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ピーテル・ブリューゲル(父)<バベルの塔>覚え書き

人の欲望、増長は限りがない。
「何でもできる」と思いこみ、それを明らかな形として後々まで残すことを欲し、その末には……必ず破綻がくる。
旧約聖書の『創世記』に出てくる「バベルの塔」のエピソードは、まさにその一例だ。
時系列としては、ノアの物語の後にあたる。

シンアルの平原の地に住み着いた人々が、神の領域たる天に届く、高い塔を作ろうと企てるものの、神の怒りにふれ、互いの言語を通じなくさせられてしまう。
当然、塔の建設も中止となり、未完のまま、人々は各地に散らされてしまった。

16世紀フランドルの画家で、ブリューゲル一族の祖である、ピーテル・ブリューゲル(父)は、この<バベルの塔>をテーマにした作品を少なくとも三枚描いた。(うち一枚は現存せず)
残っているうち、先に描かれたのが、1563年の「ウィーン版」。

ピーテル・ブリューゲル(父)、<バベルの塔>、1563年、ウィーン美術史美術館

 塔のモデルになっているのは、ブリューゲルがイタリアに修業に行った時に目にしたローマのコロッセオだと言われている。(確かに構造がところどころ似ている。)
クレーンなど、最新技術を用いてはいるものの、4層目~6層目はまだ内部が見えている状態で、完成にはほど遠い。
上の方には雲がかかり、既に「天に届く」という目標には達しかけているように見えるが、一体何層まで造れば、人々は満足するのだろう。

画面左手前には、建設現場を見に来た権力者ニムロド王一行の姿が見える一方、中景から後景へと目を移せば、小さな家々が立ち並ぶ平野が広がり、塔の巨大さ、存在の異様さが際立つ。

しかし、5年後に描かれた<バベルの塔>(ロッテルダム版)は、大きさこそ「ウィーン版」の約二分の一だが、塔の存在感、不気味さがいや増している。

ピーテル・ブリューゲル(父)、<バベルの塔>、ロッテルダム、 ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館

こちらの塔は八層。
層が増えていることに加え、地平線を「ウィーン版」よりも低く設定したことで、より塔が大きく聳え立って見える。
二層目には、洗濯物を乾かす人々の姿が描かれるなど、生活感のある描写も見受けられる。
そう、見えにくいが人はちゃんといる。建設作業に携わる人々、見物する人々など、その数は14000人。(しかし、塔の大きさ、存在感に比べると、「人がゴミのよう」と某ジブリアニメの名台詞を連想してしまう。)
こちらでも、未だ完成の目途は立っていない。
しかし、6層目あたりには青黒い雲がまとわりつき、塔上部の赤みがかった色とのコントラストも相まって、間近に迫った「破綻」を予感させる。
「ウィーン版」よりも、はるかに禍々しい。
この「ロッテルダム版」の塔の大きさは、現実では約555m。
東京スカイツリーよりもやや小さいが、それでも、描かれてから約450年が経過した現在においても、十分「巨大」な部類に入る。
上を目指せばキリはないが、東京スカイツリーすら「小さい」と言われるレベルのものができてしまう時が、来るのだろうか。

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