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中国生活2年の振り返り

重慶市

2021年秋からちょうど2年、中国での駐在員生活が終わりを迎えたので、振り返りをしようと思う。いわゆるJTCと言われる製造業の上海事務所に、会社からの手厚い手厚いサポートを受けての二年間であるので、X(旧Twitter)に見る単身で学びに来た留学生、現採でバリバリやっている人、ひとり駐在員として孤軍奮闘する人、会社を経営する人や县镇のすばらしさを啓蒙する人たちとは違い、実にぬるま湯な生活であったことは間違いない。それはそうとして、個人的には会社員生活でやっておきたかった海外駐在の立場を経験できたことは非常に良かったと思っている。3年以上はいてもらうと言われて承諾した異動が、2年で出戻りなので実質クビなようにしか思えないのだが。

一回だけ点滴のお世話になった

基本的に人生は塞翁失马,焉知非福だと思っているので、中国赴任の経験もこれからの人生に何かしらのいいことになっていくと思っている。通訳越しであることがほとんどではあるが、仕事を通じてたくさんの中国のひとたちを見て、会社を見て、酒で地獄を見て、終わらない腹痛で病院の天井を見つめて。中国という国は正直今でもあまり好きではないが、気前の良い(でも金払いは悪い)老板(ラオバン)たちや現地スタッフたちはみんないい人ですこぶる快適であった。もちろん、非常識で二度と会いたくないような人間にも出会ったこともあるが、それも異文化コミュニケーションってやつだ。

本当に2年だったのか?

毎日PCR生活

帰国の約3週間前。居留許可の取り消しに管轄の公安出入境管理に現地の人事スタッフに連れられたときに、窓口には支付宝のミニアプリ「随申码」の健康コードの出し方を書いた張り紙を見た。張り紙はすでに古ぼけてくすんでいるようにも見え、その役割を終えたのはすでに何年も前のようにも感じられたが、その張り紙は少なくとも10か月前まではまだ毎日使う必要があった。同行していた人事スタッフにその話を振ってみると、「ずいぶん昔のように感じますネ」と同意されたが、実際のところ健康コードや毎日のPCR検査に縛られない生活になったのは、昨年の12月からだし、昨年の春は2か月間上海の自宅で軟禁生活を送っていたし、そもそも中国に来た頃、この国に入るためには中国政府の認定病院から陰性のお墨付きをいただき、入国後に3週間の隔離を受けようやく生活が始められるといった有様であったことさえもう忘れ去られた記憶になりつつある。

こういうときに、振り返りとしてまとめておけば当時の感情を読み取ることもできるし、今見返してみてもこの国のコロナ禍への対応は、あまりにも異質であったとも思える。本当にこの時期にわざわざ大変な思いをして中国に来る必要があったのかという気持ちは、赴任生活を終えた今でも残っている。

陕西省

振り返れば、真の意味での中国赴任は2021年の7月からの約1年程度であった。自身の職務分掌は現地の営業スタッフとの協働である以上、上海の事務所に引きこもっていると彼らの助けになれる機会はそう多くない。いくら上海市が東京都よりも広いとは言えども、お客さんは上海だけではなくいろんな都市にいるので、実際に現地に赴きセールスの拡大に貢献できない限り中国での自身の存在価値がなかった。そして、私はラオバンでも総経理でもない一般社員が故に、顔を出すだけで価値が出る人間ではなく、製造業の現場で設計開発を10年弱続けてきた経験と知識をもとに、常に具体的な問題解決を出すことに重点を置く必要があった。その手段がかなりの期間封じられたことは、個人的にはかなり不完全燃焼な部分である。

日本人はどれだけ長い間中国にいても中国人にはなれません。
中国人も日本人はいつか日本に帰ることを分かっています。
あなたがやりたいこと、考えたことを確実に中国のひとたちがやるように仕組みを作り、残すようにしてください。

中国赴任の挨拶として、儀礼的に関係者にメールを送ったときに、中国のラオバンを務めた年配の偉い人から上記のような返信をいただいた。当たり前のことを書かれているのだが、他のどの返信よりも心に残り(多くは遊びすぎるなよって返信しかなかったのが、一般的な中国赴任に対するイメージなのだろう)このメールを受信したときに自身の目標を「いい意味でクビになること」と設定した。90后に僅かに届かない私は、現地のスタッフの中堅層と社歴や年齢が近い(日本の学校で置き換えると同学年~+3の範囲に収まっていた)こと、他の50~60代の駐在員と比較しても偉いポストについていないことも相まって、俺が君らに良いモノを啓蒙してやるんだヨォという思いあがった態度になることがなかったのは幸運だった。

北京市

彼らとコミュニケーションを取っていると、発言のなかに「○○先生がこう教えてくれました」「××先生はこう言ってました」と、かつて長期間同じような立場で赴任されていた歴戦の駐在員からの薫陶を受けており、私もOne of themになれればいいなと思っていた。

その道30年、様々な立場を歴任してきた人間に対し、その道10年程度のひよっこがやれることは何だと考えた。経験でも知識でも直接勝負に持ち込むのは分が悪いことは明白であったので、結局のところ自身の考え方とスタンスをはっきりとさせること、かつての人たちと違う視座で切り込むことができているかを意識して仕事に取り組んでみた。その中のいくつかの部分は短期的な成果として表れていたと信じたい。

ここまでやたら意識の高いことを書いてきたが、結果は最初に書いた通り不完全燃焼であり、立てた目標に対する個人的な手ごたえはそんなにない。彼らにとっては今まで来た駐在員の中では一番若く、単なる楽しい雑談相手だったのかもしれない。しかし、私はいまの会社に勤めている限りは再度赴任する可能性が(すくなくともおじいちゃんズよりは)あるわけだし、やり残していることが多いほうが次に行くモチベーションにもなると思った。ただ、実働一年少しはやはり短すぎた。

中国で勤務して

短い間ながらも一応、中国で勤務したので、当初持っていた印象と、実際に働いてみての印象を、ふわっとした書き方になってしまうがまとめてみようと思う。

スピード感→ある

杭州东站

日本企業への逆張りとしてよく言われる「意思決定のスピードが早い」について、確かにそうだとは思う。関わってたお客さんが中小企業が多いというのはあるが、決定権を持っている人間がすぐにやってくれと言えば、たとえプロダクトが未完成であっても持っていかなければならない(もちろん、完成したプロダクトがあるに越したことはないが)。逆に言えば、未完成で何かしらトラブルがあったとしても走りながら考えればいいやろという気持ちがあるから、クレームを出したとして謝りに行っても意外にも怒っているケースは少なく、おう来たか!みたいなノリと迎えてくれることの方が多かった(ただ、未完成であるということにかこつけて、売掛金を回収できなくなることもありそれはそれで大いに困るのだが)

大企業さんを相手にすると上記のようなテキトーさはなくなり、まあまあ煩雑な手続きを伴ったり、そもそも決定権のある人物にまで至るのに非常に時間がかかることもあるし、無視されることも割とある。Wechatを交換して連絡したら「知りません、人違いです」と返されて気を病んでいたらやってられない仕事なんだろうな。とアポ取りをお願いしているローカルスタッフに感謝していた。

とにかく人脈

广州市

日本での営業職を経験せず中国の営業サポートになってしまったので、そもそも私が営業という仕事に対する解像度が低いのは置いておいて、とにかく人脈が命である。日本でも勿論人脈がない限りは仕事を繋ぐことはできないのは当たり前だが、中国は雇用の流動性が日本より高いこともあり、大企業や日系企業勤めのお客さんが独立してラオバンとなったときにお声をかけていただけたり、転職先でうちが紹介するよりも前に採用を推していただけたりしてもらえたりもあった。他にも、ラオバンと一緒に食事をしようとついていくと、その先でラオバンのともだち(概念)がおもむろに出てきてそれが仕事になったりしたこともあった。

メンツ→すごく大事

大连市

これもよく言われていることだが、メンツを潰されるというのは中国人の彼らにとって屈辱的なことである。日系企業に勤めていることもありローカルスタッフの多くはある程度の理解は示すものの、公衆の面前でメンツを潰されるというのは基本的にはしてはならないことのひとつである。私は中国語しか話せない技術スタッフから質問を受けたときに、その内容のあまりにも稚拙さ(考えのなさ)に「ハァ?(うさぎ)」みたいな反応をしてしまったのだが、これが本人に雰囲気で伝わってしまい、次の出張には俺は行かないと言い完全にヘソを曲げてしまった。正直40代のおっさんのヘソ曲げなど世の中にかけらほどの需要がないものだとは思うが、彼は翻訳のためにそこにいた若輩のスタッフに見られた→公衆の面前でメンツをつぶされたという認識となったので、それを配慮しなかったのは反省点でもある。そのあとそのスタッフが客先現地集合に遅刻したときに「お前の安排(手配)が悪い!」と拗ねてアポ取りをしたローカルスタッフのWechatをブロックするというヘソ曲げムーブをしたと聞いたときは、さすがにこいつクビにしたほうがいいだろと思った。

また、前項の人脈とメンツは繋がっている要素の一つで、相手もこちらのメンツを大事にしてくれるので、本来なら競合が採用される場となっても、コロナ禍でも訪問してくれた、食事をしたなど何かと理由をつけてこちらのメンツを立てて弊注してくれたケースもあったりした。初回でだいたい終わるのもよくある話…。

コンプラ→マジでガバガバ

浙江省天台县

これは期待を全く裏切らなかったのだが、とにかく情報は流出して当たり前である。それこそ雇用の流動性が高いこともあり、製造業であれば図面は流出して当たり前である。また、図面が流出せずとも、製品のリバースエンジニアリングは当たり前で、どう考えても世界シェアの高い会社の製品に中国のドローカルのよくわからない会社の銘板が貼ってあったりする。展示会に行けば我が物顔をして世界のトップメーカのコピー品を堂々と陳列していたりする。それこと外観はコピー元の会社がしっかりわかるようになっており、そうして会社を急成長させているのを見て「俺たち世界のメーカーがこいつらみたいなモンスターを育ててしまったのか…」と暗い気持ちになることもあった。

もちろん日系の大きなメーカや、自分たちが世界トップメーカの自覚のある中国の会社であれば、スマホのカメラ隠しシールを貼られたり、入場前後の荷物チェックがあったり、代表者のスマホ以外は検問で全て預けるといったきっちりとはしている場合もある。

あと、個人的に結構難しいなと思ったことが、広告表現の厳しさである。こっちの仕事の中で日本のカタログを中国語版にするとだいたい中国広告法に抵触しがちで、中訳をした時点で法務部に出すとまあまあ朱筆を書いて帰って来る。実際に広告法に違反した場合の罰金のケースを見ると確かに突っ込まれどころを作ってしまうと訴えられるとほぼ罰金確定といった様相を呈しているため、これにはかなり気を遣った。

これからのこと

ここは深圳ではない

今は日本に帰ってきて上海の家から送られてくる荷物を待ちつつ、国慶節休暇もなく働くことになる。海外子会社の人間と直接顔を合わせて仕事をしたということは何事にも代えがたい経験であり、今の会社に所属する限りは皆が日本に来るときは热烈欢迎したいと思っている。
あとは、結局固有名詞を覚えるばかりだった中国語については、継続して勉強していこうと思う。


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