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3-01「ギャルになりたい男PizzaLove、その結末...」

7人の読書好きによる、連想ゲームふう作文企画「杣道(そまみち)」。 週替わりのリレー形式で文章を執筆します。
前回は蒜山目賀田「美しさ」です。今回は、藤本一郎【ギャルになりたい男PizzaLove、その結末...】です。それではお楽しみください!
【杣道に関して】
https://note.com/somamichi_center/n/nade6c4e8b18e

【前回までの杣道】 

2−06「カントの背後にまわって、美を穿つ」
https://note.com/kantkantkant/n/n1042c57828f5?magazine_key=me545d5dc684e

2-07「美しさ」
https://note.com/megata/n/nba7779dfd9a2?magazine_key=me545d5dc684e

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PizzaLoveは人気のラッパーで、近年世界的に流行するTrapというスタイルをその楽曲の特徴とする。現在は2020年(執筆当時)であるが、新譜としてサブスクやらYouTubeにアップロードされるものの多くは、Trapの曲である。ミクロな変化もありうるが、共通するのはTR808というドラムマシンハイハットのチキチキとディストーションのかかったベース音である。BPMはだいたい70〜90ぐらいだろうか。Trap自体はヒップホップのサブジャンルであるが、ここからさらにいくつかのサブジャンルに枝分かれする。2020年10月に発表されたPizzaloveの楽曲「バイバイみちょぱ」は、トラックの印象から、エモラップと呼ばれるジャンルに含まれるだろう。

さて、「バイバイみちょぱ」はどういう内容の楽曲だろうか。タイトルにある「みちょぱ」は、女性タレント“みちょぱ”こと池田美優のことである。様々な地上波のテレビ番組に出演し、名実ともに人気タレントとして認知されている(「みちょぱってさ、インキャに優しそうなギャルだよね」などと、友人たちと意見を共有したことがある。非常に雑な偏見であるが、なんとなく伝わるのではなかろうか)。「バイバイみちょぱ」は、みちょぱに別れを告げる楽曲である。歌詞をみてみよう。

「君を好きだと叫びたい、曲作ったし届けたい、だけどDM送ったけど帰ってこない、BANされないだけありがたいね、てか実際でっかい事務所マジで怖い、10キロ痩せてもみちょぱになれない」

非常にストレートな表現でPizzaLoveの心情が吐露される。「君を好きだと叫びたい」、つまり、みちょぱに対する愛を伝える作品だろうか。しかし「10キロ痩せてもみちょぱになれない」というセンテンスを見ると、そのような素朴な内容ではないように思える。
ところでこの楽曲は、2020年5月に発表した「みちょぱ」という楽曲の続編にあたる。「みちょぱ」という曲は「みちょぱになりたい、(みちょぱのように)雑誌「egg」の表紙を飾りたい」という願望を歌った楽曲であり、続編としての「バイバイ〜」は、それが成就されない事への悲しい叫びなのである。

web雑誌「GQ」5月31日掲載のインヴュー記事のなかでPizzaLoveは以下のように述べる。

「ギャルに憧れたきっかけは、一年ぐらい前にテレビやネットでみちょぱを見て、直感でヤバいと感じたから。ポジティブでめげないギャルのスタンスに衝撃を受けて、自分もそうなりたいと思いました。いまのギャルは心意気だと思うので、ギャル男ではなく、あくまで(なりたいのは)ギャルですね」

このような背景で「みちょぱ」という楽曲を書き、半年間ギャルを目指して努力をしていたが報われず、「バイバイ〜」したようである。

この楽曲のPVは異様である。雑草生茂る曇天の不気味な河川敷で、みちょぱの仮面を貼り付けたマネキン人形を担いだPizzaLoveがこちらに歩み寄ってくる様子から始まる。エモいバック・トラックと掛け算されて、強烈にぎょっとする。公式YouTubeチャンネルのコメ欄は概ね好意的な印象で埋め尽くされているが、「明らかにネタだけど、スキルがあるから最後まで聴いちゃった…」「人形が気になって曲が入ってこないw」「トラウマMV確定www」など、どちらかと言うとセンスの良い飛び道具的な解釈でPizzaLoveの作品を受け入れている様子が目に付く(PizzaLoveは彼が目に付く限りどのコメントにもイイネをつけおり、彼の誠実さがうかがえる)。

ところで「コメ欄」でぼんやり気づくことがある。YouTubeという小さなフィールドで見る限り、PizzaLoveの真意はここのリスナーにはかなり曖昧な形でしか伝わっていない、という点である。この2曲(「みちょぱ」「バイバイみちょぱ」)はみちょぱへの愛の告白-失恋の経験を歌った作品では全くない。先も述べたように、明確に、「変身への願望」をめぐる作品であり、リスナーが心を動かされるとしたら、ヒップホップという社会体で、「ギャルになりたい」という感性を訴えたことが原因でなくてはならない。

「私は何者か」という問いについて、ヒップホップという音楽は、他の表現ジャンルに比べてより重要な意味を持たせている。それは数多繰り広げられる「あいつはリアルか、フェイクか」という論争からも知ることができるだろう。「リアルな事しか歌わない」という制約をクルーの間で設ける事も、ヒップホップという文化を根底から支えてきた要素の一つと言える。「リアルである事」とはこの場合何を意味するのか。ある社会的な状況の当事者であること、そして、「当事者」としての感性をリリックに書き残す事と言えるだろう。「リアルな」ラッパーたちは、例えばある大きな社会構造がいかに不条理な階級的不平等を生み出してしまうか、という現実を当事者として告発する役割を担っている。その意味でヒップホップをアート作品と呼ぶ人は多いだろう。

「リアル」という土俵において、PizzaLoveは非常に分が悪い。コメ欄から明らかなように、彼のファンからでさえ「ネタ」という烙印をおされている。彼が望む「変身」は、ヒップホップの伝統的な「当事者性」と対極にある。本当らしさからの逃避であるし、本当の状態に対して嘘をつく事であると言えるだろう。しかし、PizzaLoveはまさに、「逃避」や「嘘」によって、ヒップホップに、あるいは(もっと巨大に考えると)この社会で生活する私たちにとって、重要な方針を与えているように感じられる。「当事者であるべき、自分自身であるべき、自らを自覚するとおりにあるべき」といったリアルに対する要求は私たちの社会においても聞き覚えのある文言だろう。いわば「責任」をめぐる正論として、あるいは社会的な人間の態度における正論として。

PizzaLoveが表す「変身願望」は、彼の参加している音楽における伝統からの逃避であり、同時に私たちが所属する社会の「責任」という問題からの逃避である。その真意は、決してこれらの制度についてのアンチテーゼではない。ヒップホップにおける「リアル=当事者性=告発」が支配的になるとき、私たちの社会における「責任」が支配的になるとき、起きうる問題への器具なのである。すなわち「かくあるべし」という重圧の巨大化と、それによって主体が束縛され、規定される事態である。もっとも分かりやすいものとして、「男らしさ」「女らしさ」といったジェンダー規範があげられるだろうか(言うまでもなくヒップホップの伝統には「男らしさ」を求める傾向があり、それはいまだに強いように感じる)。PizzaLoveは直感でギャルに惹かれたと語った。ギャルへと変身することによって、こうした問題とどのように向かい合うことができるのか。彼の次作にその答えがあるかもしれない。


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