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【井戸尻考古館】曽利遺跡発掘調査 現地説明会に行く(2023.6.10)

はじめに

 富士見町教育委員会では、曽利遺跡の史跡整備に向けた調査として、井戸尻考古館北側の私有地について令和3年度より発掘調査が3年計画で進められています。
 本年度の調査は5月の連休明けから始まりました。6月末で終了するにあたり、6月10日(土)発掘担当者らによる現地説明会が行われました。

集合場所の考古館の前庭
北側の私有地、右奥に本年のトレンチ

曽利遺跡

 曽利遺跡は縄文中期の遺跡で、中部高地の縄文を代表する遺跡です。長野県から山梨県で多数で見つかっていている土器について、この年代を示す標識土器として「曽利式土器」が用いられています。
 曽利遺跡の調査は1943年(昭和18年)宮坂英弐による調査が最初で、その後昭和30年代より11回の発掘調査がありました。
 第1次となる昭和33年の調査で4号住居址から水煙渦巻文土器などが出土しています。昭和47年に郵便はがきの料額印面(10円)の意匠に採用されたことで全国的な知名度になりました。4号住居址は、考古館前の芝生のところです。

曽利4号住居跡の7点は長野県宝指定
曽利34号住居跡の出土品

 多くの方がご存じのように、井戸尻考古館は曽利遺跡の上にあります。現在では考えられませんが、当時の事情で現在地に建設されました。
 昭和40年代に行われた第3次~第5次の調査は収蔵庫及び考古館建設に伴う緊急調査でした。
 現在、井戸尻考古館について、移転および新館建設の計画が進められいます。考古館が新館へ移った後は曽利遺跡は史跡として整備される方向で検討されています。

現地説明会

 昨年の第11次調査現地説明会が盛況だったことから、午前と午後の2回に分けて実施されました。筆者は午後の回に参加しました。県内外や地域住民ら2回合わせて100人の参加だったそうです。
 告知はネットと広報のみでしたが考古館の芝生前に続々と人が集まり、H学芸員より配布資料をいただきます。発掘現場は考古館の北の畑(私有地)です。一度道路へ出てから一列で歩き移動します。

考古館から出て移動中

 発掘責任者のS学芸員から遺跡の諸注意を聞きます。トレンチ(試掘溝)や出土物の撮影は可能ですが、ネット、SNSへの掲載は全体像のみにしてほしいということ。配布資料については担当者の私見があったり正式な報告書ではないため、こちらもネット、SNSへの掲載は控えてほしいこと。などでした。
 発掘された土器などについては、長野日報の記事でご覧になれます。

第9トレンチにて担当者の説明を聞く

 先にも述べたように、曽利遺跡について3年計画で発掘調査が進められています。今後、史跡として整備するために遺跡の広がりの範囲を確認するためのものです。
 3年計画の初年は第10次発掘調査で、曽利遺跡の北で大花遺跡との境に第1トレンチから第6トレンチまで6本の発掘調査が行われました。これにより曽利遺跡と大花遺跡の境をとらえました。
 2年目は、第11次発掘調査では北に向かって真っすぐに第7トレンチと第8トレンチが設定されました。これにより西への広がりを確認しました。
  3年目となる今回は中央から東側にかけて掘った試掘溝3本を設定し、中央の第9トレンチと第10トレンチからは集落形成を確認し、少し奥まった東側の第11トレンチは遺跡の東の端をとらえることになっています。

 昨年の第11次発掘調査現地説明会はこちらをご覧ください。

第11トレンチ

 西の外れに設定した第11トレンチがありますが、全体的に削られていて中期初頭の小竪穴を見つけたのみで何もなかったそうです。今回の見学コースからは省かれています。

ブルーシートで覆われた第11トレンチ

第9トレンチと第10トレンチ

第9トレンチ(手前)と第10トレンチ

 第9トレンチからは住居址は4軒が見つかっていて、北から南に順に、平安時代(1号)、中期中葉(2号、3号)、中期初頭(4号)となっています。2号住居址から見つかったのが、有孔鍔付土器です。取り出し前の状態で見学しました。上部の直径16センチ、底部の直径20センチ、高さ16センチの竹筒型(長野日報2023.6.11)です。
 有孔鍔付土器は口の付近に孔があり、鍔状の帯があることが特徴です。使用目的については貯蔵器説、太鼓説などありますが、井戸尻考古館では酒づくりに使用したと考えています。
 さらにこの有孔鍔付土器はこぶ状の出っ張りがある珍しい形で、しかも完全な形で出土するということも稀です。発掘作業のみなさんは「ゴン太くん」と呼んでいました。(下記画像はこぶのない反対側からです)

2号住居址の有孔鍔付土器 出典 : 長野日報(一部加工)
のっぽさんとゴン太くん 出典 : NHK

 第10トレンチの3号住居址からは炉の跡とその中から香炉形土器が発見されました。
 第10トレンチからは住居址は3軒が見つかっていて、北から南に順に、中期後葉(1号)、中期初頭(2号)、中期後葉(3号)となっています。
 人面付きの香炉形土器が発見されたのは3号住居址で、炉の跡にありました。香炉形土器は人面ですが後述しますが頭部がくぼんだ形は大変珍しいといいます。
 今回説明会では、初めてトレンチの中に踏み入ることが許されました。解説の移動で周囲を崩さぬように大股でトレンチに降りてゆっくり進みました。

始めのうちはみなさん慎重
解説終了後は思い思いに見学
取り出し前の有孔鍔付土器をのぞく人たち

出土品の展示

 出土品の一部を展示しています。
 香炉形土器は、パネルでは仮で接合した状態を紹介していて、頭の部分がおちょこのようになっています。またそのおちょこ部分に目鼻のような顔が刻まれていて、香炉の中が開いた口になる意匠です。たいへんもろい状態のため、分解された状態になっていました。内側の底は黒く煤がついてて中で火を使った形成があります。炭化した部分を化学分析に回す計画があるので触ることはできませんでした。
 ほかの磨製石斧や土器片などがあり、そちらは自由に手に取ることが可能でした。
 もう一つの目玉だった完全体の有効鍔付土器については説明会終了後に取り上げるとのことになっているそうです。

出土品の展示

おわりに

 曽利遺跡は井戸尻考古館では1000年ムラと考えている大規模遺跡の一つです。その大集落も時代を追うごとに徐々に南下してきていることがつかめているそうです。
 また今回の発掘調査は考古館職員のほか井戸尻応援団の協力に加え、募集した町民有志などが参加しており、およそ60年前に「おとらあとうの村の歴史はおらあとう手で明らかにする」として始まった精神の一端を継承する試みでもありました。

出典 : 井戸尻考古館公式ツイッター
出典 : 井戸尻考古館公式ツイッター
出典 : 井戸尻考古館公式ツイッター

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