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もしも目が

20050819

もしも
大切なひとの目が見えなくなったら
絵を描いても見せてあげられないね

もしも
その人の耳もどんどん聞こえなくなってしまったら
歌を歌ってあげることもできないね

そしてその人の手は
どんどん動かなくなって
わたしが触っても、その手のぬくもりさえも
わからなくなってしまうの

医学は確実に進化しているとはいえ
お金はざくざく沸いてくるものではない
そしてすべての人がその力で治りたいと思うわけではない

自然の力にまかせて、時の流れに身を任せて・・・
と言ってたら、あっという間に失明しちゃうんだけど

でもね、彼女はしびれる手で私の手を握って
こう言いました

目が見えなくても
耳が聞こえなくても
手を握れなくても
大丈夫だから。。。
私の心は壊れないから
あなたの愛を感じていられるから
喜んで生きていける

何があっても、いつも強がりな彼女
私は彼女に何をしてあげられるのかな


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彼女の耳は今、片方しか聞こえません
彼女の両手は、先月、手の平の手術をしました
そして先日、網膜はく離と診断されたことを教えてくれました

目が見えなくなったら・・・。
先日、ちょっと目の調子が悪かっただけで、うろたえていた私。
彼女の置かれている状況に比べれば、なんて些細なこと。
でも人は、自分の置かれてる状況もしくは過去の経験値からでしか普通は物事を判断したり、実感できたりしないから、やっぱり目が見えなくなるなんてことは、私にはとてもショック。見えないなら見えないで、頑張って光を求めて生きていこうとするんだとは、思っているけれど。でも、それはただの勝手な妄想の話なので。。。


んでも、
たとえば延命装置無しでは生きられない状態になったら、
それは運命に逆らうことで、人間的ではないことなので
生きていたくないと思う。それは高校の授業でそのニュースが取り上げられた時から、ずっと、そう思っている。
昔から、尊厳死については意見が二分するが、
私は"natural death"を希望する
私が死んだとき、使える臓器や細胞があるのであれば
全部を提供する

私が住んでいた国では、運転免許を取得する時や、身分証明書を取得する際に、ドナーレベル(自分が事故などで死んだ場合、臓器などの提供をどこまでするか、または、全くしないか)の登録をし、免許証などに明記される。別に「全く提供しない」でも、何も言われることはない。でも、日本もそのようにすれば、もう少し、ドナーの意識も高まるのではないか、などと思うのだがどうでしょう・・・?


う~ん。。。
話が随分失明の話からずれたけど。。。
彼女は嫌だと言うかも知れないが、やっぱりできるだけのことは
したほうがいい。延命装置をつけるというような話でもないし。
コスト的なこととかも、調べてみよう・・・。早急に。

あ、私も眼科に来週また行かなきゃいけないんだった・・・(^^;
いろいろ教えてもらおう・・・

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