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ターナーとコンスタブル(メモ)

 西洋画のヒエラルキーにおいては、下位に位置していた「風景画」。

 それを、一定の地位に引き上げたのが19世紀イギリスの画家、ターナーとコンスタブルだった。

 同じ時代に活躍した二人は、年もわずか1歳しか違わない。

 が、その生い立ちや、画家としてのキャリア、そして主題選択など、彼らを構成する要素はことごとく対照的である。

 その根っこにあるのは、彼らの生い立ちがあるのではないだろうか。

 まず、ターナー。

 彼はロンドンの理髪師の息子として生まれた。つまりは都会育ち。

 彼は14歳で風景画家に弟子入りし、一年間の修業の後、ロイヤル・アカデミー附属の美術学校へ。

 26歳の時にはアカデミーの正会員になっている。

 彼は、しばしば切り立った崖や古城など、自然の「崇高」さ、歴史やドラマ性を感じさせる風景を描いた。

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見ていると、「おおお!」と声を上げたくなる。


一方、コンスタブルが生まれたのは南イングランドのサフォーク地方。

こちらは、一言で言えば、平野が広がるのどかな田舎。

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のどかで、落ち着いた風景は、「冒険」の舞台、何かが起きる場所、とはちょっと違う。ゲームで言うなら、旅立ちの場所、と言った方がふさわしいだろうか。

このような故郷の風景を、コンスタブルは生涯、メイン主題として取り上げ続けた。


ターナーとコンスタブルの違いの一つは、自然との距離感ではないだろうか。

ターナーはロンドン、つまりは都会育ち。

自然に対する時、「憧れ」や「ドラマ」などのフィルターをかけて見てしまうことが多かったのではないか。

対するコンスタブルは、のどかな田園風景の中で、自然を身近に感じながら育った。

小川は遊び場だっただろう。

木々の緑のみずみずしさ、遠くまで広がる平野は、彼にとっては馴染み深いものだった。

それらは、十分すぎるほど描くに値する「美しい」、心惹かれるものだった。

彼自身がよく知っている、「慕わしい」風景。

遠く離れても、離れたからこそ懐かしく思い出される。

心が穏やかになる。


その効果は、ドラマを感じさせ、「感情」を掻き立てるターナーとはまさに対照的である。

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