているある人が見かけた農地、ボートなどもそれを使う他の人々を指し示している。ハイデガーによればこの他者たちは決して事物的に出会われるのではなく、その他者たちの世界においてその道具が事物であるような仕方、すなわち他の世界内存在として出会われる。ある世界内存在は、彼を囲む道具を通してその道具が指し示す他の現存在と世界内部的に出会う。この他の存在者は決して事物的に存在しているのでも、道具的に存在しているのでもなく、他の存在者と出会っている「現存在自身と同じように存在しているのであり──このような存在者もまた共に現にそこに存在しているのである」(『存在と時間Ⅰ』p.306 強調は引用元による)。
 ハイデガーはこのように他者たちとの出会いを記述する。この「他者たち」とはいかなる意味において語られているのか。他者たちというのは、ひとがたいてい彼らからおのれを区別しないでおり、彼もまたそのなかに存在しているところの人々である。そしてこの意味において、あるひと、ある現存在である存在者もまた他者たちと共に現にそこに存在しているのである。さらに「この「共に」は現存在に適合したものであり、この「もまた」は配視的な、配慮的な気遣いつつある世界内存在としての存在の同等性を指している。「共に」と「もまた」は、実存論的に解されるべきであって、範疇的に解されてはならない。このような共にをおびた世界内存在を根拠として、世界は、そのつどすでにつねに、わたしが他者たちと分かちあっている世界なのである。現存在の世界は共世界なのである。内存在は他者たちと共なる共存在なのである。他者たちの世界内部的な自体存在は共現存在なのである」(同上p.307 強調は引用元による)。
 以上のようにハイデガーは現存在の構造として、世界内存在だけでなく共存在、共現存在をも見る。この現存在は顧慮という気遣いをする存在である。その気遣いは最終的に死に向かう。そして現存在は死へとかかわる存在として記述される。つまり、ハイデガーが現存在を共存在として記述したのは、現存在が死へとかかわる存在であることを述べるためである。さらに、ハイデガーは死について実存的に意味を見出そうとしており、この視点もナンシーへと受け継がれているものである。
 ハイデガーはある個人、主体のことを現存在と呼んでいた。ナンシーはそれをさらに特異存在と言い換える。これはその有限性を強調してのことであり、「それ[特異存在]は有限性そのものとして出現する」(『無為の共同体』p.51 強調は引用元)とまで述べられる。この「出現」はある特異存在と他の特異存在とのあいだの特異性の上にありうる。だから特異性とは「つねになるものであり、つねに分有され露呈されている」(同上p.51 強調は引用元)。
 特異性がつねに分有されているのならば、特異存在はこの分有において出現するはずである。また特異存在は有限性そのものとしても出現するのだから、死、分有、特異存在は別々に考えられるものではない。特異存在が死において、分有において出現するこのことがナンシーの考える共同体であろう。ただしその共同体は何らかの実体などではなく、むしろ思考されうることのない、われわれを存在せしめるようなものなのだ。
 となれば、死がどのよう分有を可能にしているのか、またなにが分有されているのか。死が分有を可能にするというのは、すなわち死が共同性を呈示するということにほかならない。ではその瞬間はいつだろうか。ナンシーはおそらくそれを他人が死ぬ瞬間、私が生まれる瞬間、私が死ぬ瞬間であると考えている。
 まず誕生について考えよう。われわれは産れる際に決して一人で生まれるのではない。(生物として)かならず母と父がいる。また言葉を見ても、「産れる」というのは受動態であり、私が独力では存在できないという有限さを示している。では死はどうだろうか。孤独死を考えてみよう。部屋で誰にも知られないうちに死んでいたひとがいるとして、彼が死ぬのはいつだと言えるだろうか。もちろん生物的な意味では生命活動が止まった瞬間なのだが、実際われわれが彼が死んだとみなすのは、彼の死を確認してからではないか。私が死ぬ場合もこれは同じで、誰か他者が死ぬひとの死を受け取って完了させるまで、そのひとの死は未完了のまま漂うのではないか。
 このように考えてみると、先に上げた三つの瞬間はたしかに、私が有限な存在、特異存在であり、さらに共同で存在している現存在であることを呈示している。あるいはナンシーの言葉を使って、死の共同性が有限性を露呈させると言ってもいいだろう。
 ナンシーが分有という言葉で示しているのは以上のような共同性の露呈である。ではなにを分有しているのかといえば、われわれがわれわれを分有しているのだ。というのも、「分有とは次のような事態に対応している、すなわち、共同体は私に、私の誕生と死とを呈示することによって、自我の外にある私の実存を開示する」(同上p.49)ためだ。
 すなわち、内在主義的に、実存が私のうちから私を作るなどと考えてはならないのだ。私の実存はわれわれとして分有され、私に呈示される。私に、と言っても特異存在である私はつねにすでに共現存在なのであるから、私ははじめからわれわれなのである。
 存在は共有物であるのではなく、共同で存在していると言うべきである。このことはあまりに単純でありながら見過ごされてきた、とナンシーは言う。そしてこの問題に焦点を当てたのはハイデガーであり、バタイユなのだ。

○バタイユ、交流と友愛


 バタイユはハイデガーに同道し、次のように言う。すなわち「交流とは、いささかも、現存在の上にさらに追加されるというような行為ではなくて、まさに現存在を構成する一行為なのである」(『内的体験』p.70)。交流において現存在が構成されるというのは、まさに前の節で述べた実存の分有である。つまり、ナンシーが共同体という言葉で表そうとしているのは、バタイユの交流だと言える。
 また次のようにも言える。先ほどの節で「主体の形而上学」という言葉がでてきた。この「主体の形而上学」という言葉はヘーゲルの哲学に当てはまると思われる。すなわち、「死に耐え、死のなかでじぶんを維持」する主体である精神が、絶対精神へと変貌していくあの哲学である。しかしナンシーはその絶対(absolu)がそれ自身、分離さえも内包しなければならないために不可能であることを指摘する。
 この指摘はバタイユが『内的体験』のなかでヘーゲル批判をする、「もし私が絶対知を「真似る」とすれば」(同上p.250~1)から始まる断章に見られる「なぜ私の知っていることが存在しなければならないのだ?」(強調は引用元)という問いとおなじものである。
 バタイユはこの問いが発される極点に「裂け目」があるという。そしてこの「裂け目」はコミュニカシオンや合一の場として語られる。ナンシーにおいて共同体と言われているのはこの「裂け目」、すなわち交流の場にほかならない。
 バタイユにおいて内的体験と交流は、ほとんど同じことのように見えるほどに互いをなしている。ナンシーの場合、この内的体験は脱自‐恍惚であり、交流は共同体である。もちろんバタイユも恍惚という言葉をよく使っていたが、ナンシーがあえてこの語に注目するのはこの語がex‐tase、すなわち「外に立つ」という意味をもっているからである。バタイユはヘーゲルが足を止めたところ、絶対知において恍惚を感じていた。すべてが精神の自己となるあの地点において、それでも不可能な「外」があり、その場こそが交流の場であるとバタイユは述べていた。だからナンシーはあえて内的体験を脱自‐恍惚と言い換える。
 また、バタイユは後年、さらに至高性という言葉を導入する。至高性をもつのは内的体験の、恍惚の瞬間においてであるため、これもまた共同体の場であることになる。ナンシーは次のように言う、「至高性とは、自ら現前することもなく同化(偽装)されることもなく、与えられることさえない──むしろ存在者がそれに委ねられている──ある過剰(ある超越)へと至高に露呈することなのである」(『無為の共同体』p.34 強調は引用元)。ここで言われている「過剰」とは、内在主義的な無限には持ち得ることができなかった過剰、有限なものがその有限性ゆえに持ち得なかった、分有されるべき過剰のことである。
 また「至高性はなにものでもない」(『至高性』p.105 強調は引用元)のであるから、至高性のなかで存在は存在の外にあることになる。これは矛盾した言い方だ。しかし、このような言い方でしか内的体験を言表できないということを言い続けたのがバタイユである。そして、存在の外へと置かれた存在というこの矛盾が示しているのは、内的体験の内的でなさ、その体験がもはや一個の主体による体験ではないというあの逆説でもある。この逆説の場こそが、内在主義的に実現される一つの実体でも、失われた合一でもない、ナンシーの言う共同体なのだ。
 以上のように、ナンシーが共同体という言葉で言い表そうとしているのは、バタイユが交流という言葉で表そうとしたものである。そしてブランショがバタイユに告げた、「内的体験の後の贖い」こそナンシーが無為と呼ぶところのものだ。すなわち、無為の共同体とは作品とならずに中断させられる共同体、あるいは作品の彼方にある共同体のことだ。「共同体は諸特異性の中断によって、あるいは特異存在たちがそうである宙吊りによってできている」(『無為の共同体』p.57 強調は引用元)。特異存在たちもまた作品などではない。交流も作品ではあり得ない。交流は、共同でしか在りえない特異存在の存在のことなのだ。
 ナンシーは「バタイユにとって共同体とは何よりもまず、そして最終的に、恋人たちの共同体だった」と述べる。たしかにバタイユは恋人たちを様々な場所で記述している。恋人たちは合一や恍惚を体現するものとして描かれている。この合一や恍惚の、恋人たちの共同体をバタイユは社会に対立させている。『魔法使いの弟子』において、恋人たちの寝室は社会の「むなしさ」から「目をくらませる脅威」「悲劇的なもの」を守るものとして描かれている。恋人たちの共同体は蕩尽の社会であると言える。
 しかし、「恋人たちは一個の社会でもその陰画でも昇天でもない」(同上p.68)。バタイユは恋人たちをどこか、失われた共同体の代替物として見ていることがある。『魔法使いの弟子』でも恋人たちはあたかも生の衰退に対する最後の砦かのように描かれている。だが、愛は共同体になるのではない。失われた蕩尽の社会もない。むしろ共同体自身が蕩尽であると言わなければならない。恋人たちはその互いの有限性の露呈において、交流する。この意味においてのみ恋人たちの共同体がある。「愛は共同体をその限界で露呈する」(同上p.70)。
 ところで、バタイユは恋人たちの愛をほとんどエロスとして捉えているように思われる。先ほどから挙げている『魔法使いの弟子』における「寝室」がよい例だろう。彼が愛をエロスとするときに、彼は愛の伝統的な議論に取り込まれる。つまり、ヘーゲル的な愛、全体的国家へとつながる愛の議論、子どもを恋人たちの止揚として捉える議論である。
 しかし、バタイユにとって愛はエロスだけではないはずだ。すなわちフィリア、友愛としての愛が彼のなかにはある。もしフィリアという愛で結ばれた人々を恋人たちと呼ぶなら、ニーチェをバタイユの恋人と呼んでも差し支えないはずだ。いやバタイユは「私のこの世での伴侶はニーチェだけである……」(『ニーチェについて』p.43)とまで言っている。ニーチェはたしかに、バタイユと友愛で結ばれた恋人だった。
 また、共同体と友愛の関係についてナンシーは、ハイデガーの「終わりに関わる存在」についての記述を引用した後で次のように言っている。

  […]似た者のもつ類似は、「終わりへと関わる存在」たちの出会いから生まれるが、この終わり、彼らの終わり、そのつど「私のもの」(あるいは「君のもの」)であるこの終わりが、彼らを同じ一つの限界によって近似させると同時に分離する。その限界に対してあるいはその限界のうえに、彼らは共‐出現するのである。
 似た者が私に「似ている」というのは、私自身がすでに似ているという限りで、すなわち、こう言ってよければわれわれがそろって「似ている」限りで、つまり原形はなく、同一性の起源もなく、ただ「起源」の場を占めているのが特異性どうしの分有であるという限りにおいてである。[…]われわれが互いに似た者であるのは、われわれが自分自身にとってそうである外に、われわれ各々が曝されているからなのだ。似た者とは単に同じようなものだというのではない。私は他者のうちに私を再発見するのでも、を再認するのでもない。は他者のうちに、あるいは他者によって、「私自身のうちで」私の特異性を私の外に置き、それを果てしなく終わらせる他性と他化とを体験するのである。(『無為の共同体』p.60~1 強調は引用元)

ここで言われているのは死という終わりによって有限である特異存在どうしが似た者であり、彼らのその似ていることによって、実存の分有によって共同体が露呈されるということである。
 「似た者」と共同体という言葉で、私たちはアリストテレスの『ニコマコス倫理学』第八巻、第十巻を思い出さないわけにはいかない。すなわち、友愛論を思い出さないわけにはいかない。アリストテレスはその友愛論のなかで「友はもう一人の自己」(『アリストテレス全集15』p.369)であると述べている。これはつまり、似た者のあいだで友愛が成立するということである。
 バタイユはそれを知ってか知らずか、「存在ということはけっして私ひとりだけなのではなく、つねに私と私の同類たちなのである」(『至高性』p.99 強調は引用元)と述べる。この言が『至高性』のサドに関する記述においてでてくるということは興味深い。至高性は交流の言い換えであったのだから、さらに友愛がその系のなかに加えられなければならないだろう。そして、バタイユを友愛の思想家として、アリストテレス以降の友愛論に並べて語らなければならないだろう。しかしこれについてはまた稿を改める必要がある。さしあたり次のように言える。すなわち、合一の、エロスの共同体ではなく、交流の、友愛の共同体をバタイユに見なければならない。「ニーチェだけが私と連携したのだ──われわれと言いながら。もしも共同体が存在しないのならば、ニーチェはひとりの哲学者である」(『ニーチェについて』p.44 強調は引用元)

○参考文献


『無為の共同体』(ジャン=リュック・ナンシー著、西谷修/安原伸一郎訳 2001以文社)
『ヘーゲル読解入門』(アレクサンドル・コジェーヴ著、上妻精、今野雅方訳 国分社 1987)
『存在と時間Ⅰ』(ハイデガー著、原佑/渡邊二郎訳 2003中央公論新社)
『至高性』(ジョルジュ・バタイユ著、湯浅博雄/中地義和/酒井健訳1990人文書院)
『内的体験』(同上、出口裕弘訳 1998平凡社)
『ニーチェについて』(同上、酒井健訳 1992現代思潮新社)
『アリストテレス全集15』(アリストテレス著、神崎繁訳2014岩波書店)

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