見出し画像

4月8日 萱野孝幸監督勉強会を終えて

初めてのnote投稿です。
俳優として活動しています、竹尾 椎奈(タケオ シイナ)と申します。

文章を書くこと自体は好きなんですが、始めるのを何となく躊躇っていました。
でも何となくでやらないくらいならやってみたいな、と。


記念すべき(?)第1回として、先日とっても有意義な時間を過ごさせて頂いた勉強会のアウトプットをつらりと。
俳優部の皆様のご意見も知りたいなあっていう願望も添えて。

講師を務めて下さったのは、福岡を拠点に監督をされている、萱野孝幸監督。(@kayanoka)
プロデューサーの小柳智則さん(@tmbox_tom)のお知らせで勉強会を知りました。
(今回のアウトプットをnoteに残そうと考えるに至ったのは、お2人の「言語化しましょう」というお言葉がきっかけだったりします。踏み出す勇気を頂けることは本当に有難いことだな、と思います。)

学ぶことは本当に沢山あったんですが…
長くなりそうなので今回は、5点に絞って記していきます。

※以下の文章は、竹尾の個人的見解も含まれます。

①俳優と監督の演出方向にズレがあった時

とにかくコミュニケーションに尽きる!
そのコミュニケーションをとる上でお互いの共通言語があれば話もしやすい。

▷▶︎▷▶︎
監督のオーディションやワークショップを受ける際は、その監督の作品を観ることは勿論、監督が好きだったり、影響を受けた映画を観ることが大切なのだと思った。そうすれば自ずと共通言語が生まれる。

②脚本読解:「深く」脚本を読むとは

役作りは深ければ深いほど良いが…。
深くするまでのルートが極端な役者が多い。
ex:
・登場人物の性格・話し方を考えることから役作   りを始めてしまう(いきなりペルソナシートを作り始める)
・性格を決めたにしてもその解像度が甘い
・自分の好みの役にしてしまう

★脚本を読む時は、「細かいところを逆算していく」ことを意識。

▷▶︎▷▶︎
「演じる役の履歴書を作る」ことに囚われすぎていたように思う。考察すべきところは山ほどあるし、自分の思い込みで役作りするより、脚本が伝えたい思いを読み取ることが今の自分に必要。

③脚本読解:人は文字通りの言葉だけを話すわけではない

・お茶を出してくれた相手に対する「落ち着きますね」というセリフ。
それは果たして本当に思っていることなのだろうか?嘘を言っているだけではないのか?
一旦ニュートラルな視点から考えてみよう。

・目的があってそのセリフを発する、でも良いが時には「目的なしに発する」セリフもある。

▷▶︎▷▶︎
例えば「嬉しい」というセリフがあれば、
「どう嬉しい」「何故嬉しい」「何に対して、自分なのか相手なのか…に嬉しい」等と、「嬉しい」を深掘りしていくことは多々あった。
しかし、今の思えば「果たして本当に嬉しいのか?」は考えたことがなかったかもしれない。
「嬉しい」というセリフを笑顔で言うのではなく、棒読みで空虚を見つめて言うと別の「嬉しい」になる。

④脚本読解:感情の言語化

セリフの中から得られる感情に名前を付けるとしたら。決してそれは1つだけではない。
できるだけ数を出してみてから、その中から1番良いものを選択する。
そうすることで、予定調和でない、
★「自然かつドラマチック」
な演技になる。

▷▶︎▷▶︎
「自然な芝居をする」。
私自身課題の1つでもあるし、監督が仰る「その芝居100回見た」にはならないようにしたいと常々思う。

大好きな蒼井優さん。ナチュラルなのに観ていてすごく引き込まれる。
蒼井優さんの芝居を見ていて感動するのは、彼女の空気感のみならず…。その自然さにより、観ている人を作品の世界に自然と招いて所謂ドラマを見せてくれているからなのかな、と思う。


⑤脚本読解:前提を疑う

演じるシーンにおいて、ロジックが成立するかどうか考える。
「それってウソじゃない?」
脚本に書いてあるセリフ上の意味を一度疑ってみる。

難しくなったら脚本と似た状況を思い浮かべ、「自分ならどうかな?」を考える。
疑ってみることで、ロジックが成立する上でドラマチックになりうる。

▷▶︎▷▶︎
生きている上で、1つの感情でしか動けない人なんて1人もいないはず。
それは勿論、フィクションの人間だったとしても同じことが言える。
自分が考えたことを「やっぱ違う」と打ち消して、別の考えが新たに生まれる。
疑って疑って、1人の人間を作っていく。
脚本読解はそういう作業のことを言うのかな?と思う。

❁✿✾  ✾✿❁︎

当初はもう少し短くなる予定だったアウトプット。
気付けばこんな文字数に…。
改めて、学びの多い勉強会だったんだと思います。

以前出演した作品の稽古をする中で、演出家の方から「役を生きて下さい」と繰り返しアドバイス頂いていました。正直、何でそんなに念を押して言われてしまうのだろう…と思っていましたが、理由がはっきりしました。

これまでは自分だったら…に置き換え過ぎて「妄想芝居」に陥っていたように思います。
その役は存在せず、フワフワとした曖昧な人間がいる。自分がフワフワしているなら、観客にもフワフワしたものしか伝わらない。
観て下さっている方に真に面白いと思ってもらう為に構築…萱野監督のお言葉をお借りするなら、「実験」も繰り返す…。
それが私たち俳優がすべき大切なお仕事であり、それができていない私自身がプロとは言われない所以なんだと実感しました。
役者は一生勉強ですね、苦しいけど、楽しい…。
長々と語ってしまいました。

是非皆様の感想もお聞かせ願いたいです。

萱野監督、企画して下さった小柳プロデューサー、本当にありがとうございます。


2022.4.9





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?