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からだにわるいもの


お酒、たばこ、コーヒー、夜と生理と台風の影響を受けるわたしの身体を、気遣うものはいっさいないのに、それでも摂取している。今日はそんな気分なのだ、許しておくれよ。なんてたわごとをつぶやく。

期待をする、される、信じる、疑う、そのはざまでごちゃごちゃになりながら、それでもなんとか息をする。慣れないうちはしょうがない、そりゃあたりまえなのだけど、それでも耐え難いことだってあるのだ。

言葉は、いつも揺れ動く。わたしは言葉を書いていながらも、信じたいと思いながらも、どこか信じきれないでいる。わたしがわたしの言葉を信じきれていない、わたしは自分の心がわからない。悲しいのに、笑っている。疲れてへとへとなのに、人を気遣っている。

わたしのほんとうに気づく人は、いなかった。わたしがそれを言葉にしない限り、誰も気づくことはない。その事実は、もうわたしのなかでの当たり前だった。それでもどこか「気づいてほしい」という期待を拭えないでいた。慣れていたはずなんだ、ほんとうは。

苦しいときに苦しいって、言える人になりたかった。素直に甘えられる人になりたかった。抑圧された感情を、そのまま抑圧し続けることしか知らなかった。それは周りの人のためで、嫌われたくない自分のためだった。

どうしても、自分を痛めつけることしか知らない。自分を労ることを知らずに、27年間生きてきた。言葉に流されて、人も自分も信じられなくなって、からだにわるいものを摂取し続けることしか知らない大人になってしまった。

軽くなりたい。心も、身体も。

雲が白くて、まぶしかった。サングラスをかけた。人の声が何倍にもうるさく聞こえた。イヤホンをした。電車に乗るのが怖かった。家に引き篭もった。

ずっと普通になりたかった。だから普通のふりをして生きてきた。人に合わせることを覚えた。変だね、って言われることが大嫌いだった。

でももう、変でいいや。だってこうして言葉を書いているのだもの。もらった言葉をお守りにして、薬とサングラスとイヤホンを常に持ち歩いて、わたしは変なまま生きていくのだ。からだにわるいものを摂取することで、精神が安定するのならいいでしょう。

今日も社会に溶け込んでいるふりをして、わたしは生きているよ。


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