私のよりどころ
私が初めて、美術作品に心が動いたのは、ウフィツィで見たボッティチェリの<ヴィーナスの誕生>だった。
美術史というものに興味を持ったのは、印象派関係の展覧会がきっかけで、モネとルノワールが当時の私にとってのスターだった。
その後、ルネサンスやフランスのロココ美術など、興味が少しずつ広がって行った。
そして、大学・大学院においては再びイタリア美術へ。
学部の時はティントレットに夢中で、修士でカラヴァッジョを選んだ。
今でも、経歴について書く時は、「15,6世紀のイタリア美術が専門」と書く。
イタリア美術こそが、自分の原点だと、信じているから。
だが、ライターとして書いた記事を見返すと、イタリア美術関連の記事はそこまで多くないのではないか。
今まで書いた30本近くのうち、イタリア美術が主題になっているのは7本、つまり四分の一。
残りのうち、フランスの近代美術は10本近く。うち4本がゴッホ関連。
1年に1回は、彼について何かしら書いている。
今の段階で、名刺代わりに提出する記事を一つ選ぶとしたら、やはりゴッホの記事を選ぶ。
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/22400
何故、この男についてばかり書くのだろう。
理由の一つは、彼の作品が出てくる展覧会が多いから。
日本では、毎年どこかしらで「初来日」「〇〇年ぶりの来日」というコピーと共に、ゴッホの作品を目玉に据えた展覧会が開催されている。
それを無視することは、やはりできない。
もう一つは、記事の材料となるネタを抽出しやすいから。
カラヴァッジョといい、どうも優等生キャラや、成功を収めてハッピーエンドの人よりも、曲者の方に、私は食指が動く傾向がある。
特に生きるエネルギーを持て余して、それが作品を描く原動力になりながらも、トラブルを生んでしまうようなタイプ、「生きにくい人」が。
ミケランジェロも、教皇と喧嘩を繰り広げたり、自分の悪口を言った教会のお偉いさんに「倍返し」を食らわせたり、となかなかの人物だ。
彼らのエネルギーに惹かれずにいられない。同時に、彼らの作品について書くだけではなく、その向こうにある彼らの生き様に思いを巡らせ、言葉でもって出来る限り再現することは挑戦のしがいがある。
今でこそ「巨匠」「天才」と呼ばれていようと、彼らは最初から「巨匠」だったわけではない。
彼らは、私たちと同じように、呼吸して、物を食べて、笑ったり怒ったりしていたはずだ。
一枚の作品が完成するまでに、どれほどのものを積み重ねて来たのか。
何を考え、どのように生きたのか。
何が好きで、何が嫌いなのか。
そう考えると、私は作品について書く、というよりも作品やそれを通して見える作者を書きたいのかもしれない。
石の塊の中から、彫像を彫り出していくように。
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