「形而上学」的正義(1)

人間は"存在を認識"すると、それが他者にとってなんであるかわかる様に、それに「名前」を付けます。

それが自分も相手も"見えるもの"なら、理解度の程度の差はあれ、誤解を生じることは"少ない"でしょう。

人間が共同体を作った時、自然の脅威や恵みを単純に受け入れ、収穫は感謝し、災害は畏れ、人の死は悼むという率直な暮らしを営んでいたと思います。

ここで、人間は"同じような経験"をすれば、泣き、笑い、楽しみ、悲しむ「心」を有している事に気づいたのでしょう。

さらに「文明」が興ると、ここで、人間が認識しないと"存在しない観念"が生まれました。

「形而上」という概念です。

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