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夜のドライブ|その1

最近、母のことをよく考える。

私の母はひと言で言えば“信念の人”だ。
どんな、人、モノ、事象に対しても、確固としてブレない自分の答えを持っている。


自分にとっての世界が、まだ輪郭の無いただのふにゃふにゃだった頃、母の考えはまるで世界そのものみたいに思えた。


私が育った町は人口が少なく、大多数がおじいちゃんとおばあちゃんだったこともあり、身近で意見交換できる人は限られていた。人口の数はそのまま価値観の数に置き換えられると思う。そんなふうに指標が少ない中で、私がもっとも頼りにしていたのは、間違いなく母の考え方だった。

それが良いことなのか悪いことなのかは分からない。客観的にみると、影響を受けすぎていたようにも思う。でも、そうやって今の私ができた。それだけは間違いようのない事実だ。そして、そうやってできた今の自分が、私は案外好きだったりする。

母との思い出はいろいろあるけれど、1番私が「母らしい教育だったなぁ」と思うのは、夜のドライブだ。


私や妹が思春期真っ只中だった頃、仕事から帰ってきた母と度々口論になった。
私の両親は共働きで、朝は早くに家を出て夜は遅くに帰ってくる。だから、ちゃんと話せるのは限られたその時間だけなのに、思春期特有のイライラとモヤモヤを上手くコントロールできなかった。


「たっだいま〜!みんな元気してる??」
「……。」


仕事帰りとは思えないくらい、いつでも母はテンションが高かった。それがあの頃は妙に癪に触って、どうしても素直に「おかえり」と言えなかった。
悲しそうな母の顔をよく覚えている。


まだ働いたことがなかった私はそれを見て、のんきに(社会人て学生に比べたら気楽なのかな)なんて思っていたけれど、自分が同じ立場になって初めて、母がどれだけ踏ん張っていたかがよく分かった。




家のドアを開ける直前、その日あった辛いことや悔しかった出来事をぐっと飲み込んで、明るい母に切り替えていた姿を想像すると、自分の愚かさにいまも息が詰まりそうになる。


思春期の特徴かもしれないけれど、あの頃の私は、自分の考えを主張する時はこれでもかってくらい口がよくまわるのに、理屈が通らなくなった瞬間、そこから一切喋らなくなった。
そして最終奥義「部屋に篭る」を発動する。


こうなるともう話し合いができない。
この状況を打開するために母が考え出したのが
「夜のドライブ」なのである。


車に乗せるまでが大変だけど、お出かけしたいお年頃でもある。マックでドライブスルーでもする?なんて誘われたら、ほいほいついて行く。我ながら子供らしくて笑ってしまう。

ドライブスルーまでの道のりがとんでもなく長くなることなんて想像もせずに。


つづく、

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