徒然日記

「最近のアンタの記事って、人間としての画家について、あまり書いてないよね」
 先日、母にこんな事を言われた。
 確かに、最近は作品の様式や描きかたに焦点をあてた記事が多い。
 展覧会に寄せて記事を書くとき、私は大抵会場を歩きながら、構成や切り口を考えていく。作者が何を考えて生きたのか。どうありたいと望んでいたのか。作品を通して、何を得ようとしていたのか・・・。
 よくそのようなことを考える。

 例えば、鏑木清方。上村松園と並ぶ「美人画」の大家として名声を博したが、「美人画家」というカテゴライズは、彼にとっては不本意だった。(彼自身の意思をくむなら、「風俗画家」の方が適切だろう)
 評価を得るため、展覧会に作品を出品していたが、次第に広い会場内で来場者の注意を引くため、他の作品よりも一歩抜きん出るため、大きさや奇抜さを追求していくようになる傾向を前に、疑問を感じるようになり、それが「卓上芸術」への志向につながっていった。
 鏑木清方は、私自身にとっては初めて扱う画家で、知らないことの方が多かった。そのせいもあって、内面を想像しにくかった。
 人を描く時のポイントの一つは、その人の「葛藤」や、「選択」に注目することだ。だが、私は先日アップされた記事の中で、それはできていただろうか。
 そして、今書いている記事の中でも・・・。

 今抱えている案件に早くかたをつけたい。
 少し休憩して、自分の記事の書き方を見直したい、というのはわがままだろうか?

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