責任を取らない上が組織を壊滅させる話

 お久しぶりです。秋山です。
 今回は、『4年目と40年目の見解が一致した』日本組織の問題点、題して『責任を取らない上が組織を壊滅させる話』を書きます。
 ダイヤモンドあたりで同様の記事を見かけた覚えがあるので、もう何百回も語られている話でしょうが、『4年目の視点からいうとどうか』ということで読んで貰えれば幸いです。

 先日、休職者ということで半引きこもりニート状態で所属している会社で、第一線をしりぞいた定年後再雇用ベテランおじさんと最後のお話をしてきました。というのも、そのおじさんが3月末で退職するのです。
 最後ということで、会社について私の思うところをブチまけてみました。
 すると、私が精神を病んでいるせいで勘違いしていた訳ではなく、勤めて40年のおじさんもヘドバン頷きで「そうだよね!!!!!」と合意してくれたので、おおむね勘違いではなかったらしいと分かりました。

 それというのは、
『上の人間が責任を取らないから、組織で最も弱い若手が犠牲になって、転職か休職かの選択を迫られている』
 ということです。

 詳しく申し上げれば、このような流れになります。
 まず、上の人間がワガママを垂れます。『費用削減だ』『人員削減だ』『だが例年通りの黒字を出せ、いやもっと利益をあげろ』『とにかく自動化だ! リスク? しらん! とにかく自動化だ!』こんな具合に。
 ワガママも夢物語も、発言者が責任をとる限りにおいては、何を言ってもよろしい。しかし、『部下相手に赤ちゃんのようにワガママを喚きに喚いてその後、何もサポートをしない』『奇跡的にうまくいったら「おれのおかげ」、当然の結果として失敗したら「無能な部下どもが悪い」と言う』、それこそが大きな問題なのです。

『何もサポートをしない』の具体例をあげると、次のようなものです。
 会社には、F本部長という上司がいました(※在任わずか1年ほどで罷免され、現在は本部長ではありません)。彼は、現場にいないレベルの上司です。会議にしゃしゃり出てきて、何の役にも立たない罵声を怒鳴り散らしている他には、何をしているのか正直よく分からない人でした。
 そんな彼が、おそらくより上の人間のご意向により、『タウン・ミーティング』なるものに数回出席しました。これは、『仕事で現場に接することのない上司も、定期的に現場の人間と接し、互いにコミュニケーションをとりましょう』というものです。大勢の現場の人間が、たっぷりの仕事を差し置いてわざわざ会議室に並び、F本部長様のために参加しました。
 しかし、タウン・ミーティングの意図は悪くないものです。実際、現場にある解決すべき、かつ、現場の人間には対応しきれない、設備とか設備とか環境とかの問題は山積みでした。もしも、F本部長が本気で『現場を良くしよう』という意思さえ持ってくれていたなら、これは、良い仕事を効率よくしていく為に役立つ、たいへん良い機会でした。私も、気合いを入れて向かいました。
 結果は、悲惨なものでした。はっきり分かったことは、『この本部長は仕事をやる気がない』『任期が仮に4年であるとすれば、5年目で事業がつぶれてもいいと思っている』ということです。
 現場にいるレベルの上司からの又聞きでは悪印象でしたが、直接会ってみると、実際には極悪でした。
 そのように思った決定的な出来事は、次のようなものでした。
「オンライン会議を行う際、以前は机についたてがあったので、個々の席でも問題なく行えた。しかし今は、ついたてのない狭い机にされてしまった(※注1)ので、お互いにお互いの声が邪魔になり、実質不可能となっている。オンライン会議用のついたて有りスペースに移動したいが、ノートパソコンを支給されていない社員がいるためできない(デスクトップしかない)。部長にかけあったが、対応してもらえなかった。なんとかしてほしい」
 このような嘆願がありました。それに対するF本部長様の回答はこうでした。
「そんなことはおれは知らん! ノートパソコンは、全員に支給されているはずなんだ! そうでないとしたら、おまえらの部署が間違えたんだ! おれの任期前の話だ、だからおれの責任じゃない!」
 F本部長様の雄叫びで嘆願者は萎縮し、会話は終了した。もちろん、対策は何もされなかった。

 おわかりいただけるだろうか。こいつ、信じられないほどクソである。

 だれが責任の話をしているのか。責任の所在なんか現場の人間にはどうでもいいことくらい、せめてそれくらいは想像できないのか。お前は一体、何と引き換えにその高い地位と給料を貰っているのか。誰だ、この『最も管理職にすべきでないクズ野郎』を本部長に任命しやがったのは。
『どういう事情でそうなったにしろ、今後対策が必要だというのはそれはそれとして、今、ノートパソコンがなくて、ついたても取り上げられ、業務上必要なオンライン会議ができない。なんとかしてくれ』という話だと、私のようなヒラヒラのヒラにも容易に想像がつく話である。
「そっかー。それは大変だね。次の設備更新まで新しいのは買ってあげられないから、レンタルでノートパソコンを用意できないかかけ合ってみる」
「具体案はまだ出せないけど、そういう問題があるっていうことを認識しておきます」
 もしも即時に何も出来ないとしても、こういう回答をすべきではないだろうか。誰だ、このバカすぎるオッサンを本部長に任命したのは。

 このような職責を全く果たしていない奴がトップに立ってしまうとどうなるかといえば、ただただ現場にムリが強いられる。はっきりいってムリする必要のないことまで、余さずムリを強いられてしまう。
 ここが軍隊でないことが残念でならない。もし軍人なら、無能な上官が部下を虐殺する前に頭をブチ抜き、それで万事解決できるというのに。
 そうして、ムリが強いられたしわ寄せはどうなるか?
 ベテランたちはムリを引き受けない。長く勤めた彼らには、それがムリかどうかの判別もできるし、何より、家族の生活がかかっている。子供や妻や夫のためにも、若手が可哀想に感じても、ムリを受け流して、無知な若手にすべて引き受けさせるしかない。
 そして、ムリが若手にいく。それがムリなのかもよく分からず、あるいは、ムリと感じていても断らせてはもらえず、取り組む。どうにもならない重すぎる責任が、薄給でこき使われる、なにより『それを改善する権限を持ちえない』若手にだけ押しつけられる。そして、失敗したら、引き受けてしまった若手が責められる。
 もしも奇蹟を起こせなければ、若手にとれる選択肢は「転職」「病んで休職」「病んで辞職」「自殺」これぐらいしかないのである。

 その証拠に、私自身も休職したわけですが、私と同時期に入社した若手は、私が休職したタイミング(※つまり、上記のクソ本部長が在任していた期間)に6名転職したそうである。と、40年目で退職するベテランのおじさんから知らされました。
 同時に、件のクソ本部長が罷免され、新しい本部長が任命されたと聞きました。しかし、残念なことに、新しい人間も似たようなクソジジイであるとのことで、改善はまず期待できません。

 そんな訳で、私はついに転職を決意することができました。まだ行き先は決まっていませんが、転職エージェントの対応は比較的篤く、幸先はそう悪くないと信じています。
 このままいくと、この会社はつぶれるでしょうが、知ったこっちゃありません。命運を共にするほど思い入れはありませんし、正直、自ら選んでそうなったとしか言いようがありません。

 日本組織には、このパターンがよく見られるような気がします。それは、国家そのものも例外ではありません。
 このまま、イカれたオッサンどもの組織レベル自殺に、罪のない我々も巻き込まれなければならないのでしょうか? そんなの、御免被ります。
 今のところ足がかりがないのが悩みの種なのですが、どうにかして、この国を出て行きたい。ジェンダーギャップランキング堂々の第110位(※149カ国中)国家から脱出し、ここよりも女の人権がマシな国に定住したいものです。なにせ109もあるんだから、どっかには行けるでしょう。

(※注1)
 かつて、この部署は、大きな開発用マシンと膨大なマニュアルを保管しつつ、作業にも没頭でき、オンライン会議も気兼ねなくできる、うすよごれてはいるものの快適な大きな机・席ごとのついたてを使わせてもらえていた。他人との距離がほどよくあり、かつ、ついたてのお陰で集中を削がれず、TODOふせん等を貼るにも重宝した。
 これは、開発になるような内向的人間にとって落ち着く環境で、私も好きな職場環境だった。
 しかしある日、『全社統一規格』の名の下、この環境を手放さされてしまった。机は狭く小さくなり、ついたては取り上げられた。代わりに、誰が世話する想定なのか分からない植木と、むしろ誰にも使えない『フリースペース』と、プロジェクター必須になりがちな開発会議にはまるで使えない『数多くの画面なしミーティングスペース』が設けられた。それらの無駄なスペースをつくるために、我々の開発環境は大幅に劣化させられたのである。
 これは一見、きれいに見えたが、使い心地は最悪だった。
 プロジェクターのある会議室は予約いっぱいで、チーム会議すらおぼつかなくなった。机と机の間、人と人との間は狭くなり、きゅうくつで気が散る素敵な自席ができあがった。話し合いに出向くと、人と人とで衝突事故が相次いだ。ベテランの机では、業務上必要なものすら机に置ききれなくなった。ついたてが無くなったため、お互いの相談声や会議声が響き合い、互いに業務の邪魔になった。
 今考えてみると、私の休職につながったストレスの一因が、この環境変化にもあったかもしれないとも思う。

 どうしてこんなことになったか。その理由は、しばらくのちに『よい職場環境の作り方』のような記載を本で見たときにわかった。そこには、我々に起きた環境改悪のすべてが載っていた。
「ついたては無くしましょう! 人の顔が見えた方が明るい職場になります!」
「机と机の距離を狭くすることで、人と人とのコミュニケーションが活発になります!」
「自由に使えるコミュニケーション・スペースを作りましょう!」
「職場に緑を!」
 つまり、予算を握っている経営者層が、こうした陽キャの理論で職場を大改造し、『『『明るい職場作り』』』をした結果らしい。
 彼ら自身の居場所をそう改造するのは構わない。重厚なマシンも、膨大なマニュアルも、彼らには無縁だろうから。そして、集中できることよりも、職場の人同士で活発に会話できるほうがいいのだろう。

 しかし、私たちは、ちがう。
 そんなことをされたら、かえって集中を欠いてイライラして、職場の空気も業績も悪くなるだけだ。
 だが、彼らにはそれが分からない。彼らにとって、陰キャとは踏み潰すものであり、理解するものではないからだろうか?

 この書き込みが、そこまで性悪じゃない陽キャの誰かに届きますように……。

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