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名古屋→山口ヒッチハイク旅:1日目
こんにちは!bishamon_kenです。
今回は、2/28からの、人生初ヒッチハイクの1日目の様子を話していきたいと思います!
前回の記事で、ヒッチハイクの経緯と準備物を話しているので気になる方がいましたらぜひ見てみてください。
15:30〜 守山PA ヒッチハイク開始
初めてのヒッチハイクだったので、家の近くから車を拾う勇気と自信は無く、一般の歩行者でも出入りできる、守山PAまで電車とバスで移動しました
ちなみに朝イチから開始しなかったのは、部活動の練習が午前中にあったからです。
ダッシュで帰ってご飯を食べて移動して着いたら昼過ぎになっていました
個人的に好きな明朝体でスケッチブックに
「大阪方面」と書き込み、ようやくヒッチハイク開始です!
初めてスケッチブックを掲げる際には、とても恥ずかしく、周りの目を気にしていたため、
PAの徐行レーンの終わりごろの人通りの少ないところに立って、乗せてくれる方を探していました
そんな様子だったスタート時点では
まあ大阪まで行けたらいいでしょう、などと
ぼんやりと思っていたのですが、この後
そんな自分の甘さに苦しめられることになるのです、、
全く捕まらない
開始から2時間弱、鳴かず飛ばず
無視されるのはもちろんのこと
多くの同世代からは嘲笑される始末
手を振ってくれるのも、高速教習中の教習車
(の同乗者)含めて3人程度。
自分がどれだけ他人に期待していたか
どれだけヒッチハイクを楽観視していたか
開始時点でひどく痛感していました
ヒッチハイク、舐めてたなーと。
日も暮れ始め、途方に暮れているなか
突然、その時は私に訪れました
17:25 1組目:守山〜尾張一宮
なんと、乗せてくれる方が現れたのです!
開始2時間にして、ようやく1歩前進です
その方は岐阜にお住いで
名古屋への日帰り出張からの帰りに私を発見し
日が暮れてきた状況を見かねて乗せてくれたのだそう
「少しでも大きいPAまで進ませてあげたい」と
尾張一宮まで乗せて頂きました
少しのお時間だったので、その方のことについて
詳しく知ることはできませんでしたが
「祖父母孝行だし、とてもいいチャレンジだね」
と褒めて頂きました
短い距離でしたが
私にとって初めてのヒッチハイク成功
大きな一歩となりました!
本当にありがとうございました。
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ヒッチハイク再開も、、
コンビニで温かい飲み物を買って気持ちを切り替え、再びヒッチハイク再開です
しかし
捕まる気配は一向にないまま、辺りは真っ暗に。
冷たい風の中、手先足先は霜焼け状態。
バイク乗りのお兄さんから頂いたカイロが
唯一の救いでした
再開して4時間をすぎる頃
車の出入りもみられなくなったところで
その日のヒッチハイクは終了しました
なんと大阪どころか
愛知県を出ることができなかったのです
せめてもの意地
その夜に、心配した祖父や偶然掛かってきた友達の電話にて、結果を伝えると
「無理しなくていいから新幹線で来たら?」
「今からなら家戻れるじゃん、帰ったら?」
などと言われてしまいました
尾張一宮PAでは一般歩行者の出入りが可能で
歩いて30分もすれば快活CLUBなどもある、
そんな中私のとった行動は
PAでの野宿でした
自分でもなぜそうしたか分かりません
自分への戒めなのか、お金の節約なのか
でもそれ以上に
優しい周囲への反骨心のようなものが
大きかったのだと思います
しかし、その決意とは裏腹に
夜は寒くなっていくばかりでした
気温3℃前後のなか
冷たい風と大型トラックのエンジン音が
体温と精神をすり減らしていきます
頭では疲れてて寝たいのに
寒すぎて体が眠ってくれません
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30分ベンチで目をつむり
寒さで目覚め
コンビニで暖を取る
このサイクルを繰り返していました。
(尾張一宮のコンビニ店員さん、ご迷惑をおかけしました。)
途中で寒さに耐えきれず
手袋とカイロを購入、
コンビニがなければ一夜を越せませんでした
自分は今まで
どれだけ暖かい部屋で
柔らかい布団で寝ていたか
それがどれだけ恵まれていることか
PAのベンチの冷たさで実感できました
普段一瞬のはずが
永遠のように感じられたこの夜を
私は忘れられないと思います
合計2時間ほどしか眠れず
ひたすら凍えながら日の出を待っていました
この際に日記を書いていたのですが
当時の自分がどれだけ辛いかが
読み返すと伝わってきます
〜正直ヒッチハイクを舐めていた。明るくニコニコして行き先を掲げていたら、誰かがそのうち拾ってくれるものだと思っていた。
〜人ってこんなに他人に興味が無いんだと気付かされた。寂しい。辛い。一周まわって、自分を乗せてくれる人がどんな人なのか楽しみになってきた。
そして結局日の出前に
2日目のヒッチハイクを再開することになります
ヒッチハイク1日目の様子は以上になります。
2日目からの様子はまた次回から!
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
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