ニック・ランド『絶滅への渇き』第一章「健全な哲学の死」

「健全な哲学の死※1」


 カントの大発見──しかし彼が決して認めなかったこと──は、必当然的な(apodictic)理性は認識とは相容れないということであった。そのような理性は「超越論的」でなければならない。この言葉は熱狂的に宣伝されてきたのだが、それはカントが同時にこの言葉を誤読する方法を提供したからに他ならない。超越論的であるとは、現実から「自由」になることである。これは確実に、西洋哲学の歴史において最も華麗な婉曲表現である。
 批判哲学は、「理性の真理」を虚構として、しかし狡猾なものとして暴露する。それらは決して暴かれ得ないためだ。それらは無限のスケールへの「大きな嘘」、すなわち感覚の可能性を超えた非現実的な世界、どんなに間接的であれ、人間の神経系と物質的コミュニケーションをとることが絶対にできない世界、分離された領域、神の国についての物語である。これは形而上学の怪風景であり、神々、魂、行為者(agents)、恒久的主観性、興奮を引き起こす可能性がゼロの実体、そして罪悪感、責任、道徳的判断、断罪と報いの総じてゴシック的な告解......心理的操作と地下の力を利用した神父の装置が蔓延している。形而上学者にとっての唯一の問題は、この陰鬱な虚構の網が協調性を欠いており、それ自体と衝突してしまうことである。異端審問や火あぶりの熱烈な非合理主義が崩れ始め、教会の教義的権威が弱体化して、もはや神学の型の中で哲学を完全に拘束することができなくなると、暴力的な論争──アンチノミー──が盛んになりはじめる。「形而上学者たちの内部抗争」によって、聖書の勢力は紛争に巻き込まれ始め、最初は別の体系の旗印のもとで戦う特定の理性の体系に対して動員される。しかし、最終的には、より一般化した敵対関係が現れ始め、様々な要素が形而上学の権威を投げ捨て始める。このようにして、懐疑論が広がり、遊牧民は新たな’跳躍(élan)’を持って、再び漂流し始める。
 カントの批判哲学は、地球の歴史の中で最も緻密なパニック状態の発作だ。それよりも野卑な──さらには結果的に重大な──原型は、キリスト教界の崩壊に対するルターのヒステリックな反応であった。両者に共通していたのは、厳格で一貫した禁欲の要求を基本的な症状とする一種の知的麻痺であった。ルターのように、カントは、伝統に根ざした制度との対立を余儀なくされたが、その制度が野蛮人を食い止めるのに十分な強さを持っていれば、彼は喜んでそれに従うことができただろう。しかし、無神論者(ヒュームのような)がすべてを洗い流すと脅す一方で、ローマ法王は私生児を産み落とし、クリスティアン・ヴォルフは不条理を説いた。唯一の答えは、体制のために反乱を起こすことであり、一旦始まった反乱は、鉄の献身で貫かれた。また、これらの消極的な反乱軍に共通していたのは、彼らが関与している古風な機関に新たな活力を吹き込んだことであった。ルターから数年のうちにイエズス会、またカント後にヘーゲル。カトリックと形而上学の両方が生まれ変わる。結局のところ、何かを恐怖するとは、それと‘同じもの’への情熱的熱狂なのである。
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 近代性といえば、私たちは、飽くなき歴史化が地球に降りかかり、陳腐化の衝撃波がすべての永続性を押し流したことを認める。思想は、廃絶の熱狂から逃れることができずに、歴史の触媒として機能しながら、自身の外縁の白熱の中で昇華された。近代にとって新しいものは、‘真理の陳腐化率’であるのだが、優れたアイデアが自動車よりも長持ちすることは(私が書いているように)まだ可能である。したがって、批判が解体の道具であること、つまりすべての秩序がその上に浮かんでいる──前提のマグマ的な力への──諸状態への回帰であることは、十分に自然なことである。批判的になった文化は、惜しみない変容の力に急速に酔いしれる。現実は発明の狂気の中に溶け込んでしまい、まるで批判が私たちの夢の中に自然を誘い込んでいるかのようだ。どんなことでも、それが十分に過剰な(extravagant)限り、最終的には許容されるものであり、許容されるものはもはや何も避けることができないかもしれない。批判は、狡猾に資本が行う方法でのみ、日付をつける。どちらもそのような変容のための名前であり、それ自身の交換の中に複製されている※2。
 カントと資本をコインの表裏と表現することは、滑稽であると同時に必要なことでもある。謙虚なケーニヒスベルク市民と、惑星の暴走する再構築を合成することができる奇妙なコインである。しかし、このような不条理を理解できるようにしようとする試みは、常にカントと結びつく批判的な機械の中に私たちを閉じ込めてしまうことになる。現実の支配的多数と超越論哲学のバランスをとることが深く不公平であるとすれば、どの法廷に訴えればよいのだろうか。より普遍的なものにか?──つまり超越論的な一手。あるいは存在論的により深いものにか?── つまり神学的愚かさ。ヘーゲルは、カントを平衡感覚で扱おうとしたが、この点でのヘーゲルの失敗もまた、私たちのものなのだ。これが近代思想のあらゆるヴァリアントが、遅延、批判、逸脱の様相を呈している理由である。近代性の批判的源泉の誘惑に慣性的に抵抗しなければ、それらと調和するか、あるいはその先の広大な暗闇へと踏み込むかの二者択一に陥るのだから。
 哲学(すべての「理論」を理解すること)は、カントとの関係以外に私たちにとって社会-歴史的な適切性を持たない。バタイユの場合には、そのような関係は、(コジェーヴ的な)ヘーゲルへの参照が優勢なせいで表面的には不明瞭であるが、ここでは二つの明白なポイントを挙げることができる。 第一に、ヘーゲルのテクストは、その用語のすべてが最初からカント的な域の中で動作するように、超越論哲学の苦境への応答以外の何ものでもない。第二に、バタイユの哲学の語彙は、最初の見かけと、またヘーゲルの媒介と無関係に、実際にはカントの遺産を扱う運命にある。予備的な例としては、‘主権-至高性’(ヘーゲル的なものになる前のカント的な問題)、‘限界’の思考、‘未知なるもの’、‘蓋然性’、‘客体性’、および‘目的-終わり’、さらには、その批判的な用法とともに、‘内在’と‘超越’の間の決定的差異が含まれるかもしれない。
 バタイユにとってのヘーゲルの重要性は、直接的ではない。それは、カント主義の救済という性格、内に湧き上がる末期の発作から超越論哲学を救おうとするその試みに由来している。バタイユのヘーゲル読解は、彼自身の非常に混乱した知的企図とは関係なく、 ニヒリスティックな推進力をもつ批判への回帰、カントがおおかた誤認し、ヘーゲルが思索的に排除しようとした死向性(thanatropism)への回帰である。ヘーゲルの哲学は、カント主義の生命維持装置であり、その危機に対応する医療機器である。バタイユがこの機械を調査するとき、機能不全になる内在した(inherent)潜在性を理解することが主な目的なのではなく、それが禁止する安楽死術を掘り起こすことが主な目的なのである。
 ヘーゲルのカント読解は、複雑で多面的であるが、新奇な一貫性もある。その明瞭性は、結局のところ、理性の体系の、あるいは現実的無限性の可能性と境界を共にしている。ヘーゲルは、有限性を包含するのではなく、むしろ有限性と抽象的に対峙するカント的な無限性の概念が、禁欲的に解決の瞬間を保留する限りにおいて、危険な緊張を無期限に永続させていることに気付いた。この‘悪無限性’──永遠の増大(資本)という終わりのなき仕事──は、完全な崩壊の見通しを減少させることができない。カントの無限性は、発展の系列に介入するいかなる可能性も奪われており、その発展の系列はその全長にわたって限界との破局的な衝突、すなわち信仰の喪失、戦争、不可解な死の乱入に対して脆弱なままになっている。カントの無限性は与えられているが、ヘーゲルはそれを‘働く(work)’ように設定する。
 歴史がヘーゲルの作品(work)への深い没入よりも偉大な提供のためのおぞましいもの(abjection)をもたないというのは、ヘーゲル自身の思考の陳腐な主張にすぎない。しかし、そのような‘奴隷状態(Knechtschaft)’がヘーゲルの自己理解の中で受け取る露呈(exposition)とは異なり、これは、体系の精神に下降を拒否する卑屈さや惨めさの深みがないことが主な理由なのではなく、むしろ、そのような深みを横断する体験の包括的な旅が、真なる独立性の完全な放棄をその存在の条件として持っているという事実に起因する。バタイユの文章の下品さと醜怪さは、ヘーゲルに浸っていることから直接繋がっている。このことは、そのような低次性が「ヘーゲル主義」(のヴァリアントのいずれか)に沿ったものであることを示唆するものではなく、そのような思考によって示された反省的な自己理解の力がいかに巨大なものであっても、その中において、ヘーゲルのテクストとの親密さの極めて悪質な性格は把握され得ないということを示唆しているのだ。体系への投資は、それ自体が体系の内的関係なのではないし、またそれをそうだとすることは、単に体系の劣化に対する偽善的謝罪を提供することでしかない。ヘーゲルのプロイセンへの売春が思索的に理解可能になることがあるとすれば、それは、「それ自体が完全なおぞましいもの、欺瞞、ペテン、あるいは端的に言って決定的人間性である」エーテル化という代償を支払ってのみ可能となるのである。
 これは、ヘーゲルの「解任」を「正当化」するためのものではない。 ヘーゲルは依然として我々には厳密に理解不能であり続けており、それに反した主張は、ブルジョア的弁護に対する無気力な象徴である。バタイユは、ヘーゲルの克服に依存する限り、空虚である。「ヘーゲル主義」がアカデミーの悲しき茶番であるということは、その最終的な意味について何も決定しない。ポストモダニティがヘーゲルの点では「決断」にかかっているとすれば、それは、ヘーゲル自身のシェリングへの粗野な反応や、十九世紀ドイツ形而上学の形成期におけるショーペンハウアーの思考のより破壊的な忘却に類似した、調停の文化である。ポスト・カント思想の芽生えの諸可能性間での内紛は、近代性の中での資本の優位性を指標とする笑いによって適切に「判断」されている。それは、確率が漸近的にゼロに向かってスライドする未来の管理をめぐって口論する、トロツキー派の党派同士の憎悪と同じくらい滑稽である。
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 弁証法的錯覚とは、理性がそれ自体を超越しているかのように装ってしまう──超越論的な批判によって露呈される──誤りのことである。これは、一方では、表象の知的形態をそれ自体が独立して存在する事物の構造であるとする、客観主義的解釈と関連している。他方では、主体をそれ自身の操作から分離可能な実体であるかのように把握しようとする試みと関連しており、後者はカントが‘誤謬推理’と称する誤りである。デカルトの「延長実体」と「思考実体」の存在論は、これらの誤りの両方を例示している。このような弁証法は批判の対象であり、常に可能性の条件とその産物との間の混同である。マルクスの場合は生産者(労働力)と商品であり、ハイデガーの場合は存在と存在者であり、デリダの場合はエクリチュールと記号であるなど、カントは客観性の条件と客体との間の混同を表現している。 このような混同は、「形而上学」(フェティシズム、存在論、ロゴス中心主義)と表現できる身振りをしながら、超越論的なものを超越的なものと誤認している。バタイユにとっては、使用(消費)と有用性との間にある、消された差異こそが批判的な攻撃の矛先となり、彼が「理性」という妥協のないレッテルを貼る誤りに関与しているのである。 冒涜的な思考(理性)は、‘有用性’の観点から‘その使用’を解釈する。したがって、絶対的な終わり(価値の超越論的条件)のあらゆる感覚を失うのだ。
 カント主義(近代思想)を繰り返すことは、批判の深刻な排除を永続させることであるが、それを超えることは、現実から表象を分かつ一線を越えることであり、そうして哲学からも、それを隔離の中に追放した世界からも去ることなのである。批判とは境界線の問題であり、’概念の適用領域の限界設定’の問題である。 批判には、思考不可能性の地平が示されたり、理論的努力の行使に限界が設定されたりすることが本質的に含まれている。理論的認識の正当領域の内で事物のカント的名称は現象であるが、領域外の事物は‘ヌーメノン’または‘物自体’と呼ばれている。ヌーメノンは悟性のカテゴリー(モダリティを含む)から逃れるので、「我々はそれが可能であるとも不可能であるとも言えない」[カント全集III 304p]。ヌーメノンとは、理論の能力から逃れたものであり、原理的には知ることができない「もの」である。「それ故、我々が 「ヌーメノン」と称するものは、‘否定的な’意味でのみ、そのようなものであると理解されなければならない」[カント全集III 278]。
 概念とその外部との間に新たな一貫性を確立するための最も影響力のある試みは、ヘーゲルのもの、 特に経験の叙述に対する彼の現象学的な解決策である。ヘーゲルは、経験の限界線は、理性の本質的に自己超越的な性格によって生成されると主張し、そのため、──例えば──「ヌーメノン」という言葉に表れている論弁的-推論的な過剰は、精神の否定性や自由をその内容に関連して表現しているのである。精神は、それ自身が自己差異化であるため、現象性を制限したり決定したりする差異によって閉じ込められることはない。歴史のいかなる瞬間における精神の外部も、それ自身の未回収の(疎外された)仕事にすぎない。これはカントの物自体が現象世界へと崩れるということではない。なぜなら、ヘーゲルは、精神を時を超えた(超越論的に事前に与えられた)認知能力の体系として考えているのではなく、歴史的な自己産出として考えているからであり、そこでは、自己は時間とともに、そして時間を通じて、論理的に統合された思考の内容によって、真に──単に反省的にのみならず──決定される。ヘーゲルの歴史は、形式的なものではなく、思弁的なものであり、それは、「それ」が思考される一連の述語を通して、主体が発展される──単に表現されるのみならず──ことを意味する。
 ヘーゲルは、理性の限界が自己規定されていることを見ることができないということがカントの基本的な失敗であると考えた。そのため、知が絶対的に完成されたときに、倫理的秩序は自然を命令していると認識される。精神は、その可滅的な蛹の段階と同一化され得ないという確信の中で、そのヌーメナルな消滅に自分自身を放棄しなければならないのだが、その代わりに、死の思考可能性の中に永遠の生を見出さなければならない。有限性は、それを超越し、それを自身の必然的契機として理解する精神的生産によってのみ可能となる。人類は、歴史の十字架上でその有限性を贖うことによって、帰還という形で神となり、それによって異質性は絶対精神=神という一致の現象学へと中和されるのである。ヘーゲルの想像力の新しさはここまでだ。
 ヘーゲル以来、現象学という言葉は、さらに不評へと落ちこんでいる。ヘーゲルの体系の荘厳な華やかさと比較すると、「現象学」という言葉が現在密接に絡み合っているエトムント・フッサールの哲学は、単なる新カント派的な奇抜なものである。フッサールの思想の自己中心的な強迫観念には、(フィヒテを思い起こさせる)深い幼稚さがある。言及する価値があるのは以下の理由によってのみだ。すなわちそれは──主に社会-政治的な理由から──擁護者がいないわけではないからである。ヘーゲル的様式では、哲学化される異質性が集団的で自己生成的な知識に還元されるならば、フッサール的様式では、それはカントのヌーメノンと超越的、自然的要請として括弧に入れられる、(極端に言えば、ヘーゲルの絶対的なものの‘プチブルジョア的’パロディである、小役人を装った神)モナド的な「超越論的自我」に還元される。客体の超越性は、経験の志向性または本質的に外向きの性格として、主体の側で再構成される。経験は本質的に超越されている。すなわち、経験自体を超えた何か‘についての’経験として経験することは、単に経験がそれ自身の中で何であるかということである。思考がそれ自身の外にある何かに関係しているということが、‘思考の’超越論的な構造である。フッサール型の厳密な現象学は、指示のあらゆる疑問が志向性の分析に置き換えられることで、観念論と独我論へと、そしてショーペンハウアーが説得力を持って示唆しているように、精神病院へと真っ直ぐに繋がるのだ(それはそれらが私たちに提供してくれる愚かな狂気ではあるが)。
 思考のより豊かな脈は、「すべての牛が黒くなる夜」に関するヘーゲルの有名な発言を引き出した、シェリングによって開始されたものである[ヘーゲル全集III 22p]。ヘーゲルのようにシェリングは、認識の超越論的地盤を厳密に決定することの不可能性のうちにあるカント主義の弱点を見た。それは超越論的であるものはそれ自身の分裂に内在なままでなければならないためだ。これら2つの哲学的様式を区別するものは、ヘーゲルの‘アウフヘーベン’や同化的否定が他のものを通過するところでは、絶対的理性の仲介する区切りとしてそれを当てること、シェリングの‘無差別性’が分節化された項を無効にし、批判的身振りを激化させることである。というのも絶対的理性の媒介的な一時停止として自身を充当しながら、超越論的にひっくり返された項のうちの1つがそれぞれの場合において‘超越論的なものの模造品’であるためだ。ヘーゲルの思想は、(限界でそれ自体を根拠とする)理解の要求によって導かれ、シェリングの思想は、(限界ですべての違いを理解する)超越論的な根拠づけの要求によって導かれる。19世紀初頭の体系的な形態では、これらのタイプの思考は非常に類似しているように見えるが、批判理論と脱構築の現代哲学のなかでそれぞれ多岐に具体化していくと、その違いはより鮮明になっていく。この違いの最も重要な修辞的兆しは、統一性の失敗についてのノスタルジックな言説と、根本的な転覆の不可能性についての満足げで無力な言説との間の対照である。最近の形式では、両者の言説は、頻繁にニーチェの霊感へ馬鹿げた主張をしている。
 ニーチェに哲学的な根源を与えたのはヘーゲルでもシェリングでもなく、むしろショーペンハウアーである。ショーペンハウアーとともに、エネルギーを秘めた無意識としての「ヌーメノン」へのアプローチが組み立てられ始め、ヌーメノンを意志として解釈することで、思弁的でも現象学的でも瞑想的でもなく、 診断的な言説が生まれてくる。このような思考は、ニーチェの非人間的な欲望の系譜学を支えるものであり、それはバタイユの低次唯物論へとつながり、「ヌーメノン」は非人称的な死として、また無意識的な欲動として扱われるのである。
 バタイユはショーペンハウアーにはほとんど興味を示さないが(さりげなく敵意を示していることさえある)、哲学史における彼の位置は、ショーペンハウアーが始めた意志についての考察を抜きにして追求することはできない。カントの「意志(Wille)」の概念は、未完成品を洗練された形で表現したものであるため、欲望の思想に一定のベースラインを提供している。意図(intention)の素朴心理学は、カントの哲学の中ではバロック的な正当化を見出すが、最もちょっとした問いかけさえほとんどない。カントは超越論的な行為者性へと意志を合理化した。すなわち個化された表象的主観性の構造によって網羅的に媒介された、目的の多かれ少なかれ明晰な追求という行為者性だ。ヒューマニズムはこのような思考の中で、意志が概念の作用を、つまり‘超越的’現実の表象への完全に奇跡的な適合を可能にする条件として考えられる場で、頂点に達したのだ。
 ショーペンハウアーによって、カントや初期のドイツ観念論から継承された意志の概念は、深遠な変容を遂げる。例えば、「力への意志」「リビドー」「オルゴネ」などの用語は、ショーペンハウアー的な転調が認められて初めて、カント主義の用語と交渉することができるようになる。ショーペンハウアーは、もはやカントのように、意志の自発性を、超越論的主体と物質の慣性とを区別するための述語として理解していない。むしろ、意志(欲望)の用語は、創造されざる(increate)物質の概念へと最初のもやもやした段階を経て導かれるのである。ショーペンハウアーは「物質(Die Materie)」という言葉を、表象の中での客観性の根本的な決定のために留保しており、彼はそれを意志と区別しているが、ニーチェから始まった後の思想家たちは──フロイトやバタイユも含めて──物質の意味を、ショーペンハウアーが意志と呼ぶ現象の基体(非人間的、無意識的、現実的)へとシフトさせていくのである。創造されざる物質は、意志またはヌーメノンの言い換えであり、正に‘肯定’無神論的唯物論の基本となる反存在論のための呼称である(「世界が創造されなかったと言うことは、神の存在を否定することである」とホッブズは『リヴァイアサン』の中で書いている)。このような考え方は科学が──多くの声明を出しているにもかかわらず──有毒性無神論というよりも暗黙のうちに不可知論的、あるいは有神論的な傾向があるという点で、物質に関する最も一般的な科学的概念とは矛盾している。この支配的な態度のために、実践理性の要請として神学的な考えの規定においてカントが体系化したのが最初であるが、物質は暗黙のうちに創造されしもの(ens creatum)として構想され続け、外在的な自発性として決定される創造的存在とは区別されてきた。創造されしものとしての物質は本質的には正当であるが、創造されざる物質は本質の採択(adoption)を避ける程度には無秩序である。これがショーペンハウアーが、充足根拠律や存在の論理性を、表面的な正当さでしかないと考える理由である。
 ショーペンハウアーは、意志が表象主体の自発的な行為であるという知性と意志の伝統的な関係を逆転させ、意志を表象以前の(「盲目的な」)衝動として再構築した。それにもかかわらず、ショーペンハウアーの進歩は、ある点では極めて限定的なものである。彼は、前存在論的で宇宙的な地盤の無秩序な性質を道徳的には好ましくないと考えており、伝統的な神学的決定を、絶対否定(意志の否定)の外在的な道徳的原理に置き換えているにすぎない。ショーペンハウアーのこのような反唯物論的な考え方は、非合法な(unlawful)存在が、それ自身を罪を宣告するための(観念論的に根拠づけられた)司法上の(juridical)潜在性を保持すべきであるという要件に由来していると見ることができる。ショーペンハウアーは、その道徳的遺産の基本的な価値観を厳密に問うことなく、神ではないものを根本的な不完全さや罪と結びつけ続けた。そのため、無規制な意志は無責任なのではなく、悪意であると考えられるようになった。ルカーチが語るように、1848年にショーペンハウアーがプロイセンの将校に、「彼が打っていた暴徒たちをよく見えるようにする」ためにオペラグラスを貸したことを知っても、驚くべきことではないかもしれない[ルカーチ全集IX 179p]。
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 ペシミスム、つまり欲望の哲学は、学術的な包囲に著しくアレルギーを持っている。ショーペンハウアーもニーチェもフロイトも、もちろんバタイユもそうであるように、彼らの作品の大部分は、国家教育学の汗まみれのしがみつきはアクセスできない空間から書き上げられているのである。制度上の哲学に対する最も完全に蒸留された攻撃は、おそらくショーペンハウアーの『余録と補遺』の中の「大学哲学について」と題された章に見られるものであろう。ショーペンハウアーは、このテクストの中で次のようなことを主張している。すなわち、大学は国家の利益によって妥協を強いられており、このため必然的に大学はそのような利益のための一神教的教義の永続性に巻き込まれる。その結果、大学は低俗な迷信に従属することによって、完全に破壊されてしまうのだ。それは知的独立性への嫉妬が溢れた憎悪に彩られる卑小な出世主義によって煽られ、その支持者が聖職者の監視からもがき逃れて、騙されたように崇拝する大衆に催眠術をかけることができるような、ひどく曖昧で歪んだ専門用語で表現された、グロテスクで偽善的な詭弁へと堕落させられてしまうのだ。ショーペンハウアーが次のような結論を出すのは驚くに値しない。


 もし哲学が存在し得るとしたら、つまり、その最も高尚で高貴な力を、あらゆる問題の中でも特に重みのあるものに捧げることが人間の心にできるとしたら、それは、哲学が国家の影響力から全く外れるときにのみ、達成することができるのである。[ショーペンハウアー全集Ⅶ 200p]


 この嫌悪は完全に打ち返された。ショーペンハウアーに対するハイデガーの発言を見れば、大学の加害者への復讐心を知ることができる。ハイデガーの『ニーチェ』一巻でのショーペンハウアーの美学に対するひどい棄却は典型的な例であり、他にも『形而上学入門』、「ライプニッツ講義」[日本版全集26巻]、『思惟とは何の謂いか』などに見られる。どちらのケースにおいても、問題となっているのは議論ではなく、アカデミアとその外部の小さな反抗的断片との間にある相互の反発の関係である。どちらも互いの言説の正当性を認めていない。大学は相手を無能であると考えており、一方で哲学的な争いという武器を手に入れ、それを操ることを学んだ相手の一部──明かにごく一部であるが──は、大学の声が従順さによって取り返しのつかないほどに汚染されていると考えている。
 「論争」や「議論」という観念論な概念に執着している限り、この対立を解釈する上での進展はほとんどない。議論の構造は、大学が採用している和解(pacification)の支配的様式であり、つまり制度化、中庸化、結果の無期限延期という文脈の中で、ある種の管理可能な対立を批准するものである。アカデミックな議論にとって超越論的なものは、社会経済的権力への服従である。この場合の議論の可能性を最初に役に立たなくしたのはショーペンハウアーであり、例えばハイデガーはすでに挑発されていると言ってもいいかもしれない。ショーペンハウアーがヘーゲルと同じ時間に講義を開いたという有名な話は、その例であろう。これは大学では少なくとも対話と同じくらい基本的なものである排除の関係をドラマ化したものである。この仕草を単なる偏屈だと退ける人は誰でも、大学がそれぞれに話す機会を与え、多様なタイプの思想が出会うための中立的な空間を提供しているという考え方に、暗黙のうちに信憑性を与えていることになる。ショーペンハウアーは、学問の公平性についてのそのような提案を真剣に受け止めていない。


 国家は大学の哲学的な論争に常に干渉してきたし、どちらかに加担してきた。それが実在論者と唯名論者の問題であろうと、アリストテレス派とラムス派の問題であろうと、デカルト派とアリストテレス派の問題であろうと、クリスティアン・ヴォルフ、カント、フィヒテ、ヘーゲル、その他のどんな問題であろうとも。[ショーペンハウアー全集VII 187]


 さらに、国家の介入は、その機関自体に内在する恒久的な動力である。大学の哲学は、国家権力との浅ましいいちゃつきの一環として、自らを管理するのである。


 哲学の教授は、それが真実であるかどうかを確かめるために現れた新しいシステムを調べようとは決して思わない。むしろそれが既成の宗教の教義や政府の計画、時代の一般的な見解と調和するかどうかを調べるためだけに、すぐにそれをテストするのである。この後、彼はその運命を決定する。[ショーペンハウアー全集VII 167]


 ヘーゲルとの非対話的な衝突を突然始めることによって、ショーペンハウアーは確かに若干の戦術的な無能さを示したが、戦略的な盲目ではない。1820年代初頭のベルリン大学に、無神論哲学を議論するための公平な場があったことを誰もが示唆したいとは思えないからだ。ショーペンハウアーの診断の力は、哲学と一神教の間にある形而上学的な対立と、その対立を制度的に阻止することの両方に同時に注意することができる点にある。この二重性は、オプティミズムに対する彼の批判に、不朽の反対のエネルギーを与えている。オプティミズムは弁明の一般的な形式であって、神学の形而上学的献身(commitment)への鍵であると同時に、これらの献身を精力的な尋問から守る鍵でもある。一神教は、世界を慈悲深い神の創造物として、あるいは少なくとも、善の最高概念を定義する神の創造物として記述しており、‘存在は保護に値するものである’という、あらゆる範囲に広がるオプティミスティックな枠組みを正当化している。オプティミストにとっては、反抗、批判、否定性のあらゆる形態は、計画された(projected)肯定性によって条件付けられなければならない。すなわち人は、より確かな知の基盤を固めるために批判し、より安定した快適な社会を確立するために反乱を起こし、存在を本来あるべき完全な肯定性へと解放するために現実と闘う。将来の説得力のある計画がない限り、否定性は先の弁明的な教義によって非正当化されてしまうので、その全ては物事を必然的に大きく遅らせてしまう。示唆(suggestion)は常に「少なくともこれは何もないよりはましだ」という、おそらくライプニッツの悪魔が地獄の門の上に書きつけたスローガンであるのだ(私は地獄について議論をしているわけではない)。
 思弁的思考が社会進歩の論理であり、政治的行動の集合的主体への条件の漸進的吸収の方法による自由の実現であるのに対し、ペシミスムは無条件な反乱の情動プロセスである。最も荒涼とした思弁的推論は、たとえそれが苦悩させる矛盾の暗黙の真実に一瞬凍りついたとしても、進歩的発展の現実へのコミットメントを依然として保持している。アドルノがこのような論争に特別な困難をもたらすとすれば、それは彼が思弁的思考にも同様の困難をもたらすからであり、またヘーゲルの思想に含まれる、彼の歴史哲学の植民勝利主義(colonial triumphalism)に関係する、むしろ最終的にはより興味深い還元不可能の民族中心主義に異常に敏感だからというのも理由の一部である。その基本的性格は、自分の西洋人的先祖の勤勉な進歩を見捨てるような原始的なものへの回帰への恐怖であり、またこれは、自分には莫大な量の失うものがあると主張する惨めな西洋的ニヒリズムの症状となっている。我々の歴史が何らかの形で有益なものであったということは、ショーペンハウアーが猛烈に否定していることであり、彼の激しい反歴史主義(ニーチェが大々的に大改造することになる)には、少なくとも次のようなメリットがある。それは、西洋社会の基本的な弁明のモチーフの一つに対してしっかりと自分自身を定位するのだ。結局のところ、私たちは、ある集団が他の集団や自身の非奴隷的な潜在性に課した、凄惨な出来事と持続的な残虐性を組み合わせたプロセスを意味しない歴史という言葉を使うことはできない。
 革命の思弁的モデルは「乗っ取り(taking over)」のモデルであり、ペシミスティックなモデルは逃避のモデル、つまり一方では搾取としての抑圧の転覆、他方では監禁としての抑圧の転覆のモデルである。最終的には受け入れられない区別を用いて、これらのモデルは、社会描写のレベルでは、少なくとも歓迎的(complimentary)であると同時に、排他的でもあると言えるだろうし、労働力の抽出と自由な移動の阻害は、定住農業が始まって以来、人間という動物の家畜化に加担してきた。しかし、戦略のレベルでは、ある種の分岐が現れ始める。その分岐は例えばドゥルーズやガタリを、革命の西洋的モデルと東洋的モデルを紐解くことへと導く。後者は部分的に抑圧されたノマドの欲望のブロックに基づいており、定住空間の解消と国家の清算を指向している※3。もちろん、直接適用可能な具体的なプログラムのようなものに関しては、ショーペンハウアーが提供できるものはほとんどないし、彼の政治について知られているものは、明らかに反動的な傾向を持っており、定住社会の慢性的な絶滅的傾向や、その深い恣意性を理解していないように見える。彼が提案する代替案は、放棄のモードにおける離脱の一つである。つまり、彼はノマドロジーを欠いていたか、あるいは、迷路から抜け出す譫妄的な反論理を探求することができなかった。これは、ヘーゲルが商品生産の特に近代的な支配について説得力のある根拠を欠いていると非難するのと同レベルの主張であり、ニーチェやマルクスと関連した具体的なものへの衝動を説明するのに役立つものである。
 ペシミスムは独立した形而上学から論理的に分離され得る一つの価値ではない。なぜなら、同一性の論理的価値がそれ自体、ペシミスムが私たちから取り上げるような快適さだからであり、意志の形而上学が価値の問題の自律性や分離可能性を覆しているからである。この意味で、ペシミスムは、時間や拒絶という非人格的な否定性によって、存在に対して、特に最高の存在に対して操作された、最初の真に超越論的な批判である。ショーペンハウアー派とヘーゲル派は、存在を時間の中でその廃絶に惜しげもなく服従させることで、かなりの距離を一緒に旅することができる。しかし最終的に、思弁的な思想は反プリミティヴィズム的イデオロギーのようにペシミスティックな視点から退行の恐怖を示す。そしてそれは疑似進歩的な西洋社会の利益に奉仕しながらのことなのである。マルクスが『共産党宣言』の中でプロレタリアに訴えた「失うものは鉄鎖以外に何もない」という有名な言葉は、思弁的な解釈とペシミスティックな解釈の両方の可能性を秘めており、最も妥協のない力を発揮するのはおそらく後者である。
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 カントの遺産の一部は、彼の時代以降、伝統的な神学を理論的に擁護できると考えた重要な哲学者がいないことである。カントの『純粋理性批判』は、スコラ哲学者や近世の哲学者たちが丹念に構築してきた神の存在をめぐる議論の構造を整然と解体している。その構造とは存在論的・宇宙論的・神学的証明のもっとも重要な柱であり、カントにその全てを根本的に受け入れられないとされたものなのだ。カントがこれらの弁明的議論を徹底的に解体したことに異議を唱えた哲学者はいないが、彼らはいくつかの明確な方法でそれに対応してきた。カント自身の道は、道徳的必然性に導かれた信念に基づく有神論的信仰の再構築であった。 宗教は、道徳法則の直接的証拠に従属するようになった。カント以後のイデアリストたちのなかでも特に注目すべきは、もちろんフィヒテ、シェリング、ヘーゲルであり、全員が歴史的先取りの証拠と装飾の間の何かとして役立った、キリスト教的一神教のイメージのために、思弁的理性の上で神学を再構築しようとしたのだ。これらの思想家たちにとって、カントのテクストは、彼らがそれに反して敬虔な宣言をしたとしても、ユダヤ-キリスト教の聖典よりも紛れもなく権威あるものとなっていたのである。ヤコービやキルケゴールなどは、宗教的信仰の不条理さを肯定的な挑戦へと変換する超信仰主義を追求し、ショーペンハウアーとそれに続いてニーチェは、哲学は残忍なほどに無神論的にならなければならないと結論づけた。
 ショーペンハウアーは消極的な無神論者ではなかった。彼は一神教を単に誤りであるというだけでなく、グロテスクであると考えていた。この判断には多くの要素が関与しているが、彼の思想にとっても、後にニーチェの思想にとっても、最も重要なのは、(彼が反ユダヤ主義的に解釈していた)このような信仰の大規模な人間中心的傾向を暴力的に否定したことである。ショーペンハウアーの哲学の中心的かつ執拗な信条は、知性、人格、意識が、複雑な神経系の極めて表面的で派生的な特性であり、したがって、非人格的で無意識的な力によって駆動される、宇宙の本質の根本的に非典型的なものであるということだ。人間存在においても、人格は、その基本的生命機能にほとんど本質的でなく偶発的であり、その機能のための道具である儚い泡沫に過ぎなかった。さらに、人格とは、称賛すべき理性ではなく、むしろ傷や、その中で存在の無益な恐ろしさが汚い苦しみとして、時には選ばれたいくつかの標本における悲劇として表現されていた血にまみれた独房であった。それゆえ、人格神という概念は、エゴイズムと盲目から生まれた怪物的な倒錯であり、自己の消滅という救済の唯一の可能性から逃避している人々の悲惨な虚栄心に迎合して、個人化された意識的存在者を正当化しようとしたものであった。 したがってカントとは対照的にショーペンハウアーは、有神論を不道徳の神格化、すなわち個的同一性の原理への惨めな執着であると考えたのだった。
 ニーチェは、ショーペンハウアーの診断の基本的な考え方を全面的に支持していたが、彼の宇宙論を深め、贖罪への執着を続けていたエゴイズムを捨てようとしていた。ニーチェはもはや自己という苦しみを、それを支える基本的な宇宙的プロセスに対する深刻な異議とは考えていなかった。ショーペンハウアーが自然界の無意識的な努力を「生への意志」── その最も洗練された形態が個人化された人間という動物のエゴイズムである──として描いていたのに対し、 ニーチェはこの基本的な原動力を「力への意志」──それにとって生存は単なる道具でしかない──と改名した。ニーチェにとって、生命は超個人的無意識的創造的エネルギーがはたらくときの媒介として考えられている。人類は全体として、創造のための資源にすぎず、自分自身よりも美しいものを生み出すために費やされる溶解しつつあるスラッグにすぎない。人類の終わりは、それ自体の中にあるのではなく、事前に何も決めることができず、「超人」と仮に名付けることしかできない惑星規模の芸術的実験の中にあるのだ。なぜなら超人とは、人間の優れたモデルではなく、人間を超えたもの、人間性の創造的な卓越である。ニーチェはキリスト教を、人間主義的な奴隷道徳の最下点にあるもの、すなわち人間を通過し、それを超える無意識の芸術的プロセスの冷酷な衝動から、存在する人間の型を守ろうとする最も忌まわしく貧しい試みとして読んだ。ニーチェの無神論とショーペンハウアーの無神論を結びつける連続性と非連続性の混合は、「人間は克服すべきものである」というニーチェの格言に要約されている。
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 ニーチェの無神論は容赦ない反人間主義であり、そのために(準)反人間主義の哲学であるジャック・デリダの「脱構築」と混同されるようになった。デリダは近年、バタイユ受容で覇権を握る哲学者である。脱構築の直接的なルーツは、フッサールとハイデガーの現象学にあり、特にハイデガーの後期の作品とは、ほぼ完全な親密性を持っている。この全体的な思考の流れの支配的なモチーフは、言語の操作に関連して、現象が与えられる出来事を「現前すること(presencing)」、すなわち‘現存性(Anwesenheit)’である。後期ハイデガー、そしてデリダの軸となる洞察──カントの批判を置き換えながらも構造的にはカントの批判に類似しているこの洞察──は、現前することが伝統的に現前(presence)のモデルに基づいて考えられてきたということである。つまり、現象の起源は現象そのものに基づいて考えられてきたのであり、そのため、現前することは、それが構成するもの、あるいはハイデガーとデリダが結論づけたように、構成することに失敗するものを通して考えられる。デリダのよく知られた用語である「エクリチュール(writing)」「テクスト」「差延」などは、決して完成されることのない現前の構成プロセスを指しているが、それは際限ない生成的な非現前(non-presence)である。デリダはしばしばこのプロセスを、ニーチェの力への意志を貧弱な仕方でエコーさせるような言葉において表現している。力への意志とは、つまり目的のない芸術的狂乱において自分自身の中へと戻る生産物を融解している、飽くなき創造的欲動のことだ。しかし、このような共鳴は、実質的な哲学的関係を示すものではない。現象学の伝統は、その意識を盲目的に崇拝するために、カントからショーペンハウアー、ニーチェ、フロイトからの緊密にまとまった系列のなかを流れる、エネルギーに満ちた無意識の哲学とはまったく異質なものである。ゼロの上に統一性を乗り上げさせるニーチェのアグレッシブな系譜学と、現前と不在(absence)の境界を果てしなく探るデリダの脱構築的な現象学との間には、広大な溝があるのだ。
 脱構築的な読解は、ほとんどもっぱら最も基本的な意味の構造、二分決定に対して行われる。このような読み方は、概念的な構成がこのような二項対立的、あるいは対立的な種類のものであるテクストに焦点を当てており、これはいずれにしても西洋的エクリチュールのどこにでもある特徴であると主張される。概念の二項対立は、現象性の神話の究極の基礎、つまりその原理が論理的排中律である偽りの明快さ、明瞭さ、一貫性の付与であると考えられている。デリダにとっては同一性と否定性の両方が存在の様式であるということであるし、それはヘーゲルの理性の現象学と表面的に一致している。デリダのねじれは、排除された中間、あるいは同一性と非同一性の間の差異が、決して首尾よく排除されることはなく、 むしろ失敗した抑圧にさらされることを示唆することである。この理由は、非常にざっくり言うと、現前は対照的な概念であるという、スピノザ、ヘーゲル、ソシュールのように多様な思想家が共有している原則によっている。現前するということは、非現前と厳密に差異化されていることであり、つまり差異化自体が──現前の条件であるので──現前できないことを意味する。差異や非現前は何ものにも明確に表象(represented)され得ないので、現前と厳密に区別することは不可能である、つまり現前の条件が実現不可能であるということを意味する。脱構築的な読解の課題は、デリダが痕跡と呼ぶ、書かれた差異を回復することであり、痕跡は明晰な概念としての同一性と差異の構成を妨げるものである。脱構築の手順は、まず、項の対立の中にちりばめられた伝統的な価値階層を転覆させ、次に、テクストの中で矛盾した形で展開されてきた第三の項を明示的に示すことである。この第三の項は、対立の両側からその価値を導き出して、整合性のない述語を持つ部分的に隠された疑似概念として機能する。現前することやエクリチュールはこの項の名となり、その発見は与えられた脱構築を極点に達せしめる。
 デリダの作品は、特に彼の散文スタイルがかなりの量のテュートン的な無分別さと不明瞭さを受け継いでいるので、最初は戸惑うかもしれない。しかし彼の読解の機械がニーチェの無神論的プログラムへの含意は、非常に率直である。彼は、無神論をせいぜい、神学の脱構築への道を歩むための戦術的な一歩だと考えており、実際には、この一歩でさえも彼は興味がないように見える。しかし、たとえデリダが反有神論的な傾向を持っていたとしても、彼は「哲学」によって、神の現前と不在の違いを規定するもの、シェリングの「絶対性」やハイデガーの「存在」のようなものを、探求するように駆り立てられるだけであり、その探求は、急進的な神学者にとって長い間親しまれてきた動きとほとんど区別がつかないものである。ハイデガー自身は、このような立場と、おそらく最もイデオロギー的に妥協されたキリスト教信仰のヴァリアントである南ドイツローマカトリックへの継続的な固執との間に矛盾はないと考えていた。
 ニーチェの脱構築への還元不可能性をもう少し慎重に検討する前に、ジャン=フランソワ・リオタールの議論を簡単に紹介しておこう。彼は初期の「ニーチェ的」な段階でさえ、無神論の問題に関する準脱構築主義的な立場にのめり込んでいる。1974年の『リビドー経済』で終わるその期間において、リオタールがデリダがかつて近づいたよりもはるかにニーチェの思想に近づいていることは疑いようがなく、その兆候は探究の現象学的なモードではなく、精神分析的なモードへのリオタールの執着である。それにもかかわらず、作品のこの段階でも、リオタールはデリダに匹敵するほどの完成度をもって無神論の空間を否定している。彼は無神論を反応的なものとみなしている。その無神論とはフロイトが主張するように、否定を知らないエネルギーに満ちた無意識の衝動よりも、むしろ神学に属する否定のジェスチャーを繰り返しているのだ。ニーチェの思想に必要なのは、一神教への批判ではなく、一神教への負の投資であると彼は示唆しているのだ。キリスト教は攻撃されるべきではなく、放棄されるべきである。なぜなら、無神論は単に‘ルサンチマン’や嫌悪感といった抑鬱状態を助長する記憶の痕跡を永続させるだけだからである。リオタールは、もし神の死をどうでもいいこと以外のものとして扱うならば、神の死の思想は単にリビドーの激しさを弱めるだけであることを読者に説こうとしている。神は私たちを反抗に駆り立てるのではなく、私たちをうんざりさせ忘却へと連れてゆくはずである。
 デリダとリオタールの共通項、そして彼らとニーチェとの間で乖離している前提は、無神論が、否定の意味の変貌(transmutation)や価値転換(transvaluation)ではなく、否定の一例であるということである。ニーチェにとって、無神論が、それ自体本質的に神学的なものである否定の概念に依拠していると非難することは安易である。なぜならそうすることは、あらゆる語の意味を整理し続ける社会史的に実現された神学的空間の中に、受動的に留まることだからである。否定は、神の死を祝う中で、神が存在しない方法を意味するために直された。またこれは、神学とそれによって条件づけられた形而上学の中で許容されていた否定と釣り合わない意味である。「神がいない」と言うことは、命題を既成の論理的構文で表現するのではなく、根本的に新しい方法で、したがって全く実験的な方法で、もう一度考え始めることである。ゼロは、論理的否定性の厄介な外皮の下で運命的に発見される。ニヒリズムの「無」が永続的に神学的な概念であることを示唆することは、最も長ったらしく親しまれている種類の蒙昧主義である。虚無(nihil)とは概念ではなく、むしろ無限性(immensity)と運命なのである。 ニーチェは、無神論を、抑制の喪失として、開かれた地平線として表現している。無神論(atheism)の「a-」は、崩壊するダムの意味でのみ欠如的(privative)なのだ。
 脱構築とは、その論理的-構造的な意味に否定的なものを体系的に閉じ込めることである。否定的なもののあらゆる使用、言及、暗示は、まるで避けられない目的地に向かうかのように、二者間の対立に引き戻される。そのため、「de-」や「un-」や「dis-」あるいは「anti-」というのはすべて、思弁的に概念の鏡空間に収監される。ここで脱構築に忠実に従うとすれば、無神論、反ヒューマニズム、反論理は、有毒病原菌を媒介する沼地であるのとは程遠い、敵との明確な関係を通じてしか力を持たないことになる。 そうしてその関係は常にすでに従順さへとそれらを両極化していた。脱構築(deconstruction)「それ自体」については、ああ、苦しむことが好きなのだ!
 このような否定的なものの論理化は、デリダへと還元不可能な宙吊り、遅延、差延について「考える」ことを導くし、その宙吊りなどのうちではそのうちでは同一性の延期と置換の間で決定が麻痺させられる。宙吊りは、それ自体を絶滅(annihilation)へと解決するのではなく、(豊かさから派生するのではなく)常にそれから遠ざかっていた痕跡や名残へと解決するだけであり、それゆえに、差延は、手の届かない可能性の主張として表現できる、つまり根本的な家畜化の庇護の下にある限りにおいて、取り返しのつかない支出という(非)意味での損失にすぎない。「フロイトとエクリチュールの舞台」においてデリダは、現実原理に差延を相当させることおいて、両者を排出の規制の実例として読み取っている。差延は、情動量(affective quanta)の下降に向けて、それらの流出を反復の必要性に適応させるために、(常にすでに始まっている)迂回路へと道を決め直す(re-routing)。デリダは奇妙な一連の動きの中で、欲望を(それをエネルギー的なものから現象学的なものへと変化させる)形而上学的な傾向で烙印を押し、それによってデリダは抑圧を純粋現前の不可能性と繋げることで超越論化させることができ、また抑圧の必然性を承認することの抑圧(不可能な傾向の抑圧として書くことの抑圧)となるように、抑圧の思想を暗にやりくりさせることができる※4。このようにして彼は、診断の認識-観照的な項を倍加し、自我の殉教を尊び、精神分析の兆候を変えながら、その二次的プロセスの政治を強化し、現象学的な回復を超えた物質的、供儀的、生成的な無意識へあらゆる可能な言及を排除しようとし、一般的には、これまでに書かれた、すべてを擬似的に破壊的なレトリックで覆っているリビドー生体解剖の最も首尾一貫した護教論の一つを生み出す。
 その言説の社会的普及という点では、デリダはおそらく我々のヘーゲルである。権威主義的な理性と(哲学的成層圏への問題の高度化によって促進された)歯のないアカデミックなプロフェッショナリズムの「偉大な伝統」に奉仕する同化者ヘーゲルだ。ヘーゲルのように、デリダは万物の概念への参照に、すなわち(両者ともがそれらに抵抗し、再度立ち向かい、闘争することを公言している)諸対立関係に、万物の表象への、従属性への、‘ロゴス’の普及の飽和状態への、そして捕獲への参照に取りつかれている。彼らの思考はまた、破局の挫折と圧倒的な遺産の感傷的なパトスに繁栄するという魅力的ではない特徴を共有している。 両者とも知的な保守の戦略として「反抗」を構想し、実践している。どちらも、拷問された構文の中で蠢く悪霊のような専門用語で書かれている。実際、デリダがハイデガーから学ぶ最も基本的な教訓は──ほとんど確実に無意識に──ヘーゲルが哲学のために獲得した社会的-政治的な威信(二次プロセスの弁明の蓄え)を、思弁的思考のおかしなまでに誇張された理想主義からいかにして救うか、ということである。両者のうちに取り入れられた戦略は、本質的にカント的なものだ。つまり守りたいものがあるならば、自分自身でそれを慎重に攻撃せよ。そうして補充された力を投入すること、その絶滅を先取りすることだ。‘防衛責任の移譲という征服’の最も成功した実践者がハイデガーであるとすれば、デリダはいまだに彼の最も熱心な弟子である。このようにして、「西洋形而上学のテクスト」は、それ自体が一般的な「破壊」、「脱構築」、あるいは修復的批判の対象となっていることに気づくのである。それは──とりわけ──「それ」を全体として捏造し、自身の老朽化した自己正当化からそれを救い出し、その効果を他のテクストにまたがって一般化し、その制度的再生産を強化し、真理との独占的な関係を強固なものにし、その目的論的な尊厳についての最も荒唐無稽な物語を除いてすべてを確認し、その脅迫の祭司長的な(hierophantic)力を養い、真の敵を偽の諷刺(「未発表」や「余白」)の吹雪の下に覆い隠し、政治的な囚人を監禁し、ロボトミー化する文体の特徴と社会学的な自己満足を繰り返し、最後には、名付け得ぬ神について再び呟き始める。 脱構築は資本のようなものであり、つまり管理された不本意な変化なのだ。
 擬似的接触の重要な実例は、デリダの『尖筆とエクリチュール─ニーチェ・女・真理』の議論に見られる。この本は『ニーチェ─芸術としての力への意志』におけるハイデガーの解釈を補足するテクストである。この読解は、ニーチェのセクシュアリティ、すなわちエクリチュールの、かつとしてのセクシュアリティのいくつかの特徴を指摘し、ロゴス中心主義的形而上学の歴史と構造との関係性の網目を示している。これらの指摘を尖った命題に凝縮すると、デリダのテクストにおいて、多くの評論家がほのめかす以上に頻繁に見られる文体が、次のようなものを生み出すかもしれない。

 ニーチェのテクスト性は、真理と現象の伝統的な論理を覆す、抑圧されたレズビアンの層によって機能しているのだ。

 デリダによれば、ニーチェのエクリチュールを部分的に支配している抑圧のシステムは、以下のように二つの契機を持つ、明確化された去勢の原理によって編成されているという。
1 彼はこの去勢された女性であり、彼女を恐れていた。
2 彼はこの去勢する女性であり、彼女を恐れていた。[『尖筆とエクリチュール』101p]
 去勢は、排中律によって割り当てられたプラスとマイナスについて、不在によって脅かされた充満さ(plenitude)として思考の中で決定される。したがって、それは形而上学の基本的な心理学的反響である。フロイトは、西洋の歴史の中でジェンダーの構築を支配してきたのは、この構造、その純粋な状態における構造そのものであることを多くの場所で示唆している。去勢は純粋で究極的な欠如の契機の割り当ての問題系であるため、容易く没収(disappropriation)の問題系に関連付けられている。デリダは、「持つこと」と「持たないこと」の間のこの違いを、豊かさや欠乏によって特徴づけることができない、より原初的で適切とも不適切とも定められない(propriative)運動によって規制されたものとして読む。デリダは、この適切とも不適切ともとれない差異を、「彼はこの肯定する女性であり、彼女を愛していた」[同上]というフレーズで表現されている、脱構築的なレズビアンの過剰の契機であると捉えている。ニーチェのテクストの中には──その展開の不安定な原理として──自分自身に恋する女性の姿が見られる。
 これらの運動の「論理」は、ハイデガーの『ニーチェ──芸術としての力への意志』に緊密に対応している。その講義では、ニーチェの「いかにして真なる世界はついに寓話となったか」の最後にある真理/現象(truth/appearance)の対立の崩壊が、抑圧的で変革を受け付けない二元論の崩壊、つまり形而上学の捻じ切り(Herausdrehen)、捥ぎ取り、遠慮なしの煩悶(writhing-free)として祝福されている。デリダは彼女の(非)自己と接触しているファルスの非対称的な他者、あるいは非同一性の自己触発を印づけるために、──ハイデガーの散文の重々しい男性性に反して──この問題系にレズビアン的欲望の形象をやや不当に挿入する。
 この介入を封じ込める妥協点は多数ある。なぜならまたしても最終的にそれを組織させるのは現前と不在の間の差異だからだ。それがある種の色気を保持しているということは、ニーチェの思考と深く一致する、双方向的な反射-反省から一方的な推進へのシフトを捉えているという事実に由来しているが、このシフトは、充満(plenitude)の現象学的決定の端にあるボーダーゾーンへと押しつぶされている。ゼロや‘聖なるもの’は冒涜的否定性の狭窄の中で保持され、宗教的運命は哲学の技術的な力量を通して解釈される。
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 1888年の晩春から書かれている、「力への意志」と題された編集物の、811と番号をふられた覚書の末尾で、「受容性の問題に偏した女性の美学が、私たちの芸術に対する理解を支配している」とニーチェは主張している。ニーチェは、与える芸術家に、‘女性となって’受け取ることを要求すべきではないと示唆している。芸術の生産は男性的なものとして特徴づけられる一方で、美学の歴史全体、さらには哲学全体を含む芸術の受容は女性的なものに割り当てられている。この不安定な構造は、抑圧からの騒々しい噴出であるにもかかわらず──それは(相互的または双方向的なジェンダー・アイデンティティを構成する)交換関係の両極の項において、放蕩(profligacy)を崩壊させるので──私たちは芸術を導き、滅ぼす非人間的な浪費におけるまでの、ニーチェの芸術に対する考え方を追求することが可能になっている。
 ニーチェは、この奈落の底へのさらなる目印を同じ覚書の中で次のように述べている。


ある感覚の極度の鋭敏さ。そのためにこの感覚はまったく別の暗号を解し──そして創造する──多くの深刻な無秩序の一部であるような状態。コミュニケートへの極度の衝動となる極度の可動性、記号を与えうるものの全てが語ろうとする欲望。記号と身振りによっておのれからいわば離脱しようとする欲求、百の言語手段でおのれについて語りうる性能、──一つの爆発的状態。人はこの状態を、まず第一に、あらゆる種類の筋肉活動や可動性によって張りつめた内的緊張から免れようとする強制や逼迫であると考えなければならないが、次には、これら諸運動と内的事象(イメージ、思考、欲望)の間の不随意的な共存として、──内からはたらきかける強い刺激のもとにある全筋肉組織の一種の自働運動として考えなければならない。反作用を妨害することのできない無能力であり、抑制の装置がいわば停止されているのである。[ニーチェ全集 III 716p]


その後に続けて、


模倣せざるを得ないということ。ある与えられたモデルが伝染しながら伝達されていく極度の過敏性、暗示を受けただけである状態が推測され書き出される。イメージは、心のうちで浮かび上がって、すぐに手足の運動に変わる──意志のある種の中止──(ショーペンハウアー !!!)外部に対する一種の聾唖と盲目、──許された刺激の領域は厳密に区切られている。[ニーチェ全集 III 716p]


 芸術的なプロセスは、このようにして伝染病や神経症に例えられ、それに関連した激しさを持つ解除反応的(abreactive)ジェスチャーの爆発である。この流出への抑制は崩壊するが、新しい物質の受容は急激に減少する。換言すれば、吸収の力が抑制され、拒食症は漏語症、つまり極端な饒舌と結びつき、芸術は暴力的な消耗性疾患に基づいている考えられる。
 ここには、支出と所得の間の不平衡が極限に向かって押し出されるという、独特の経済モデルがはたらいている。ブルジョアの視点から見ると、私たちが直面しているのは、危険な狂気の究極形態、つまり全体的にコントロールの外にある反蓄財のプロセスである。この経済が基本的なものでありうることを否定する産業傾向のために、この経済の可能性を把握することには、明らかな困難がある。慢性的な浪費は、アリストテレスとヘーゲル両方の論理を支配する相互性に違反している。というのもすべての損失が関連する利益と相関しているということからすれば、規定は否定に等しいという原則と矛盾しているためだ。アリストテレス主義者もヘーゲル主義者も、複式簿記の論理的基礎を受け入れて、有能な会計士になることができる(ブルジョア経済学者とマルクス主義経済学者がお互いを非常に簡単に理解し合えることが多いのは、このためである)。ニーチェの意見は、逆に、最初から理解可能な人間経済から逸脱する傾向がある。
 「芸術としての力への意志」の中にある「与える芸術家に、女性になることを要求してはならない」 [ニーチェ全集 III 716p]という要求は、「いかにして真なる世界はついに寓話となったか」の歴史からのエピソードを想起させる。


 観念の進歩、それはより繊細なもの、より魅惑的なもの、より達成不可能なものになり、それは女性になり、それはキリスト教になる。 [ニーチェ全集II 963p]。


 もしこの接続が「女性になり、‘それゆえに’キリスト教になる」という意味で読まれるならば、ニーチェのしばしば猛烈に反女性的なレトリックの多くをこのフレーズに加えることができる。例えば、この時期の「芸術としての力への意志」の見出しの下に集められた別の覚書の中で、彼は次のように書いている。「老いていようとも若かろうとも、すべての敬虔な女性を喜ばせるものは何か? 美しい脚を持った、まだ若く、まだ愚かな聖人だ」[ニーチェ全集III 756p]。このような読み方の問題は、キリスト教が同一性主義的な一神教であり、ゼロに対して絶縁されており、聖なるものの特権的な墓場であり、つまり永遠なる存在の記念碑の下に女陰宇宙的な(vulvocosmic)溶解の渦を葬っているということである。ニーチェは、現前と不在の間で揺れ動く脱構築の縁に捕らわれているのではなく、むしろ部分的統一性(unity)という二次的プロセスの安全性を引っ掻いている、すなわち論理的否定の残滓でゼロを受け流しているのである。
 デリダが示すように、敬虔な女性がニーチェにとって去勢の同義語であるとすれば、この形象は、大きく修正された浪費の譫妄のさなかにある芸術家の対極にあることがわかるだろう。自分自身を貪り食って蓄積することしかできない去勢資本は、自分の持っているものをすべて捨ててしまう譫妄症で拒食症の狂人と対立しているのだ。しかし、ここで私たちは、相互規定と複式簿記に戻っている。芸術にとっての不可能性の条件に、言い換えれば絶対的な資本主義にである。去勢は飽食の純粋な敬虔さを抽出し、そのような敬虔さは芸術家をプロレタリア的困窮に追い込むのだ。
 ニーチェはこの苦境に気づかないわけではなく、『偶像の黄昏』「いかにして真なる世界はついに寓話となったか」の直前の文章おいて彼は書いている。


 世界を「真なるもの」と「見かけのもの(apparent)」に分けることは、それがキリスト教的な方法であれ、(最後まで狡猾なキリスト教徒だった)カントの方法であれ、退廃の暗示、生の衰退の徴候でしかない......。芸術家が現実よりも仮象(appearance)を大切にしていることは、この命題の異論にならない。なぜなら、ここでは、「仮象」とは、選択され、強化され、修正をうけただけ、実在を‘再度’意味するからである......。[ニーチェ全集II 961]


 「いかにして真なる世界はついに寓話となったか」が辿る物語は、我々の歴史の物語であるが、その源と系譜学的意味を提供する先史に比べれば、それは表面的なプロセスである。先史の物語は、歴史的物語が前提とする出来事、ディオニュソス的衝動の抑制、そして保存と反対物の合理性への埋め合わされていない支出のディオニュソス的衝動の自然発生的な流れに通じている。この歴史の幕開けは、次の小さな断章を含む、持続的な力をもつテクストである『力への意志』の584と番号が付けられている覚書の中で、より完全に辿られている。


 そして見よ、突然、世界は「真の」世界と「見かけの」世界に分裂した。正確には人間の理性が、自分が生きて定住するために考案した世界は信用されなくなった。 哲学者たちの錯乱した洞察力は、世界を管理可能で計算可能なものにするための道具として形態を採用する代わりに、これらのカテゴリーでは人間が生きているものが対応していない世界の概念が提示されていることを見抜いた──手段は誤解され価値の尺度とされ、その真の意図の断罪するものとさえされた──。その意図は有用な方法で自分自身を欺くことであった。そしてその手段は、混乱をもたらす多重性を、目的を持ち管理可能な図式に変えることができるような方法による、数式と記号の発明であった。[ニーチェ全集 III 726–7p]


 蓄財的な理性が「真なるもの」と「仮象」を比類ない最終的なものや純粋な概念として設けたところで、芸術家は現象を「もう一度(noch einmal)」実在として理解している。実在は衝撃波の波紋のように仮象の中に戻って来て、移動のために領域を広く広くと開いていく。実在はこのような移動のための刺激そのものであるので、この刺激が次第に「選択され、強化され、修正される」、省略して「強度化される」ようになるにつれて、それらは次第に荒廃をもたらすものになるだろう。最終的にここに──何も最終的などではないのだが──ゼロの痙攣、永劫回帰、ニーチェ経済のリビドーモーターがあるのである。
 ニーチェの芸術的プロセスの経済、つまりディオニュソス経済は、永劫回帰のヴェスヴィオ山的な反論理学の下に構築されている。このような経済とは、非人間的な浪費の永続的な再出現である。つまり自分のものにはできない過剰が、否定が縛るもの無きゼロへと変容していく中で、乱雑に表出しているのである。それが欲望に内在しているために、欲望は常に新鮮で──抑圧によって補填されなければ──浪費に向けてますます洗練された構造を持っている。ディオニュソス経済とは、実際、太陽の蓄えを切り刻んで燃やす農業-焼畑農業であり、そこでは、それぞれの概念的なペアの否定的限界が、肯定的なものの強度化として、差異の増大する病毒性として再構成されている。浪費の譫妄は、たとえゼロ・インパクトであっても、論理的否定が決して到達しないというこの不可避性から流れてくる。言い換えれば、永劫回帰の思考とは、すなわち欲望の過程の内で統合された存在の廃棄が、つまり制約のない浪費が、疫病の激化-強度化に一致しており、資産の(論理的に明瞭な)否定には一致していないということである。伝染病的差異は、それ自体からくる痙攣的な逸脱によってのみ強化される。
 ディオニュソス経済とは、非人間的な欲望の流動であり、回帰の鼓動の中で、新しい実在の興隆の中で、絶えず再活性化されている。これらの強度がよみがえる波は、家父長的生産主義がその限界のために留保していた「点」に、それぞれの波の終わりの点に据えられている。そしてそこでは(特定の否定として誤解される)女性化がおこっているのだ。こうして、欲望とは異なる強度のレベルで女性になること以外ないものでもないと言うことができる。女性になることは実在から離れることであり、教会ほど寓話を愛するものはないからだ。もちろん、敬虔な女性になること、歴史を始めること、男性性を愛すること、そして蓄財することは常に可能であるのだが。しかし、実在性はゼロの上に漂い、何度も何度も見捨てられる。無意識というレズビアンの深みでは、再移動(remigration)の女性化する痙攣への/としての欲望は限界がない。
 無意識という荒涼たる不毛の地に生息するすべてのものがレズビアンであり、ゼロの上に広がった差異、ポジティブな女陰の空間一面に撒かれた多様性である。男性性とは、死からの粗末な排泄穴(bunkhole)以外の何ものでもない。社会史的にはファルスや去勢は十分に深刻なものかもしれないが、宇宙論的にはゼロから目をそらしているにすぎない。もし脱構築が、自分のちんちんと戯れることに時間をかけなければ、もしかしたら一線を越えられるかもしれない......。


注釈
※1 カントの第一批判参照。[カント全集IV 400–1]
※2 カント/資本の複合体は、J.M.バーンスタインの『小説の哲学』において、ヘーゲル的な正気に従って概説されている。ルカーチの『マルクス主義と形式の弁証法(Marxism and the Dialectics of Form)』とジリアン・ローズの『ヘーゲル対社会学』は、どちらもルカーチの仕事、特に『歴史と階級意識』における「ブルジョア思想の二律背反」[ルカーチ全集 II 287-330]の章に依っている。同じコンプレックスの精神分析は、ドゥルーズとガタリの『アンチ・オイディプス』で探求されている。ネオシェリング的な読み方は、ハイデガーの技術の探究、特に『講演・エッセイ』の「技術の問題」の中で最も綿密に展開されている。
※3 この議論は『千のプラトー』の第12章「遊牧論あるいは戦争機械」で概説されている。
※4 ハイデガーの読者としてのデリダについては、私は全く議論していない。彼のアカデミックなテクスト主義が、ニーチェ、フロイト、バタイユ、アルトーなどの作家に対処しようとするとき、それは相対的な有用性の領域を決定的に放棄し、国家に仕える家畜化の装置となるのである。彼のバタイユ読解は、『エクリチュールと差異』の中の「限定経済から全般経済へ──留保なきヘーゲル主義」で最も注意深く展開されている。バタイユへのジェスチャーは、『哲学の余白』の「差延」でも明らかであり、他の場所でも同様である。 聖なるものに対して再構築された理性を強化しようとする人は、これらの著作に多くの価値を見いだすことができるだろう。



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