パニックは日常、有り難く30年目突入😂

このnoteを始めるにあたり、
どんなに明るい事を書いたとしてもパニック障害である私はそれについて「隠さず」ありたいと思った為、
今日だけは、ちょっとした自己紹介みたいなものを。
暗くするつもりも同情を誘うつもりもなく、
これは私の取れないホクロの様なお話。

今思うと10歳の頃からパニック障害の症状がありました。
パニック障害いうワードが日本には存在しないの?と思うほどの頃なので、最初の「地球があと10秒で滅亡するかも」「実は宇宙で一人ぼっちなのかも」という恐怖感とドキドキ、冷や汗、吐き気は小学生の私がどれだけ両親やお医者さんに伝えても「内蔵には異常なし」その一言。

それから怖い怖いと思いつつも、
社会に出てみたら、
そこは怖い所ではなくなってしまった。

・・・・地獄じゃん!!
いや、地獄より地獄なんじゃないかな?!ここ!!

「外に出られない、生きるのが怖い、死ぬより生きている今のが怖い」

常に後戻り出来ない断崖絶壁に立たされているかの様な恐怖。
元気に生活している同年代の友人達が輝いて見えた10代~20代。
1番面白可笑しく女性として若さも武器にして、楽しめたかも知れない時をカーテンを閉ざして過ごす。

周りの誰にも伝わらない。
心療内科のジプシー。
薬を飲んでいることを周囲にも家族にもひた隠し、
ご飯は喉を通らなくなりついに「人間失格」と呟きだす。
もがくこと30年もうすぐ40歳。

何故ここまで生きられたのだろう、
不思議で仕方がない。
ジプシーを続けた結果出会えたお医者さん。
お薬ジプシーを続けて出会えた相性の良いお薬。

治らないけど生きられる。
皆ほど社会性は乏しいけど生きられる。
昨日の夜、普通にテレビを観てただけなのに発作に襲われたけど今生きられてる。
無理だと思っていたのに出産も出来た。

「人は皆生かされている」という言葉が嫌いでした。
「どうしてこんなに辛いのに生かされるの?」と思ってしまうから。
「生き地獄」まさに。

でも今思います。
「周りの人がなんとか生かしてくれてたんだな」

この命を最期まで自然な風に(世間的に(笑))終わらせられる様に。

今日もこっそり頓服薬を飲む。
もうそのこっそりもバレてるのだろうけど。

周囲に生かされている命。
生きるのが怖いと言う体から生まれた我が子はニコニコと笑っている。

私が少し位「楽しそう」じゃないと申し訳が立たない。
産んでおいて「生きるのって猛烈に怖いよ」はマズイ。

だから私は楽しくしてみようと思う。
ご飯が食べられなくなってガリガリになったり、
眠れなくなったり、
電車の中で真っ青になったり、
ディズニーランドに居るのに恐怖で帰りたくなっても(笑)

30年パニックと生きられたのだから。
鬱とか妹みたいなものだから。

楽しくしてみようじゃないか。

少し位いきづらくても、
生きてやろう。

だってせっかく産まれてきたのだから。

陣痛が想像以上にめっちゃくちゃ痛くて、
昔、母に「なんでこんなに生きづらいのに私を産んだんだよ!」なんて言っちゃって御免なさい😭と反省したのだから(苦笑)

「ママ、人生そこそこ面白いよ」
と我が子がいつか思ってくれます様に。

私がそこそこ楽しいものを見つけよう。
生きづらいけど、見つけにいこう。

どんなに美味しいものを食べても、
どんなに美しいと言われてる景色を見ても、
離人病で今一つ「わぁ!」ってならないけど、

何かしらあるだろう。

何かしらを探す旅。

ドキドキを越して恐怖と変な汗を握りしめながら。

もうすぐ飛行機に乗って旅に出ます。
6日間、外国、1人。

1度乗ったら当分降りれない恐怖の物体に身を乗せて。

その旅の様子も一緒に楽しんで頂ければ嬉しいです。

※治療法、薬、環境、性別、症状は人それぞれなので私の「パニックとの付き合い方」という観点から楽しんで下さい😂

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