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角打ちとグリコ

角打ちというのは、酒屋で買った酒がその場で呑めるという、コンビニのイートインみたいなやつのことだ。調べてみたら、北九州地方発祥の文化らしい。八幡製鉄所なんかの労働者が、仕事終わりに安く一杯引っ掛けて帰っていたことから生まれた、飲兵衛の文化。

実際は、コンビニのイートインみたいなテーブルも、椅子すらない。店主にその場で栓を開けさせた酒を、升に入れたグラスへ溢れるほどに注ぎ、注がれた瞬間に一気に飲み干す。文字通り立ち飲みだ。ついでに枡へこぼれ落ちた酒も余す所なく呑む。

どうしてそんなことを知っているのかって、幼いころ何度も見たからだ。いつも酒臭い店内で、祖父の喉仏が美味そうにゴクリゴクリと鳴り動くのを憮然として眺めていた。祖父はかなりの飲兵衛で、孫を連れていてもお構いなしに角打ちへ通い、酒を飲んだ。

もちろん祖母にはきつく止められていた。

酒を飲み干すと、店主に小銭を握らせて祖父はニコニコしている。
「ほれ、終わったよ。前のスーパーで、お菓子、買っちゃろう」

祖父は優しく穏やかな人で、私や弟をよく甘やかしてくれた。いつも息は酒臭かったけれど、酒乱ではなかった。呑みすぎると、きまって居間の畳にひっくり返って、ミイラみたいに手を胸に当て、イビキをかいて寝る、その程度。
問題は、幼稚園児の私をたまに迎えにきた時ですら、途中で角打ちに寄るのをやめられないこと。しかもそれで自転車の後部座席に私を乗せ、フラフラとしながら漕いで帰るのだからたまらない。今のご時世ならお縄である。呑気な世の中だった。

「グリコか?兵六餅か?ちぇるしーか。なんでも買うちゃるよ」
「…もういいよ、お菓子、もういいよじいちゃん。はよ帰ろう」
「弟はこの間ロボットが付いたラムネ、高いやつ、買っとったな。女の子のそういうのは、ないとね?」
じいちゃんはグリコぐらいしかよう知らん、と照れ笑いして、危なっかしいハンドル捌きでスーパーの店先に自転車を停めた。

私には何となく分かっていた。
祖父は角打ちで出来てしまったタイムロスを、スーパーで孫のためにお菓子を買っていた時間にすり替えたいことを。
そして私を共犯者にしたいということを。

無駄に正義感が強かった私は黙り込んだが、シワシワで暖かい手を繋がれて入ったスーパーでお菓子売り場の前に立たされると、普段は滅多に買えないであろうカラフルな駄菓子のパッケージがきらめいて見えた。
恐る恐るペコちゃんのマークが付いたパラソル型のチョコレートを手に取った。一度買ってもらって、ホイルの包装まで丁寧に剥いでとっておいたことがあるやつ。チョコレートを食べ切ると傘の肢が出てきて、当時の私にとってはおしゃれで最高のお菓子だった。
弟はまさに下の子甘えっ子で、こういう時無遠慮に一番豪華なものを強請る。そういう無邪気さが、憎いというより、羨ましかった。

「これはチョコレートやな。これがいいんか。よし、グリコも買っちゃろう。おまけがついちょうしな。これだけでいいと?」

私は大きく首を縦に振った。共犯者になった瞬間である。

「お姉ちゃんは遠慮しいやな」

祖父は私の頭を撫でて、ゆっくりゆっくり時間をかけて会計をした。
それからまた私を自転車の後部座席に乗せ、祖父母の家へ向かってフラフラと漕ぎだした。

どうせ祖母にはすぐバレるのに、祖父が幼稚園に迎えに来てくれる日は、いつもこのルーティンだった。
だから祖父が迎えに来る日は、少し嫌で、少し嬉しくて、変に心が忙しかった。

お酒と煙草の匂いがするジャンパーを眺めながら、今度のグリコのおまけは何だろうとか、考える。
祖母はグリコのおまけのコレクターでもあったので、グリコは半分祖母のご機嫌取りなのも、私は知っていた。

たとえ飲酒運転でも、私がおまけのオマケでも、そういう祖父のお茶目な所は、嫌いではなかった。

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