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夏、決意


はい、毎年恒例のあれだよ、と言ってくるみたいに今年もしっかり夏バテになった。ご飯はいつもの半分しか食べられない。脂っこいものがあんなに好きなのに、食べたいのに、胃が受け付けない。これだから夏ってやつは。

文章を書く仕事をしてみて、分かったことがある。文章を書く仕事は、文章を書くこと以外にやるべきことのほうが多い。自分が得意なことでも、好きじゃないことがある。わたしは人が好きで興味がある。あと、時間はあっという間に溶ける。

これからの生活がすこしずつ明確になってきて、精神的にも余裕が出てきたからこそ、気づくことが増えた。なんでもかんでも、例えば自分の文章の誤字脱字とか、人の言動とか、ご飯の味とか、本当になんでもかんでも細かいところが気になる。

そのぶん、当然、受けとることも増える。それにひとつひとつ、感情という形で答える癖がある。こういうときにすこしだけ、感受性が高いことを恨んだりする。


6月の鬱、7月上旬の躁、と来て、今はすこし低空飛行気味。前向きさはないけど、冷静に淡々と先を見据えている。だから受けとったものに対してもすごく冷静に分析する。

穏やかに生きたいときもあるし、感性を使って表現したいときもあるし、誰かの役に立つために冷静になるときもある。今日もいろんな人格を使い分ける。時に冷淡な自分にすこし笑えたりもする。いつも一緒じゃない、それがわたしという形。

書かなくてもいいことは書かない。ここは自由であって自由でない。誰かを傷つけるくらいなら、何も書かない空白のまま提出すればいいとすら思う。

その上でわたしは、またエッセイを書いている。久しぶりに、だれもなにも憑依していないわたしという形で文章を書いている。わたしはわたし、という感覚は書くことで保っている。


最近、過去について走馬灯のように思い出した瞬間があった。主には、これまであった辛かったこと。今は一緒にいる大切な人たちと揉めたこと。もうなかなか会うことはない人との楽しかった思い出。

どれだけその瞬間が辛くたって、今いる人は一緒にいるし、どれだけ楽しいことがあったって、もう会わない人は会わない。その瞬間だけでは決まらない、長い長い人生がある。

それがこれからも続くと思うとそれだけで気が滅入ってしまいそうだけど、だからこそ一瞬一瞬を大切にしたい。今目の前の人と今後どういう関係になるかなんて分からないからこそ、今ある関係性を大切にしたい。

わたしはわたしの信念のもと生きていくしかない。そうであって、自分自身を守っているのである。これからは自分をどう守りながら進んでいくか、を考える人生になりそうだ。


夏。暑さで溶けちゃいそうな毎日のなか、やっとリビングにクーラーがついた。7月は不自由をたくさん知った。悔しかったし、悲しかったし、申し訳ない気持ちにもなった。

8月1日に27歳になる。ここまできてやっと、自分のことが分かってきた感覚がある。自分のことは自分で守るんだぞ、わたし。誰かに頼りすぎも大概にして、わたしはわたしの夏を過ごすんだ。

「温かで穏やかな光を見失わず、貴方が生きていけますように。」 そんな気持ちでnoteを届けています。 気に入ってもらえたら【スキ】【フォロー】 さらに【サポート】で応援して頂けるととっても光栄です。