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点を繋げ、だが、繋ぎすぎてはいけない(スティーブ・ジョブズ、東浩紀、そして何者にもなれないまま分裂する僕ら)

1. 自己紹介

 はじめまして。最初の記事なので、自己紹介代わりに自分の半生について考えたことを書いておきたい。もし僕と似たような人が読んでくれて、同じ感覚を共有してくれたとしたら幸いだ。
 
 僕は現在求職中のシステムエンジニアだ。趣味は小説、マンガ、音楽、映像を作ること。先日、いい歳をして履歴書を書かなければならなくなり、自己PRの欄にGitHubへのリンクを載せるべきか悩んだことがあった。そのGitHubは本名で書いていてLinkedInとも繋がっているのだが、そこから僕の技術ブログ(Qiita)へとリンクがされており、そこから更に、僕の素人臭いバ美肉ミク歌の載っているYouTubeや、同人誌のペンネームが分かるPixivへと辿ることができるようになっている。どれも「いいね」が一つもついていない恥ずかしい内容ばかりだ。そして、履歴書の提出先の「お堅い」現場に、それらを全て繋いでしまうのがどうしても嫌で、けっきょく僕はそれを載せなかった。これを書いている時点で、実際に会った時にそれをどこまで話すかも、まだ決めていない。

2. 繋げと言われる

 実は、そういった趣味たちは、今まではもっとバラバラに分裂していた。昔の作品データは僕のPCの中だけにしかなかったし、前職を退職してからしばらくは、何かをアウトプットする気にもなれなかった。Twitterを再開し、Qiitaに記事を書き始めたのはこの10月のことだ。なんとなく転機になったのは今年の秋の人間ドックだった。
 
「血清アミラーゼが高値です」!
 
 初めて検査報告書に要精検の告知を見つけ、膵臓(pancreas)の疾病とその影響について検索を始めた時、僕の頭には、スタンフォード大学の卒業式典で演説するスティーブ・ジョブズの声が響きだしていた。大げさではなく本当に、膵臓癌を突然知らされたという彼が、"I didn’t even know what a pancreas was"と冗談めかして聴衆を見上げる仕草すら目に浮かんだ(Stanford News, 2005)。彼が亡くなったのはその演説から6年後のことだ。幸い、MRIによる再検査の結果、僕の体には何の異常も検出されなかったのだが、その経験は何か重い肉腫のようなものを僕の心に残した。

 そこで彼は「点を繋げ」と言っていた。「日の目を見ないはずのカリグラフィの知識が、10年後のマッキントッシュのデザインの時に突然繋がった。過去に成してきたことを繋ぐ視点を持て」と。それなのに、その演説が好きで何度か見返したことがあるはずの僕の経歴には、履歴書に収まりきらない転職回数と、繋がれていないバラバラの「点」たちがあるだけだ。今それらを繋いでおかなくては、手遅れになるのではないか・・・。
 
 もちろん、今までも体の不調は何度かあった。中年を過ぎると自分の死について考えることも増える。しかし、膵臓という臓器は普段意識されないもので、隠れた場所から突然やってきて何かを変えるような力がある。昔ジジェクがよく言っていたラカンの現実界みたいなものだ。

3. 点と点と点と点

 思い返すと、僕の人生は全然「繋がって」いなかった。
 
 高校に進学する前、僕の部屋には親戚から譲り受けたF-BASIC機と手塚治虫全集が置いてあった。つまり、そこにはマンガとプログラミングがあった。どちらもコミュニケーション能力が低く多動性向の僕に適した趣味だ。でも僕はF-BASICを書かずにマンガばかり描いていた。大学ノートに鉛筆で描いたマンガを少ない友達に向けて連載していて、そのために週に複数回徹夜することも珍しくなかった。でも、共通試験の前日に友達と深夜まで麻雀していたせいで第一志望の高校に落ちた僕は、工科大学の付属校に進学することになった。これからはパソコンの時代だ。両親は僕が理系に進むことを喜んでいたと思うが、僕は何か「点」が切断された気がしていた。
 
 そんな中学最後の春休み、僕は当時の流行書だった『ソフィーの世界』を読んだ。それから哲学書を好んで読むようになり、次第に『批評空間』を地元の本屋で買うのが楽しみになっていった。高校生になって、話題の通じる友人は一人もいなかった。僕は制服で家を出ても高校にはほとんど行かず、ウォークマンで北欧デスメタルを聴きながら自転車で近所を走り回り、帰りのホームルームや補講だけ参加して家に帰った。多くの同級生は受験せずに進学したが、数学や物理の授業に追いつけなかった僕は、現役で行けるレベルの私大の哲学科に進学することになった。ほとんどが工学部に進むその高校で哲学科を選んだのは数年間で僕一人だけだったそうだ。僕は理系の「点」を繋がずに、文系に転向した。
 
 僕が大学に入った頃は、大学生の知的興味の分岐点で、上の世代は浅田彰を読んでいたが、下の世代はライトノベルを読んでいた。特に友達も作れなかった僕は、大学にもほとんど行かなくなり、大学を辞めてアニメ専門学校に行きアニメーターになりたいと両親に相談したが、学士号は取得しておくべきだと止められた。一年留年して大学に戻った僕は、それなりにちゃんと勉強した。他大学の学会にも学部生として顔を出したし、つるんでいた後輩二人は大学院に進学した。その二人は今では哲学の准教授だ。僕がハイデガーと人工知能について書いた卒論はゼミでは最高点を貰ったが、僕は大学院には進まなかった。ドイツ語の文献学的検証をやるほどの気力は湧いてこなかったし、僕の家はそこまで裕福ではなかった。それに、その時には既に文芸部で知り合った後輩とマンガ同人誌を始めていた。僕は哲学の「点」を繋がずに、当時の恋人の家で同人誌を描く日雇い労働者になった。いわゆる氷河期の就職活動というものは経験していない。上の代が苦労している話を聞いていたし、僕には無理な気がした。
 
 その後、コミティアで出した同人誌は特に売れなかったし、僕の絵も上手くはならなかった。日雇い労働の中で転換点になったのはカスタマーエンジニアの仕事だ。ICチップ付きのクレジットカードの普及初期に、P社の決済端末を近所のラブホテルやキャバクラに設置して回る仕事をしたことがある。その時、ビビるほど怖そうな強面の支配人にクレジット決済やICチップの仕様を説明したところ、彼は軟弱なオタクが発するその言葉を真面目に聞いて感心してくれた。P社の方針について聞かれた時、「いや、僕はP社の人間ではなくてですね」とお茶を濁すと、「え、本社の人じゃないんだ。詳しいのに」と言ってくれた。劇的な一撃だった。僕は自分の知識が認められたことに感動し、資格学校でLinuxを学びJavaの資格を取った。同人誌の宣伝のためのホームページを自分で作っていたし、Pixivも無い時代に描いた絵を順番に見せるためのギャラリーのスクリプトも書いていたので、資格を取るのは簡単だった。説明会場で声をかけてくれた中国人社長のソフトウェアハウスにそのまま就職した。そうして僕は、マンガの「点」を繋がずにプログラマになった。
 
 もうこのくらいでいいだろう。その後も、やってきたことを繋がずに何度も転職したが、仕事について書き出すとキリがないので別の機会にしよう。もちろん、これらの「点」はなんとなくは繋がっている。転職活動をするたびに、僕はそれらを無理に繋いでアピールする。「いや、哲学というのはプログラミングにとても近いんです。ウィトゲンシュタインが真理値表を書いています。論理学を習ったのでSQLが得意です!」とか、「日雇い作業で複数社のPOSをセットアップしたことが、小売業のシステムの知識に繋がっています!」とか、「ドイツ語を読んでいたので外国語は好きで、最初に就職した会社は中国人ばかりでしたが、早上好と挨拶すると仲良くなれました。だから、オフショアの現場とも英語で上手くやれると思います!」とか・・・。でも、そんなものは全部後付けのハリボテみたいだった。「その意味で、僕は一貫しています!」と嘯くたびに、いやな気持ちになった。僕が手に入れたバラバラの知識は、その筋の専門家から見ればどれも浅いものだったし、今までの全ての職場において、僕は、同僚に自分の描いた同人誌を見せるようなことはしなかった。

4. 点を繋ぎ始める

 そのうちに僕は管理職になって、結婚して、子供が二人できた。その後、色々あって、最後の職場を辞めた。そして、なぜかまた勉強したくなり、アメリカの通信制大学のコンピュータサイエンス学科に入学した。このままバラバラの経歴で食っていくには、外貨を稼げるほどの技術が無いとダメだと思ったからだ。僕はまたキャリアの「点」を繋がずに、学生になった。必要な単位の半分ほどを取得したとき、僕のインターネット上のアカウントは、英語のGitHub、LinkedIn、Yammer、日本語のFacebook、Twitter、Mixiなどに分裂していた。それぞれのソーシャルメディアは一桁台の僅かなコネクションしか持っておらず、しかもその繋がりは重複していない。なんでこんなにバラバラなのだろう。それは僕が「点」を繋いでこなかったからではないのか。繋いだうえに積み上げてこなかったからではないのか。
 
 大学の課題をネットに載せることは禁じられているのでぼかして書くが、例えば、離散数学の授業で述語論理の記法がテーマになったとき、関孝和の円理を例にとって数学的記法の普遍性を相対化する意見を述べたところ、恐らく言語学のバックグラウンドを持つロシア人が、戦争でいつ遮断されるか分からないネット回線の向こうから僕を褒めてくれた。昔、ソシュールについて柄谷行人が彼と似たようなことを言っていた気がする。でも、頭が回らない。ああ、当たり前だ。数学も言語学も、僕は専門家ではないんだ・・・。そうやって、たまに知識の「点」が曖昧に繋がる瞬間が訪れる。そして、その繋がった線の上に僕が何も積み上げてこなかったことが悔しくなる。そのたびに僕の心の肉腫、ジョブズの演説が頭をよぎる。そうだ、今からでも、素人臭くても、「点」を繋ぐような文章を少しずつ書いておくべきなのではないか・・・。そんな意図でQiitaにブログを書き始めた。2005年頃「はてなブログ」に書いて以来なので、実に17年ぶりだ。今のところ6本書いているので、リンクを貼っておく。恥ずかしいのでQiitaの記事内にそんなことは書いていないが、「文系と理系」、「趣味と仕事」の「点を繋ぐ」というコンセプトが少しでも伝わると嬉しい。

5. 線を点線にする

 冒頭の話に戻ろう。
 
 そうやって中年になってから今更のように「点を繋ぐ」努力をはじめた僕は、別の心配事にぶつかった。これらのアカウントは、全部リンクで繋がっていて本当によいのだろうか。そもそも、このバラバラな僕を、バラバラなまま受け入れてくれる場所は無いのではないか。いったい僕は誰に向けて書いているのだろう。家族も友人も、バラバラな僕の一部分としか会話しない。なぜそれを無理に繋げたままプレゼンテーションする必要があるのだろうか。履歴書に趣味のことを書くべきじゃないのではないか。・・・「点を繋ぐ」とは、どういうことだろう。
 
 少し話は逸れるが、僕の子供たちの名前は、妻が呼びたいと思った音のイメージをベースに、それぞれが産まれた季節の漢詩(阮籍と杜甫)から引用したものだ。でも、それ以外に幾つも重ねた意図がある。それぞれが胎内にいる時のエピソード、親族の字や音のアナグラム、英語に読み替えた時のキリスト教的解釈、兄弟間の字の対句と韻などだ。そんな風にたまに顔を出す文系の僕は、シンボルを無理やり繋いで、いくつもの意味を勝手に作り出す。人間の思考はそのようにできている。でも、そうやって勝手に繋がれた線を子供たちに押し付けるのは気が引ける。「象徴界とは父である」とは、ラカンも厄介なことを言ったものだ。彼らの人生にとって、もっと本質的なものは、彼ら自身がいずれ自分で見出すだろう。過去を振り返って繋いだ線は、どうせその後から何度でも再解釈できる。・・・でも、繋がれた線が嘘だったとしても、それをどこかに書き残しておかなければ、子供たちはどうやって僕が込めた思いを知るのだろうか。
 
 「点を繋ぐ」ことについてのこの微妙な感覚について、ジョブズの演説とは別に、もう一つ思い出すテクストがある。東浩紀が1997年にQuick Japanに書いた「オタクから遠く離れて」だ(『郵便的不安たち#』収録)。読んだのは大学生の時だったと思うが、今でも彼の文章の中で最も好きなものの一つだ。変な段組みになっていて、彼の幼少期のオタクとしてのフェティッシュについてのインタビューと、ロジカルなサブカルチャー批評についての発言が並置されている。そして、二つに分かれていた段組みがまとめられて批評家としての彼が語り出し、最後にこう言うのだ。「おお、まとまったじゃないですか。こんなふうな感じなんですよ。ねえ」(東, 2002, p. 254)。自分でもよく分からないが、当時その彼の「言い方」がとても気に入って憧れたのを覚えている。

 ジョブズの演説が2005年なので、それより8年前の文章だ。やはり、何かを成し遂げる人というのは、20代くらいの若い時に「点が繋がって」いるのだろう。そして、その線の上に、何かを積み上げている・・・。しかし、両者は少し違うことを言っているようにも見える。もちろんジョブズも「点を繋げ!」と命令しているわけではなく、後から分かるものだという複雑さを込めてはいるが、東浩紀の文章はもっと曖昧な後味だ。段組みで文字通り分割された彼の興味が一貫して並行しているのだとは言っているものの、「点を繋ぐべきだ」とは言っていない。あたかも偶然(誤配)の産物のように「おお、まとまったじゃないですか」と締めている。そして、その最後の文の「言い方」が僕は好きなのだ。それは、まるで照れながら何かを誤魔化しているようで、それでいて好印象を残す変な文だ。(これは、彼が2014年に書いた『弱いつながり』や、最近撮られた友の会の縮小方針に関する動画についても、接続できる話だとは思うが、それこそ、無理に繋ごうとするのはやめておこう。)
 
 とにかく、同世代の成功者は何か一つのことをしっかりと続け、みんな何者かになっている。もしかすると、僕のように中年になってから何かを繋ごうと努力し始めても、何者にもなれずに分裂していくだけなのかもしれない。若い時に「点を繋いだ」人が、長い年月をかけてそれを発展させるから、新しいことができるのだ。いい歳をしてバラバラで浅い知識しかない僕は、もう「Stay Hungry. Stay Foolish」と言われたところで、がむしゃらに変なことができるわけでもない。かといって、今更でも何かを繋ぎはじめないことには、何も残らない気がする。だからオンライン大学の若い学生に交じって勉強し、何かをアウトプットして、少しばかり足掻いてみたいと思っているところだ。しかし、焦って全部の「点」を繋ごうとは思わない。そして、そのための指針として、僕はいつか、「オタクから遠く離れて」の最後の文のような「言い方」をしてみたいと思った。
 
 そう。なにも全てのアカウントを完璧に繋ぐ必要はないし、履歴書に自分の趣味を書く必要もないのだ。ただ、なんとなく繋いで、偶然に興味を持ってくれた人が、リンクを辿って見てくれればそれでいい。どうせ数人しか繋がっていないバラバラのアカウント達は、そのまま緩くつないでおけばいいし、無理にSEOや宣伝に注力する必要もない。英語と日本語を分けるのも、良いクッションとして機能するかもしれない。どうせたいしたことは成し遂げられないだろうが、それでも僕の中で繋がったものを書き連ねていき、僕に似た誰かに届くかもしれないと信じられれば、今のところは、それでいい。

 さて、今回はここまでにしよう。なんとなく、まとまっただろうか。まあ、こんなふうな感じで、やっていきたいと思います。
 

Reference:

Stanford News. (2005). ‘You’ve got to find what you love,’ Jobs says. 
https://news.stanford.edu/2005/06/12/youve-got-find-love-jobs-says/

東浩紀. (2002). 『郵便的不安たち#』. 朝日新聞社.


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