徒然日記

昨日、原稿を一本仕上げたことで、少し俯瞰して考える余裕ができた。
最近、とにかく案件をこなすことに執着しすぎていたような気がする。
文を書いていく途上、何かパーツを欠いたまま、無理やり機械を稼働しているような感覚もあった。
それが何なのか。今日一日考えてみた結果、「ストーリー性では」と思い至った。
とにかく、正確な情報を、読める形に並べ、整えなければ、と思いつつも、気がつけば情報を詰め込みすぎたり、無味乾燥なものに仕上がっている感が否めず、何度も書いては削除し、を繰り返してきた。(それで余計エネルギーを食った)
私にとって、良い記事とはどんなものだったか。原点に立ち返ろうにも、手がかりがなく、頭を抱えていた。
しかし、ふとした瞬間、「シナリオ講座」のことが頭に浮かぶと同時に、光がさしたような気がした。
「理屈」や「情報」に自分は囚われすぎていたのでは、と。
シナリオは、映像の設計図とも言われる。
だから、具体的な情報を、できるだけ簡潔な言葉で表さなければならない。
読んだ瞬間、映像としてイメージできなければ、アウトだ。
シナリオを学ぶ効能の一つは、魅力的な「書き出し」や、筋運びを体で覚えられることとも言えよう。
それがわからなくなっているなら、取り戻したい。
隙間の時間を確保して、やっておきたいと思う。

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