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ばあちゃんのこと

なんだか急に「ばあちゃんのこと」が頭に浮かぶ時がある。
前触れはあるような、ないような。
ちょっとだけ、疲れてしまった時が多いと思う。

私は生粋のばあちゃん子だ。

両親は共働きで、帰るのも遅かったから、ずっとばあちゃんが面倒を見てくれた。

私のばあちゃんは繊細な人だった。
いろんな人に気を遣って、明るく元気に振る舞っていたけど、実はとても疲れていることを私は知ってた。

ある日、ばあちゃんは疲れ果て鬱病になってしまった。トイレ以外は自分の部屋から一歩も出ず、一日中壁を見つめて過ごすようになった。

その頃私はまだ小学校低学年で、ばあちゃんがどういう状況なのかはっきりとは理解できていなかったと思う。
でも、病気だということだけは分かっていた。

早く元気になって欲しくて、時々手紙を書いた。
ぼーっと壁を見つめるばあちゃんはちょっと怖かったから、寝ている時に枕元に手紙を置いた。

内容はもう覚えてない。

でも、「お茶会」のことを書いたと思う。

「お茶会」とは、ばあちゃん主催で行われる小さなパーティー。参加者は、ばあちゃん、私、妹、弟。

自宅の庭にレジャーシートを敷いて、小さなテーブルを置く。そこで、緑茶を飲みながらお菓子なんかを食べる会。

パーティーと呼べるほどのモノではないかもしれないが、私にとっては特別で大好きな時間だった。
庭にはいろんな草木が植えられていて、季節によって咲いている花が変わったり、木々の紅葉を見ることができた。

ばあちゃんが元気な頃は定期的に開催されていたのに、病気になってからパッタリと無くなってしまった。私はそれが残念で悲しくてつまらなくて……。

だから、手紙にはきっとこう書いていたと思う。

「ばあちゃんへ ばあちゃん、早く元気になって一緒にお茶会をしましょう。ばあちゃんが早く元気になるようお祈りしてます。」

それから、いろんなことがあって、ばあちゃんは元気になった。
嬉しくて嬉しくて、隠れてちょっと泣いたことを覚えている。
元気になったばあちゃんは私に言った。

「uniちゃん、お手紙ありがとう。とっても嬉しかった。元気出たよ。」

私はそこで初めて、自分が書いた手紙がちゃんと読まれていたことを知った。書いて置いておいたけど、正直読んでもらえている自信はなかった。

でも、ちゃんと届いて、ばあちゃんは元気になった。

ばあちゃんはこうも言ってた。

「お医者様がね、言ってたんだよ。私は貴方に、斧を渡すことしかできない。この暗い森を抜けるには、貴方自信の力で斧を振るって進むしかないんだよって。だから、ばあちゃん頑張ったの。」

あの頃の私には、イマイチ意味がわからなかった。
だけど、今ならわかる。
ばあちゃんは自分の力で鬱を乗り越えたのだ。

どんなに周りが助けたいと思っても、本人に助かる意思がなければ意味がない。
結局人は、自分で立ち上がるしかないのだ。
周りにできるのはそれをサポートすることだけ。

やっぱり、ばあちゃんはすごい。

それからまた時が経ち、ばあちゃんは亡くなってしまったけど、今でも私の1番深いところには、ばあちゃんがいる。

私もいつか誰かのばあちゃんになったら、「お茶会」を開いてあげよう。

密かな私の目標。



ここまで読んでくれて、ありがとう。

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