古田武彦『「邪馬台国」はなかったhttps://www.nanshin-lib.jp/WebOpac/webopac/searchdetail.do

真摯な姿勢を学ぶのにいい。
『魏志』の東夷伝倭人条にははっきりと「邪馬壱国」と書いてある。にもかかわらずこれを「邪馬臺(台)国」と押し通してきた。考えられる理由はヤマトと読みたいがためではなかったのか、ということだ。「邪馬台国」近畿説の松下見林(1637-1703)は『異称日本伝』で「ここに幾多の資料を集めた。(略)しかし、迷う必要はない。なぜなら、わが国には国史がある。つまり『日本書紀』だ。これを基として考えあわせて見て、「合う」ものは採り、「合わない」ものは捨てればよい。」と宣言している。その後、どの学者も「ヤマト」と読むべきという考えから離れられずに、近畿説、九州(山門)説をそれぞれに展開している。『魏志』の邪馬一(壱)国に至る道はしっかりと記されているため、ヤマトと先に決めてしまってからこの書を読もうとすると、読み替えが必要となったり、誇張だと主張する羽目になる。
中国は秦朝以来、度量衡と文字を統一し歴史を重んじすることを誇りにする国である。『魏志』(『三国志』)は曹魏・西晋の一応は「正史」の扱いなのだから、これらを意識して書かれている。歴史を重んじるという理由で筆を曲げている可能性もあるが、どの資料も一度はちゃんと記述通りの読みをしてみるべきで、そのうえでの評価をするべきだろう。
中国とインドを比較すると中国が歴史や歴史書を重視していることがわかる。インドでは歴史より哲学を重んじるため釈迦の生誕年すら百年の幅を超える説が出されている。仮にもシャカ族の王子として生まれ親たちに大切に育てられ、晩年は偉大な悟った人として生涯を終えたのだから生没のどちらかは伝わってもよさそうなものだが。釈迦の生涯が80年ほどだったことはほぼどの文献も一緒であるが。
中国の正史を甘く見るべきではないだろう。中国の正史が筆を曲げている可能性があるように『日本書紀』も筆を曲げているのだから。

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