ニック・ランド『絶滅への渇き』第三章「侵犯」

 「侵犯」

 自由が現実的な形態と情熱にまで高められ、しかもそれがどこまでも理論的でしかないとき、宗教的なものにおいてインド的な純粋瞑想の狂信となるのは、空虚の自由なのである。だがそれは現実へと向かうとき、政治的なものにおいても宗教的なものにおいても、いっさいの既存の社会的秩序を粉砕する狂信となる。それは秩序派の嫌疑のある個人たちをかたづけ、ふたたび台頭しようとするどんな組織をも絶滅することになる。[ヘーゲル Ⅶ]

共和国は、その周囲を取り囲む専制君主によって外部から絶え間なく脅かされているため、共和国を維持するための手段が‘道徳的’手段であるとは想像できない。共和国は自身を戦争によって守るだろうし、戦争よりも道徳的でないものはないためだ。義務によって‘不道徳’にされた国家において、個人が‘道徳的’であることが本質的であることを、どのようにして証明することができるのだろうか。もっと言ってしまおう。彼が道徳的でないのは非常に良いことなのだ。ギリシャの法律家たちは、構成員である市民を堕落させることの資本的必要性を完全に理解していた。彼らの‘道徳的な溶解’が体制やその価値観と対立するようになると、完全な幸福の政治システムには常に不可欠である‘暴動(insurrection)’が発生し、それは共和国政府のように、必然的にすべての隣国の人々の憎悪と妬みを促進するに違いないのだ。これらの賢人たちは、暴動は‘道徳的な’条件ではないと考えていたが、それは共和国の恒久的な条件でなければならないのだ。したがって、確立された秩序を永続的に‘不道徳に’破壊することを確実にする者自身に、‘道徳的な’存在であることを要求するのは、危険というよりも不条理である。というのは道徳的な人間の国家は平穏と平和の国家であり、‘不道徳な’人間の国家は永続的な不安の国家であり、それが彼を、共和主義者が常に自分が属している政府を維持するのに必要な暴動に駆り立て、同化してしまうためだ。[サド III 498p]

まるで私たちのうちに傷が開いたかのように無駄に消尽すること以外、私たちに真の快楽はない。[Ⅹ 170p]

私たちの最も素直に認めにくい側面が、私たちを最も強固に結びつける。[Ⅳ 218p]


 バタイユは弁証法と革命を、侵犯の麻痺した反抗に置き換えているということが、──少なくともサルトルによって──しばしば示唆されてきた。侵犯こそが悲劇的な交流への道を開くものであり、限界のない供儀の中で人類を完結させ滅ぼす秩序を徹底的に生贄にすることへの狂喜である。バタイユは無関心な(indifferent)哲学者ではなく、悪の哲学者であり、悪の哲学者とはつまり、人間のすべての有用性、蓄積された理性、安定性、感覚を甚だしく蹂躙するプロセスのために、常に悪と呼ばれるような哲学者である。彼は、ニーチェが善の基準である自己同一性、永続性、慈悲、超越的な個人性とは最終的には独特のあさましく緩慢で臆病な動物の種の保存衝動に根ざしていることを十分に実証したのだ、と考えている。その主権が疑似的なものであるにもかかわらず、──善の保証人である──西洋の神は、常に人間の反応性(reactivity)の理想的な道具であり、功利主義的計算のしびれるほど反実験的な原理である。悪を賛美して神に逆らうことは、人類がアウトローと決定された冒険で人類を脅すことである。
 カントの文化革命は、哲学における法律上の言説の使用が深まったことと関連している。超越論哲学は、知ることと立法を同一視し、それまでは──懐疑論と信念の間で拡張されていた──支配的な議論の軸を、合法性と違法性の観点から組織化された軸に置き換えている。例えば、論理の意味は、明らかな真実から必然の規則へと、大規模な──大部分が地下のとはいえ──変化を遂げていく。カントが批判する形而上学的な誤りは、正式には犯罪、より具体的には権利の侵害として記述される。主体は、厳密に区分された正当な主権の領域で、その能力へと分割されており、それを超えての能力の行使は侵犯である。カントにとって最も重要なのは、理性と悟性が相互に不正することであり、第一批判では、理性が悟性、すなわち理論を踏みにじることを詳述し、第二批判では、理性をその本来の領域、すなわち道徳的立法の領域へ理論的に侵入することから守っている。感覚や、程度の差はあれ想像力などの低次の能力は、より間接的な関心事である。というのもそれらが肉体という泥沼への侵入によって退廃した、救い難い堕落者として烙印を押されているからである。
 カントは神を理論的な追求からかくまうことで、狡猾な有神論の近代的な伝統を開始した一方で、神の実在の道徳的必要性を維持している。神は純粋で実用的な理性の空間に追放され、また同時に知的侵犯から保護され、道徳法則を引き受けているのである。カントは『判断力批判』の中で、神のいない世界の道徳的な不可能性と、それに従って生きようとする者の運命について、次のように述べている。


 彼自身は正直で平和を好み博愛主義者であるにもかかわらず、彼の周りには常に詐欺、暴力、妬みが蔓延しているだろう。彼がこの世で出会った他の善き人たちは、どんなに幸福に値する人たちであっても、そのような砂漠を気に留めない自然によって、地球の他の動物たちと同じように、欠乏、病気、早すぎる死というあらゆる悪にさらされることになる。そして、それは、一つの広い墓が彼らをすべて飲み込み──公正なものと不公正なもの、その墓の中ではそれらに区別がない──、彼ら──自分たちが創造の最終目的だと信じることができる者たち──が連れて行かれた物質の当てのない混沌という奈落の中に彼らを突き落としてしまうまで続くだろう。[カントⅩ 415-416p]


 この一節はサドの『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』の中の一節でもあり得るし、カントの時代と、法律上の解決よりも侵犯の激化を探求した一人の作家であるサドの時代が絡み合っていることを思い起こさせる。カントが哲学と国家との間の近代的な協定を固めたのに対し、サドは旧体制下と新体制下の両方において地下牢で文学と犯罪を融合させた。サドは、神が原罪を繰り返すことについての推論を主張したが、理論的言説の吹雪で彼を抹殺した後も、無神論的な攻勢への彼の飢えは飽くことのないものであった。サドは、神や国家との交渉を求めているのではなく、それらの可能性に絶え間なく抵抗している。したがって、彼の政治的パンフレットは、制度の改善を訴えるものではなく、街頭での武装した大衆の落ち着きのない警戒心のみを訴えている。 「抽象的否定」または「否定的自由」は、主体の位置を消去するこの不毛化の(sterilizing)抵抗のためのヘーゲルの表現である。それは、現実の死と同様に描写され得る。
 バタイユのサドへの没頭は長期に渡り、激しいものであるが、散発的なものでもあり、『ニーチェについて』の特徴である親密さに達することはなかった。しかしながらニーチェの後、このような親密さに最も近づいたのはサドであり、──ニーチェと同様に──バタイユのテクストの旅の全行程において、区別が全くできないほどの知的連帯感をもって、バタイユに付き添っている。 サドは、バタイユのエロティシズムの議論を深淵の(非)意味へと誘い込む上で重要な役割を果たしている。 なぜなら彼の書いたものは聖なるものの中で炭に焼かれているからだ。エロティシズムの衝動の全くの無益さや、その神聖で荒れ狂う猛威を、これほど深く理解している作家はいないだろう。「サドは、受け入れがたい価値観の肯定に長大な作品を捧げたが、彼によれば、生とは快楽の探求であり、快楽は生の破壊に比例する。言い換えれば、生は、その原理である驚異的な否定の中で、最高の激しさを獲得するのだ」[X 179p]。
 サドのテクストの乱交、虐殺、神への冒涜が、神的なものという腐敗した空洞に吐き出された耐え難い供儀的浪費へのバタイユの妄念とほぼシームレスに結びついている。バタイユは、これらのテクストの中に「その上で生命が休息している‘過剰な’否定という原理」[X 168p]を、そこでエロティシズムが聖なるものへと遠慮なく移行する奢侈な激しさの度合いを見出す。例えば、ブランショのサド解釈と比較すると、複雑な親和性やテクスト間のコミュニケーションがあるにもかかわらず、そこには想像しうる限りの大きな谷間がある。つまり思考の共約不可能生が共通でお決まりの語彙の中に潜んでいるのだ。「否定」「犯罪」「無神論」「反抗」といった言葉は、バタイユが高尚な思考を嫌うために異質性と結びつけた言葉であり、あらゆる可能な思弁を生み出す際には、その抑制が前提とされなければならない言葉であるが、ブランショにとって、これらの言葉は、少なくとも文学の孤独の中で理性が自分自身を見つけられるようになった瞬間から、理性自身に属する言葉である。理性の隠れた激情から私たちを守るのは、私たちの惰性と偽善──ブランショが狡猾な力(power)をもって示唆しているように──だけである。ブランショとは異なり、バタイユは、サドが「18世紀フランスの唯物論の最も重要な代表者であった」[I 337p]と認めているにもかかわらず、サドの著作における啓蒙主義的合理主義の冷酷な一貫性を強調していない。「定義上、‘過剰’は理性の外部にある」[X 168p]と彼はサドについてのある議論の中で述べており、勝ち誇る合理性ではなく、犯罪への扇動を次のような文章のなかで発見した。


無神論は、理性的な人たちの中の一つのシステムである。私たちは徐々に啓蒙へと赴いていったとき、ますます次のように感じるようになった。すなわち、運動は物質に内在するものであり、原動機は幻想としてしか存在せず、存在するものはすべて運動状態にあるが、駆動力は使い道がないということである。また私たちは次のように感じていた。すなわち、最初期の立法者たちが慎重に考案したこのキメラ的な神性は、彼らの手にかかれば、私たちをとりこにするための単なるもう一つの手段に過ぎず、また彼らは幻像(phantom)に喋らせる権利を自分たちに留保しておきつつ、自分たちが私たちに仕えていると宣言することによって、馬鹿げた法律にてこいれすることだけをその幻像に言わせる方法を、よく知っていたのだ。[サド III 482]


 ‘神を信じて崇拝するか、不信感を抱いて離脱する(demobilize)か、全知全能に怒りをぶつけるのは意味のないことであるために、これらは二つに一つだ’。というように、サドの敵対者たちは、サドの傍若無人の二つの要素を、お互いを打ち消し合っていて、──一旦‘アウフヘーベン’すれば──虚空に投げ出された無益な怒りか、和解を求める必死の嘆願かのどちらかを表現しているので、相互に矛盾していると捉えた。「冒涜は決して論理的ではない。もし全能の神が存在するならば、冒涜者はその神を侮辱することで自分自身を傷つけているだけであり、もし神が存在しないならば、そこに侮辱する者などいない」[『サドについて(De Sade) 』31p]とヘイマンは書いている。 結局のところ、人はどのようにしてフィクションに反抗することができるのだろうか。それはおそらく、いずれにしても未解決の幼稚症である固着や退行の兆候である。それは認められた現実から情動(affect)が完全に切り離されているためなのだ。
 有神論の熱狂的支持者と世俗主義的鬱病患者の間で分断された世界では、神への熱烈な憎悪を育む無神論者にはほとんど忍耐がない。サドのテクストを特徴づける自然主義と冒涜の混合物は、私たちの盲目の空間を占めていて、それにバタイユの著作は無理なく同化されている。ここに矛盾があるとすれば、それは無意識と共存するものであり、対象の存在論的な重さとは不釣り合いな反抗の結果である。神が存在すらせずにそのような胸糞悪さをもたらしたということは、神に対する憎悪を悪化させるだけである。神の血を渇望しない無神論は空虚なものであり、世俗的な合理主義の貧弱さは、神の存在を主張するのと同じくらい魅力を持っていない。サドの熱狂が示唆しているのは、あのナザレ人の手足に釘を打ち込むことに歓喜しない人が無神論者ではなく、失意にある奴隷に過ぎないということである。
 バタイユがニーチェと共有している病の中には、神の死が認識論的な確信ではなく、犯罪であるという主張がある。神の死は、その死を廃止した暴君に劣らないほど大聖堂(cathedrals)の価値があるが、その暴君の墓は神の死を俗物にし続けている。実際、このような新しい大聖堂は、サド、ニーチェ、バタイユのテクストが示すように、その中に響き渡る冒涜の不浄な祝祭とは切っても切れない関係にある。
 バタイユの文章を動かしている果てしない犯罪性は、その中に悔い改め(pentenceとなっているがpentanceのスペルミスだろうか)の気配を感じさせないが、だからといって彼を異教徒(pagan)にしているわけではなく、法律的に言うならば、申し立てするには不適当である。彼は正当化にわずかな関心もなく、無実とは彼の抱く願望ではない。彼はパーンよりもサタンに近く、挑戦的な有罪性(defiant culpability)に駆られている。バタイユは異教徒であるにはあまりにも病的であるが、キリスト教との受動的な関係にもかかわらず、必然的な犯罪の思考は悲劇の解釈であり、‘傲慢’の解釈である。悲劇的な運命とは、禁じられたことが起こる、また禁じられたこととして起こる必然である。バタイユは、彼の隠れているが有名な格言を引用して、「禁止は違反されるためにある」[X 67p]と書いている。彼はこの地下の集団的洞察を、社会的規制の根底にある「論理への無関心」[X 67p]と関連づけている。というのも「犯された違反は、本性に対立する感情の可能性と感覚を押さえ込む本性の違反ではなく、それは正当化であり源でさえある」[X 67p]からである。この効果的なパラドクスのための彼の公式の一つは、「規則に従った...禁止の違反」[X 75p]である。このような違反は、禁止によって引き起こされるというのではなく、禁止がそれへの応答である不可避なプロセスによって強制されるのである。この思想は、悪の経済的必然性の観点から、また時折、侵犯の噴出として、彼の著作において高い頻度で表現されている。
 あからさまなテーマとして、「侵犯」はしばしば示唆されるようにバタイユの著作の中で支配的なものではなく、彼が「侵犯の哲学者」として記述され得るのは、並外れた恣意性(arbitrariness)を持っているからに他ならない。『エロティシズム』に見られる持続的な議論がなければ、この言葉がより基本的な問題(消尽、消費、供儀の問題)の周辺的な精緻化以上のものとして読まれるようになったとは思えない。それにもかかわらず、侵犯に類する犯罪のヴァリエーションは、彼の著作の至る所に散在しており、明らかに定式化の手段を容易に提供している。
 広くニーチェ的な仕方で、バタイユは、法を個別的存在の保存の必須条件として理解している。法は実在の条件を要約し、その恣意性を人類の生存と共有する。法的実在の従順さとは、無条件的実在(それ自体のための実在)の従順さであり、その再生産への、そして最終的には強迫観念的な生産性主義の中での完全な規範的抑圧への、消費の服従を伴うものである。バタイユが法の保存を示すために通常用いている言葉は「不連続性」であり、それは大まかに「超越」と同義である。不連続性についてのバタイユの考えは、その言葉の滑らかな展開が示す以上に複雑である。それは、超越的な幻想や観念の条件であり、まさにこの理由から、否定、論理的区別、単純な分裂(disjunction)、本質的差異などを含む編み込まれた一連の概念によっては、超越的な装置によっては、それを把握することができない。
 不連続性は、存在論的に(例えば、ライプニッツのモナドの仕方において)根拠があるのではなく、廃棄のために資源を蓄積するのと同じプロセスの中で積極的に作られる。蓄積は主体や個人を前提としているのではなく、むしろ主体や個人を発見しているのである。なぜなら、自己──または相対的な孤立──の可能性は、全般経済の中での不安定な逸脱としてしか生じず、エネルギーの流れの規模を超えて恒久的に再交渉されるからである。生物の相対的な自立性は、存在論的に与えられたものではなく、──その頂点にあっても──個人の魂や人格という概念とは全く切り離せない物質的な成果(achievement)である。死がこの事実を強く証明していることを大部分の理由として、神学がその体系的な抹消を単調に要求してきたのだ。
 孤立は──通常でない意味で──「量的」であるため、量は裁量に基づいて算術的に考えることができない。低次経済学、全般済学、あるいは太陽経済学──創発的不連続性のレベルでの経済学であるとバタイユがしている──は、いかなる先行概念的母体によっても組織化することはできない。典型的に経済思想を管理する量/質、程度/種類、アナログ/デジタルなどの間の区別は、不連続性や派生的な表現(derivative articulation)の事前の受容に全く依存している。バタイユがベースとなる宇宙論に関連づけた経済学やエネルギー学は、どのような種類の物理学的理論とも同一視できないことは明らかである。というのも、そのような理論の根底にある論理的・数学的概念は、単純な差異の根本的な問いかけによって蹂躙されてしまうからである。十分にデリケートな唯物論的装置の操作で、全般経済は大いに考えることができるが、最終的に、その断片的で皮肉な性格は、明瞭な明晰さの侵害による譫妄的な起源から生じている。
 あらゆる地上的資源の太陽的源は、それらを底無しの鷹揚さに委ねており、それをバタイユは「栄光」と呼んでいる。これは、おそらく、すべての抑制、蓄積、留保が失敗する運命にある伝染性の浪費として最もよく理解される。地上的プロセスの基盤は、地球の妨害的な性格に、太陽エネルギーの流れの一時的な停止という単なるその大部分に(in its mere bulk)内在し、それ自体が実体化する傾向にある。地表でのエネルギーの堆積が、その複雑な結果によって硬直した有用性として解釈されるとき、生産主義的な文明が開始され、その文化には存在論の歴史と道徳的秩序が含まれている。成長のシステム的限界は、太陽軌道の避けがたい再開始が、そのような文明にギザギザの穴をあけることを要求している。結果として生じる破綻は、確実にメタ社会的ホメオスタティックメカニズムに同化することはできない。なぜならそれらは不道徳な、流行の傾向を持っているからだ。バタイユは「死の有毒性」[X 70p]について書いている。消尽は、単に役に立たないだけでなく、伝染性があるので、救いようのない破滅的なものである。崩壊への情熱ほど伝染するものはない。人類の利益に反する煽動的で伝染性のある裂傷のなかで顕著なのは、エロティシズム、低次-原始(base)宗教、無用な犯罪性、そして戦争である。
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 『呪われた部分』でバタイユは、人間の努力の下に湧き上がる無意味な浪費の止揚可能な(sublatable)波に対する若干の社会的反応を概説し、それを様々な文化や時代から描いている。その中には、亜寒帯の部族のポトラッチ、アステカの供儀的狂信、チベット人の僧侶的な奢侈、イスラム教の好戦的性格、覇権的なカトリシズムの建築的堕落などが含まれている。改革派キリスト教は──出現したブルジョア秩序と同調していて──ただ贅沢な消費を容赦なく拒否することに基づいている。神学が、善のイデオロギー的勝利を示し、豊かさと破局の前例のない極限に人類を推進しながら、宗教の徹底した合理化でそれ自体を達成するというのは、プロテスタンティズムを伴ってのことなのだ。また、社会の侵犯的出口が脱儀礼化され、効果的な非難にさらされるということも、プロテスタンティズムを伴ってのことである。この傾向は、18世紀末のサド侯爵の著作に関連した残虐行為の恐るべき呈示につながるものであり、ジル・ド・レの生涯によって3世紀以上前にすでに予想されていたのだ。
 バタイユは1959年に行ったジル・ド・レの検討を悲劇として記述し、その主体を「自身の犯罪に不朽の栄光を負っている」「聖なる怪物」 [X 277] と表現している。簡潔に事実を説明すると、以下のようになる。ジル・ド・レは1404年の終わり頃に生まれ、両親のギー・ド・ラヴァルとマリー・ド・クランが関与した複雑な王朝の陰謀により、「レ領の財産、名前、武器」[X 345]を受け継いだ。彼の時代や階級の基準から見ても、異常なまでの浪費で莫大な財産を散逸させ、バタイユの言葉を借りれば「彼は計り知れないほどの莫大な財産を一掃した」[X 279]のである。オルレアンの戦いでは、ジャンヌ・ダルクと共に戦い、「彼は悪名高い非難を受けるまでは「真に勇敢な腕利きの騎士」としての名声を得て、生き残った」[X 354]。この二人の戦士は友人であったという説もあるが、バタイユはこの仮説には疑問を呈している[X 356]。1431年5月30日、ジャンヌ・ダルクはイギリス人によって火刑にされた。1432年から1433年の間に、ジル・ド・レは子供たちを殺害し始めた。彼の好んだ犠牲者は男で、平均年齢は11歳であったが、性別においては時折女が入っていることもあったし、年齢においてはかなりのばらつきがあった [X 426]。少なくとも35人の殺人は立証されているが、その数はほとんど間違いなくもっと多かった。彼の裁判で示された数字は200人にも上ったのだ。
 この検討の中でバタイユは、彼の研究に対する全般経済学的(準ウェーバー的)背景を再要約している。


 私たちは、継続的な拡大を期待して富を蓄積しているが、私たちとは異なる社会では、富を浪費するか失うか、富を与えるか破壊するかという逆の原則が一般的であった。蓄積された富は‘労働’と同じ意味を持ち、部族の‘ポトラッチ’で浪費されたり破壊されたりする富は、逆に‘遊び’の意味を持っている。蓄積された富には従属的な価値しかないが、浪費されたり破壊されたりする富は、それを浪費したり破壊したりする者の目には、‘至高’の価値を持っている。それは将来の何ものにも奉仕しない。ただこの浪費自身に、あるいはこの魅力的な破壊に奉仕するのだ。その‘現前する’価値、つまりその浪費、あるいは人がその富から作る贈り物は、その存在の最終的な理由であり、またこのためにその意味は延期され得ず、‘瞬間的なもの’でなければならない。しかし、それは‘その瞬間に’消費される。これは驚異的なことであろう。消費を味わう方法を知っている人たちは眩惑されているのだが、そのあとに残るものは何もないのだ。[X 321-2]


 バタイユが貴族全体にまで拡大したジル・ド・レの悲劇は、倹約的な社会性から合理的な社会性への移行を生きることであった。彼は生まれながらにしてフランス貴族の無謀な軍事主義に捧げられており、バタイユはそれを次の言葉に要約している。「特権のない者が労働者にされるのと同じように、特権のある者は戦争をしなければならない」[X 314]。彼は次の点を強調している。「封建的な世界は...無秩序(démesure)から切り離すことができない。それは戦争の原理なのである」[X 318]、また、「原始的には戦争は奢侈なものであると思われる」[X 78]。名誉や名声と有用性の計算は切っても切れないものであるということは、バタイユの作品の中で一貫したテーマであり、ヨーロッパ中世の貴族の血の飢えや奢侈と同様に、トリンギット人の間でのポトラッチの解釈にも関連している。私たちは、次のようなキリスト教と宮廷恋愛の文脈で惑わされるべきではない。


 中世のパラドクスは、戦士エリートが力(force)と戦闘の言語を話さないことを要求した。彼らの話し方は、しばしば嫌になるほど甘ったるいものだった。しかし、私たちは自分自身を欺いてはならない。古代フランスの善意はシニカルな嘘だった。14世紀と16世紀の貴族が愛に影響を与えた詩でさえ、あらゆる意味で欺瞞であった。なによりも、偉大な領主たちは戦争を愛していたし、彼らの態度は、その夢が恐怖と虐殺によって支配されていたドイツの狂戦士(Berzerkers)の態度とは少し異なっていた[X 303-4]。


 封建的な貴族制度は、社会的身体の傷口を開き、それによって過剰な生産物は完全な喪失へと出血させられた。この浪費は、一部では教会のそれと同じように、彼らの肥大した寄生虫的なものたちの肥大した豊かさによって達成されたが、より重要なのは、生命と財宝が無限に注がれ得る、軍事的な対立の絶え間ない満ち引きであった。ジル・ド・レはこの封建社会のダークな中心部を独特の熱情で抱き止めた。バタイユは書いている。「封建主義の精神という彼の全体──彼の狂気──の体現は、そのすべての動きにおいて、狂戦士が行っていたゲームから発展したものである。彼は、残酷な官能の趣向の特徴付けに成功した親和性(affinity)によって戦争に繋がれていた。戦争によらなければ、彼の居場所はこの世界になかった」[X 317]。 彼は続ける。「このような戦争は酩酊を、生まれながらにして戦争に捧げられた人々の目眩と盲眩を必要とした。戦争は選ばれた者(elect)を強襲に駆り立て、あるいはダークな強迫観念の中で窒息させた」[X 317]。
 14世紀と15世紀の間の封建的な戦争の時代は最高潮に達した。というのも全く同じプロセスがその功利主義的な再構築につながっていたためだ。権力は着実に君主の手に集中し、軍事技術の変化によって軍部の社会的構成も徐々に変化していった。特にバタイユは、支配的な重騎兵の役割に取って代わった弓術の発展と、矢と槍の重要性が増したことで、軍事規律が際立たせられたという事実を指摘している。戦争はますます合理化され、科学的な指示に従うようになった。この進化は急激なものではなかったが、ジル・ド・レは個人的に感銘を受けた。1432年のラニー(Lagny)の戦いを最後に、彼は葛藤へと突入し、その後彼はフランス元帥という地位──1429年7月からその地位に就いていた──によって、軍事の最先端から遠ざかっていった。バタイユはこれらの傾向を解釈して、次のことを強調している。「王族の政治と知性が変化する瞬間、封建的世界はもはや存在しない。知性も計算も高貴ではない。計算することは高貴ではなく、反省することさえも高貴ではなく、いかなる哲学者も高貴さの本質を具現化することができなかった」[X 318]。
 戦争は貴族階級を通り抜ける官能的な運動によって、ますます本来性を奪われ、君主によって計算高く操られた合理的な国家運営の道具になりつつある。玄人の将校が指揮を執り、政治的功利主義に基づいて作戦を指示し、最終的にはルネサンス・ヨーロッパの緊密に統制された軍事機構へとつながるプロセスが進行していたのだ。バタイユは、この武将から王子への移行がジル・ド・レの場合では重要であると考えている。


 ジルにとって、戦争はゲームである。しかしその見方は、それが特権階級の間でさえ支配的でなくなる程度に、次第に真ではなくなってきた。ゆえに戦争はますます一般的な不幸となり、同時に多大な人々の‘労働’となる。一般的な状況は悪化する。それはより複雑化し、不幸は特権者にまで達する。彼らは戦争を、ゲームを徐々に欲しなくなり、最終的には理性の問題に場所を渡すことになる瞬間を見るのだ。[Ⅹ 315]


 教会が神の死という醜い称賛のなかで大聖堂を建立した場所で、貴族たちは戦争の経済性を誇示し、強調するために要塞を建設した。彼らの要塞は、攻撃的な自律性の腫瘍であり、力(force)の急性不平衡と相関する硬い膜であった。要塞の中での社会的な過剰は、戦場の猛烈な浪費の中に吸い上げられる前に、最大の緊張状態にまで濃縮される。ジル・ド・レが退却したのは彼の要塞の中にであり、彼は何者でもない社会から撤退したし、それは暗闇と残虐性の中に身を埋めるためだった。周辺地域の子供たちは、地元の農民の余剰生産がいつもそうであったのと同じように、これらの要塞に消えていったのである。今では、消費の焦点は、衝突する軍隊の外的社会的スペクタクルではなくなっていたことを別にすれば、一連の秘密の殺人に組み込まれていたのである。要塞の中心は、過剰の中継点というよりも、その終着点となったのだ。それはつまり、バタイユが「太陽肛門」、黒い太陽と呼ぶ虚無となる貪欲さ(nihilating voracity)への隠れた不浄な参加の場となったということである。
 おそらく、これらの犯罪の詳細な説明の代わりに、短い一節で十分であろう。バタイユはその研究の序盤に次のように言っている。


 彼の犯罪は、彼を興奮させる巨大な無秩序に応答していたし、そのなかで彼は放心していた。私たちは、宮廷の書記官が彼の話を聞いている間に写した犯罪者の自白によって、それが本質的には快楽でなかったことさえ知っている。 確かに彼は被害者の胸の上にまたがって座り、自慰しながら、瀕死の被害者の上で埒を明かしていた。しかし彼にとって重要なのは、性的な愉しみよりも労働における死の光景だった。彼は、死体を開いたり、喉を切ったり、手足を切り落としたり、血を見るのが好きだったのだ。[X 278]


 この一節の問題の特徴の中には、バタイユの文章の用語では撞着語法を含むという事実がある。なぜならこれらのテクストでは「労働」の中心的な感覚がまさに死への抵抗の感覚であるためだ。バタイユは労働を、エネルギーを資源あるいは有用な客体の形態に結びつけ、その散逸の傾向を抑制するプロセスとして説明している。この困難は、ジルの残虐行為において視覚へと割り当てられた中心的役割によって悪化する。労働は死へと向かう滑りを制約するが、それは可視性と共謀している。視覚的な(scopic)表象と有用性は、客観性によって相互に支えられている。それをバタイユは──カントとは異なり──超越、つまり内在的な流れの連続体の外からの事物の結晶化と理解している。ジルの逸脱の究極的な空虚さは、彼が求めるのは死の味や匂いではなく、その視覚であるという事実によって証明されている(「求めること」それ自体が、熱望の視覚的形態である)。
 ジルの情熱は、それが死(ヌーメノン)の中で歓喜しようとする試みであるという点で崇高なものであり、カントの崇高なものと同様に、その可能性のために「安全な場所」を必要としている。それはどちらの場合でもそのようなものとして表象の崇高なものなのだ。すべての感覚的様相(modalities)の中で、視覚は最も冷たく、最も遠いものであって、刺激を非物質化し、自律的な主体性の幻想を促進する(precipitate)観念論的なイリュージョンを最も助長するものである。視覚(vision)は一番初めの合理化を孕んでいるため、触覚との違いを誇張し、内在する否定的反射を伴う傾向がある。これが、視覚愛好的な投入(scopophiliac investments)が、他のもののようなリビドー的な向性(tropism)ではなく、妥協である理由であり、表象に関連する飼い慣らされたされた状態に欲動を誘導し、この方法によって目的論にそれらを拘束するのだ。テロスとして表象されている状態への接近のスキーマを占有したいという欲望は、その活性化する刺激の可視化上の結果的なものである。衝動はこのようにして、否定性、願望、現実の原理への依存という罠に陥るのだ。まさにバタイユが一貫して超越としてまとめた複合体である。
 私は、この留保に導くのが私の単なる臆病さでないことを願っている。理論的な慰めがここで可能であることを示唆するのは、最も粗雑な家畜化であるだろう。結局のところ、ジル・ド・レの太陽との完全な共犯を阻害するのは、確実にその残忍さではない。
 侵犯が法の否定として現れるとすれば、それは、基底物質が死への抵抗を示さないために否定的とみなされるのと同じように、法が太陽の流れの達成不可能な否定と併存しているからにほかならない。それにもかかわらず、犯罪は法廷の中でその定式化を受ける限りにおいて、ヘーゲルが『法の哲学』の中で丹念に示しているように、合法性の思弁的発展としてかなり適切に理解されている。このような裁判という視覚を通しての犯罪の認識は、単に経験的な投影ではなく、存在者の法的優位性に根ざしたバイアスである。死には表象するものがない。つまり、侵犯には主体がないということだ。ニーチェが「青ざめた犯罪者」と呼ぶ哀れな残骸だけが存在しており、例えばジル・ド・レは彼の裁判においてサタンを恐れ、忘却という往来不可能な断絶によってそれを自身の犯罪から切り離したのだ。全く単純であるが把握できない侵犯の真実とは、悪が裁かれるために存続するのではないということである。
 侵犯とは、単なる犯罪性ではない。後者のものが私的有用性を伴う限り、あるいは主体が禁止された行為の場所を占拠する限りでそうなのだ。それはむしろ法の実質的系譜であり、合法性と同時進行する社会秩序よりもより基本的な共同体のレベルで作動する。侵犯は、司法の制度によって決定された先史時代の選択肢への回帰の過程でのみ、‘そのように’判断される。この点において、地殻上のエネルギーの堆積作用は、社会的持続性の肯定によって規範的に強化される。ニーチェは、『道徳の系譜学』の第二論文の9章で、まさにこの問題を探究しており、その中で、侵犯に対する原始的な反応について述べている。


 このレベルの文明における「罰」とは、嫌われ、武装を解除され、平伏した敵に対する通常の態度の単なるコピー、真似事(minus)である。その敵はあらゆる権利と保護を失っているだけでなく、四分の一の希望すら失っているのだ。このように、それは戦争の権利であり、その無慈悲さと残虐さの中にある勝利者の祝勝である──それは戦争そのもの(戦争の供儀的祭儀を含む)が、歴史の中で罰が当然としてきたあらゆる形態を提供してきた理由を説明している。[N II 813]


 戦争とは、権利の抵触と複雑な仕方で相容れないものである。というのはそのように権利を侵害する者に降りかかるのが戦争であるように、そうであるのだ。侵犯は軽犯罪ではない、たとえこれがその社会的解釈の必然的形態であったとしても。それはむしろ太陽の野蛮さであり、狂戦士の野蛮さと、また戦場においてその底の知れない非人間性を見抜くすべての人々の野蛮さと共鳴するものである。アガメムノンやその他戦場の狂う獣たちは、その宿敵(nemesis)が法上の制度の言説を先取りし、そうしてその死は特有の親密さで強調される。バタイユは書いている。


 ‘悲劇とは理性の不能である...’。これは、悲劇が理性に反して権利を持つことを意味するのではない。実のところ、権利にとって理性に反したものに属することは不可能だ。いったいどのように‘権利’は理性に対立するだろうか?しかし、理性に反した力(power)を持つ人間の暴力は悲劇的であり、可能であれば抑圧されなければならない。少なくとも無視したり見くびったりすることはできない。私がこのようなことを言うようになったのは、ジル・ド・レのことを話しているからである。というのも彼は、犯罪が個人的な事態である全ての人々とは異なっているためだ。ジル・ド・レの犯罪は、彼らが関与した世界の犯罪であり、彼らの切り裂かれた喉は、そのような世界の痙攣的な動きによって露出している。[X 319]
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 問われている問題がどんなに困難であっても、あるいは忌避されていても、私たちは、私たちの哲学的アクチュアリティを形成しているカント主義にその問題を関連させるための要件である、侵犯の意味の探求を避けて通ることはできない。カントが法律と事例の違いについての理解を完成させているからこそ、犯罪を裁こうとするいかなる試みにも、彼の関与がすでに暗黙のうちに存在しているのである。(もちろんヘーゲルは次のことを示唆するだろう。すなわち単に正義を理解するだけではまだ不十分であり、正義を正当化する余地があるということを示唆するだろう。)私たちの世界は、ジル・ド・レの犯罪よりもより力強く無意味な犯罪に反発を覚える。というのも、近代性は死が証拠となる必然性の大部分を占めているためである。たとえそれが「問題のある概念」を装ったものであっても、それは悟性の制限として奉仕しているのだ。知ることは死と明確に結びつけられなければならず、現代の哲学的語彙はこの課題に適合している。例えば、限界、アウフヘーベン、差異性、差延などである。バタイユは「供儀」という言葉をこの系列の中に位置づけているが、その具体的な機能は、死と知ることの間に内在する、あるいはベースとなる連続性を示すことであり、超越の失敗と相関関係にある連続性は、ここでは「悲劇」、あるいは「理性の不能」と表現されている。
 悲劇──あるいは死から言説的充当が遠ざかること──は、それが登記されるたびに散発的テクスト的混乱をもたらす。というのも言語の生産的な使用が中断するにしても、言葉は言説の裂けた縁を越えて外に出ており、崩壊へとぐらつくように明確な死の縁(positive death-lip)を追っているためだ。バタイユの文章のこのぼろぼろの縁は、消えていく低次の衝動を示しており、彼が「言葉のホロコースト」と呼んでいる暴力的な文章のウイルス学的な貯蔵と交流している。詩、笑い、汚物には何の意味もない。それらは法的主体の擁護に見合い得ない。また、それらを正当化も、肯定も、保護もされ得ない。ランボーの無慈悲な詩の放棄は、麻痺した適切さを持っている。
 「バタイユ」という名前で私たちは簡単に誤解をしてしまう。例えば、まるで侵犯には防ぎ方や声があるかのように思うかもしれない。まるで悪が慣習や原因であるかのように思うかもしれない。そのような仕方でこそ、無意味な喪失は合理性の中で中和されるかもしれない。そのような「バタイユ」を再構築しようとするための良い理由は確かにある。そのようなプロジェクトが必然的に失敗するのは不幸な事実であるが、それは「作者の死」のためではなく、作者や他の誰かの死ではない死のためである。「バタイユの」見当違いは、あらゆる詭弁的な装飾を否定する死に起因しており、その死は悪の渦であり、またそのようなものとして「不可能」に追放されるべき彼の言説と十分に不釣り合いなものであって、素直には認めがたい非人称性のダークな軸として彼のテクストをただめちゃくちゃにするのだ。文学はそれ自体が犯罪である。
 法は自力で動かない(inert)存在に対して行使されるのではなく、自身らの協動を主張できる者に対してのみ行使される。服従は常に少なくとも最小限の活動的なものである。戒律を受け取った者が代理人として特徴づけられるのはこのためであり、また合法性が暗黙の主権を証明するのもこのためである。道徳家が神秘主義者と異なるのと同じように、律法に対する従順さは降伏(surrender)とは全く異なる。降伏は、どんな可能な行為よりも深い悪である。行為の原理は、まさに正義と責任の受容であり、いかなる行いも──そのようなものとして──犯罪の改善であり、贖罪の構文(syntax)の中での挑戦的態度を表現するものである。行為とは全く対照的に、降伏は救済の条件を絶えず苦しめる。拭い去りの波に身を委ねることで、代理人は犯罪の宇宙的貯蔵の中へと死んでいく。サタンとの(代理人的な)契約を超えたところに、取り返しのつかない闇の力への溶解があり、そこから離れてエクスタシーは存在しない。降伏とは、異質な仲介物(agency)への服従(神への献身)ではなく、全般的な仲介物への降伏であり、自己を他者に委ねる(父への復帰)ことではなく、自己を完全に放棄すること、人の誕生に対して攻撃を仕掛ける責務を果たさないことである。
 バタイユのジル・ド・レ読解は、悪についての言説であり、崇高なものの哲学であって、詩でもなく、供儀的な否定でもなく、死の効果をもたらすものでもない。悪が決して審理にかけられないということは十分に強調され得ない。自己と活動性、自己と被害者、有罪性(culpability)と死の間の複雑な分離を生み出したレにおいて同じな人間の従順さの岩盤は、バタイユのテキストにも作用しており、同等の超越的な効果を生み出している。レの悪魔との契約と同様に、彼のバタイユとの共同は、契約的であり、社会化されており、アイデンティティと規範を尊重している。崇高性の視覚的テーマと哲学的スキーマが、「ジル・ド・レ」と「ジョルジュ・バタイユ」という固有名詞とともに、侵犯の証として並べられるのは、再構築的な、あるい言説的な(discuriveとなっているがdiscrusiveの誤字か?)な要求に従ったためである。このようなルポルタージュは猿の栄光かもしれないが、それがレの場合にはそぐわないものであったと、あるいは彼の盲信、虚栄心、窃視症が彼を認識可能な形象へと変貌させるために働いていなかったのだと主張するのは難しいだろう。それは我々の世界の中に彼を図式的に配置する。まるで表象が純粋な超越であり、蓄積された社会性の特異性を判断する資格があるかのように、レを近代性の外側で無邪気に蘇生させることはできない。私たちが自分自身を善に適応させている限り、レについての悲惨でよそよそしく告解的なものもまた、私たちのものなのである。


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