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慶喜公の憂鬱

慶喜公の生家である水戸家では、2代藩主水戸光圀において「大日本史」が編纂される上で、"天皇を敬うべし"という教えの「水戸学」が生まれました。

自らが政争の只中に入らざるを得ないことになった時、この薫陶が彼の行動にほぼ一貫して流れています。

また、頭の良さとその生い立ちから、冷静で世の中を少し斜めから見ているようで、自分の考えについての説明を、他人に対して丁寧にする気概があまりないのでは?と思ってしまいます。

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