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【南アルプス市ふるさと文化伝承館】縄文から水との闘いまで「にしごおり」の歴史資料館

はじめに

 これまで、南アルプス市ふるさと文化伝承館についてはミニ企画「鋳物師屋遺跡 全点公開」の機会にて紹介いたしました。
 紹介しきなかった、常設展示の縄文時代から中世の考古、水害や干ばつといった地域と水の関わりについて紹介いたします。(ずっと後回しにしておりました。スミマセン。)

入口はこちら

 「重要文化財鋳物師屋遺跡出土品 205点全点特別公開」の模様はこちらをご覧ください。


常設展示

 常設展示は、「足下に眠る 旧石器~縄文」(2階展示室)、「足下に眠る 弥生~中世」「水との闘い」(1階展示室)の3テーマにて構成されています。
 さらに、一階展示室の一角はテーマ展示になっており年数回入り替えています。訪問時は「身だしなみの民具展」(2024.1.26~4.17)を開催中でした。
 こちらの施設は、対面型の解説を重視しているそうで、ガイドさんや職員が積極的に声掛けしてくださいます。

訪問時は3月、入館無料もうれしい

 南アルプス市は、峡西きょうさいとか西郡にしごおりとよばれた盆地の西側の地域で、6町村の合併にて誕生しました。そのため南北に長く、地形も起伏に富みます。
 扇状地一帯を「原方はらかた」と呼び、山間部を「山方やまかた」、山の裾野一帯を「根方ねかた」、水田地帯を「田方たかた」と呼びます。
 水について見ても干ばつ地域の「原方」に対して、洪水に苦しめられた「田方」では暮らしぶりは大きく異なっていました。

南アルプス市の地形区分の概要
出典 : 南アルプス市ふるさとメール 「根方」の魅力①

足下に眠る 旧石器~縄文

 展示ですが、古い年代順に見学する場合は2階の第二展示室を先に足を運ぶことになります。階段を上がった展示室の入口では着ぐるみサイズの「子宝の女神 ラヴィ」がお出迎えです。

いつもながら満面の笑みの「ラヴィ」

 第二展示室は、旧石器時代の黒曜石のほかは、縄文時代の展示です。中央の鋳物師屋遺跡の円錐形土偶「ラヴィ」と有孔鍔付土器「ピース」の入る独立ケースを中心に市内の遺跡で出土した土器、土偶や石器が周囲を囲んでいます。

縄文時代の展示の概観

 縄文時代まで遺跡の多くは「根方」と呼ばれる市之瀬台地にて発見されています。市之瀬台地は櫛形山の裾に広がる台地で、いく筋にも大地がせり出しています。台地と台地の間は扇状地になっています。

市之瀬台地を東南方向から望む
出典 : 南アルプス市ふるさとメール「根方」の魅力①

 画像の指の部分が大地でその間が扇状地になっています。

市之瀬台地のイメージ
出典 : 南アルプス市ふるさとメール「根方」の魅力①

 遺跡の分布を示す地図があります。縄文の遺跡のほか、図の赤い▲で旧石器が発見されています。

多くの遺跡が発見されている市ノ瀬大地

 下記画像の右が南アルプス市で最も古い2万5千年前の人が使用していたという旧石器時代の黒曜石のナイフ形石器です。

旧石器時代のナイフ形石器(右)
と縄文時代中期の黒曜石の加工物(左)

 縄文の展示室で一番目をひくのが、鋳物師屋遺跡の出土品です。鋳物師屋遺跡(隣接する〆木遺跡を含む)はほぼ完全な形で発見された縄文時代中期の集落跡です。
 そして、鋳物師屋遺跡でも抜群の知名度を誇るのが、独立ケースの中にある円錐形土偶です。愛称は2015年(平成27年)に「子宝の女神 ラヴィ」と市民の公募により決定しました。

円錐形土偶(子宝の女神 ラヴィ)

 もうひとつの独立ケースには、人体文様のついた有孔鍔付土器があります。こちらの土器の愛称は「ピース」です。描かれた像の指は3本です。人のようで人ではないものの表現と考えられます。
 隣のトロフィーは「縄文ドキドキ総選挙2021」で優勝によるものです。

人体文様付有孔鍔付土器(ピース)

 壁のガラスケースには重要文化財の鋳物師屋遺跡の土器、石器、土偶、ドロメンコなどが並びます。

鋳物師屋遺跡の出土品

 実は全点公開で見たときと比べて、展示物の分量が変わっていない気がします。どうなのでしょう。

重要文化財の土器
重要文化財の土器、石器、土偶、ドロメンコ

 ケースから続く壁側にも鋳物師屋遺跡の出土品があります。こちらは重要文化財ではありません。その代わりといえば露出展示にしているため間近で見られます。隣接する〆木遺跡の土器もあります。

重要文化財ではない鋳物師屋遺跡の出土品

 有名な土偶装飾付土器も直接見ることができます。土器を抱え込むような形で土偶が把手のようについています。土偶のような部分は発見されていますが半分以上は復元によるものといいます。

土偶装飾付土器
後段は隣接の〆木遺跡の出土品
土偶装飾付土器

 さらに土器の展示が続きます。上ノ山遺跡、横道遺跡、徳永・御崎遺跡曽根遺跡の土器と石器類です。

山ノ上遺跡、横道遺跡、徳永・御崎遺跡の展示概観

 上の山遺跡は旧石器時代から弥生時代まで人々が暮らしてきた遺跡です。

山ノ上遺跡の土器

 横道遺跡は縄文時代後期の遺跡で敷石の住居址、土坑などが発掘されています。

横道遺跡の土器

 徳永・御崎遺跡も縄文時代後期の遺跡です。

徳永・御崎遺跡の土器

 ケースの中に石器と黒曜石があります。石器は磨製石斧のほか石匙、浮きなどです。鋳物師屋遺跡、中畑遺跡、北原C遺跡のものです。

石器と黒曜石

 黒曜石の矢じりのほかに水晶の加工物もあります。

黒曜石の矢じりと水晶の加工物

 続いて、曽根遺跡の土器です。曽根遺跡は旧石器時代から縄文時代、弥生時代、古墳時代にいたるまでの資料が出土する遺跡です。

曽根遺跡の土器
大型の土器も曽根遺跡

 展示室正面では、北原C遺跡の土器とともに、蛇、蛙といった動物の形を表した把手を紹介しています。

北原C遺跡の展示概観

 北原C遺跡は、こちらでは鋳物師屋遺跡に次ぐ注目の遺跡といえます。縄文時代中期後半の大集落と考えられますが、道路工事に伴い一部を発掘調査したにすぎません。それでも18軒以上の竪穴式住居の跡や90基の土坑、大量の土器や石器が発見されています。

北原C遺跡の土器
北原C遺跡の土器

 北原C遺跡は、水煙把手付土器など造形的にも大変美しい土器が出土しています。ケースに入ったこちらの水煙把手付土器はほぼ全体がそろっており貴重な逸品です。

水煙把手付土器

 こちらの水煙把手付土器は大きな石に覆われた状態で出土しました。

水煙把手付土器

 蛇装飾土器、動物装飾土器、蛇装飾の把手部分なども多数出土しています。

蛇装飾の把手など
蛇装飾土器、動物装飾土器

 こちらの動物装飾土器は、天を向いた4匹のカエルと、カエルに乗ってトグロを巻いているヘビが装飾されていいます。

動物装飾土器

 展示室右側には中畑遺跡です。中畑遺跡は縄文前期前半の遺跡で7000年前に集落があったことの発見につながった遺跡です。竪穴住居址14軒が発見されています。
  また中畑遺跡は縄文中期や後期、弥生時代、古墳時代など、さまざまな時代にまたがって約70軒の住居址が発見されるなどしており、人々の暮らしが続けて営まれていたことが分かるといいます。

中畑遺跡の土器と
北原C遺跡の水煙把手付土器

 この縄文時代前期の土器は底が丸く安定していないために、炉に穴を掘り据えるものでした。この大型の土器も住居跡から土器片として出土しました。

大型の深鉢
縄文時代前期の丸底の土器

 中畑遺跡の縄文時代前期の土器は長野県伊那地方の「中越式」の特徴があるといいます。他地域との交流があったことも示す資料でもあります。

中畑遺跡の土器

足下に眠る 弥生~中世

 続いて、弥生時代以降は1階展示室になります。展示室では「ラヴィのえかきうた」なるものまであってエンドレスに流れています。

ラヴィのえかきうた
足下に眠る 弥生~中世

 弥生時代になると、稲作に適した「田方」に集落跡がみられるようになります。「田方」は御勅使川みだいがわ扇状地で砂地で地下に潜った水が湧き出す地域のため水田耕作に適しています。
 また扇状地である「原方」でも雑穀や水稲に適した土地を求め集落を移しています。しかし「原方」は砂地で水資源に乏しい地域でした。

弥生時代の展示の概観
御勅使川扇状地にも短期間ながら集落の跡がある

 独立ケースには住吉遺跡(弥生時代後期)の土器です。

住吉遺跡の土器

 別のケースにも弥生時代後期の土器が並びます。
 前列左より、六科丘遺跡、住吉遺跡、十五所遺跡、後列左端に新居田B遺跡などです。
 大型の土器のほかに小型あるいはミニチュア土器があります。

市内史跡からの弥生時代の土器

 古墳時代には、縄文時代と同じく「根方」と呼ばれる市之瀬台地に古墳が造営されます。一方、集落は「原方」や「田方」といった低地にて発見されています。

黒印が古墳で根方に集中

 大型のケースには古墳時代の土器が並びます。

古墳時代の土器

 古墳時代前期(4世紀頃)より、角力場第1遺跡、寺部村附第6遺跡です。

古墳時代前期の土器

 古墳時代中期(5世紀)より、村内遺跡、住吉遺跡の土器です。

古墳時代中期の土器

 古墳時代後期(6~7世紀)は、坂ノ上姥神遺跡の土器が右下にあります。

古墳時代後期の土器

 また、古墳時代の墳跡から見つかった勾玉や鉄剣などがケースに展示されています。
 上ノ東古墳は5世紀代とみられ、硬玉製の勾玉が出土しています。
 寺部村附第6遺跡は、新山梨環状道路の下にある遺跡で古墳時代前期の高い塚を持たない古墳でした。展示は須恵器の「はそう」と呼ばれる、酒や水を注ぐ土器です。
 物見塚古墳は5世紀初頭と考えられ鉄剣・管玉などが出土しています。
 六科丘古墳は5世紀中頃のもので鉄剣や須恵器などの土器片が出土しています。

須恵器の「はそう」のほか、勾玉や鉄剣

 続いて、奈良、平安時代の土器です。鋳物師屋遺跡からの出土品もあります。縄文時代から続けて生活の場であったことが分かります。

奈良、平安時代の土器

 奈良時代、平安時代の土師器や須恵器です。なかには文字の書かれた墨書土器もあります。
 この頃、御勅使川扇状地を扇中部には「八田牧」と呼ばれる牛馬の飼育施設が置かれました。馬の供給や経済的基盤を背景として、平安末期から鎌倉時代にかけ甲斐源氏の一族である加賀美氏や小笠原氏がこの辺りの支配を固めています。小笠原氏は武家の礼法で知られる小笠原流礼法として知られています。

土師器、須恵器

 鋳物師屋遺跡もあります。

鋳物師屋遺跡の緑釉陶器

 天目茶碗がありました。

住吉遺跡の天目茶碗

 最後は、鎌倉時代の土器です。常滑焼大甕で、溝呂木道上第5遺跡からの出土です。

常滑焼大甕、溝呂木道上第5遺跡

水との闘い

 続いてのテーマは「水との闘い」です。
 南アルプス市は南北に長く、洪水の多かった「田方」と扇状地の砂地による干ばつ地域の「原方」では水との闘いもそれぞれ異なるものでした。
 「曇って三寸」(曇るだけで三寸の水があふれる)
 「原七郷は月夜だけでも焼ける」(月の光でも地面が干上がってしまう)
 は、「田方」と「原方」の水に対する苦心を伝える言葉です。

水との闘い
水との闘いの展示概観

釜無川の治水

 まずは水害に苦しめられた地域の話です。信玄堤による治水政策は御勅使川と釜無川の合流点の氾濫を治めましたが、合流後の釜無川の流れは扇状地を北から南へ流れ、富士川へと合流します。この釜無川の流れが変わるたびに周辺では集落では移転が相次ぎました。

信玄堤など釜無川の治水の解説パネル

曇って三寸

 また、「曇って三寸」とは水害に悩まされた「田方」の言葉です。
 「田方」と呼ばれる甲西地区(南湖・大井・五明ごめい)、若草地区(藤田とうだ三恵みつえ)といった地域です。
 釜無川の下流域の「田方」では御勅使川扇状地が砂地で潜っていた水が現れてきます。またその先は釜無川が富士川へと合流しており稲作に向くものの水害も深刻な問題でした。

「曇って三寸」「流転する村々」の解説パネル

 国の重要文化財安藤家住宅があるのも、水害に悩まされていた南湖地域ですが、幸いにも安藤家住宅は350年前の姿で残っています。

安藤家住宅にあるボート(昭和時代のもの)

 こちらは明治の水害で集落ごと移転した甲西地区の宮沢集落跡から発掘されたもので、生活に使用していた茶碗などが発見されています。

宮沢中村遺跡の茶碗など

 現在では、「田方」は樋門や排水場の整備といった水害対策が進められ水害の心配ありません。

原七郷は月夜でも焼ける

 続いて、水に乏しかった地域のお話です。
 原七郷(原方)と呼ばれる御勅使川扇状地のうち、白根地区(西野、在家塚、上八田)、櫛形地区(上今井、吉田、十五所、沢登、桃園、小笠原)の七郷九ヶ村は「月夜でも焼ける」といわれるほどの干ばつ地帯でした。

「原七郷は月夜だけでも灼ける」の解説パネル

 この、干ばつ地域に向けて350年前の江戸時代に作られた「堰」があります。最初に着手し通水を成功させた徳島兵左衛門の名をとり「徳島堰」と呼ばれています。
 徳島堰は御勅使川の水量が少ないため、水源として釡無川の現在の韮崎市円野町から取水して、曲輪田まで17キロメートルを通水させました。
 堰が完成したことにより、堰に近い村では新たに水田が拓かれました。
 しかし、この堰ができても扇状地の中央に位置する原七郷まで水はいきわたらず、農業はおろか、飲み水にも困る生活をしていました。

 スクリーン手前のケースには、測量の道具があります。徳島堰の修復工事使用されたもので、1822年(嘉永5年)に浅草の技術者大野周作の製作によるものといいます。
 大野周作の祖父規貞、父貞行は伊能忠敬に測量機を提供していました。

大方儀
小方儀

 南アルプス市と言えば、さくらんぼ、桃、すももの栽培で有名な果樹地帯です。果樹園は原七郷の地域にあります。水に乏しい原七郷では明治時代に煙草の栽培を行い、その後は養蚕に転換しています。さらに昭和40年代から果樹へと転換しています。果樹への転換はスプリンクラーが扇状地全体に張り巡らされ、灌漑化が進んだことによります。スプリンクラーは昭和29年に実験的に設置され昭和40年代に国営事業として一帯に配管されました。

スプリンクラーヘッド
スプリンクラーヘッド

 果樹栽培で使用された道具などを展示しています。

かつての木箱
こちらも木箱

 果樹地帯として有名になった南アルプス市ですが、果樹栽培に至るまでは水不足との闘いによるものでした。

おわりに

 常設展示を紹介しました。南アルプス市は、土偶「ラヴィ」を使った情報発信に余念のないイメージばかりあったのですが、伝承館の名のとおり、先人の苦労を伝える展示に見方を改めました。
 南アルプス市は観光的にも果樹を中心に発展を遂げています。今後は2025年4月に開店する大型スーパーコストコにより多くの人の往来が予想されます。
 観光分野に押されずに、これまで同様地域の歴史の発信に期待いたします。

参考資料
南アルプス市ふるさと伝承館「令和2年度企画展 開削350年 徳島堰」リーフレット、南アルプス教育委員会、2020
南アルプス市ふるさと伝承館「令和4年度企画展 にしごおり果物のキセキ」リーフレット、南アルプス教育委員会、2022
まる博レポートふるさとの誇りNo193「遺跡から見た開拓の歴史」広報南アルプス、2023.8.1

参考URL
https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2011/01/13nekata.html
南アルプス市ふるさとメール: 「根方」の魅力①~その物語を始める前に~
https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2011/02/14neka.html
南アルプス市ふるさとメール: 根方の魅力②~南アルプス市最初の定住者
https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2011/04/15neka.html
南アルプス市ふるさとメール: 根方の魅力③~中畑遺跡が教えてくれる南アルプス市最初の定住生活
https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2011/04/15neka.html
南アルプス市ふるさとメール: 根方の魅力④~根方を彩る春の風景
https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2011/05/13neka.html
南アルプス市ふるさとメール: 根方の魅力⑤~自然との共生を祈るムラ「北原C遺跡」(前半)
https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2011/06/15neka.html
南アルプス市ふるさとメール: 根方の魅力⑥~自然との共生を祈るムラ「北原C遺跡」(後半)
https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2011/07/15nekat.html
南アルプス市ふるさとメール: 根方の魅力⑦~絶景の地に王は眠る~
https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2011/10/17neka.html
南アルプス市ふるさとメール: 根方の魅力⑧~市之瀬台地の「市之瀬」って?
(以上、2024.5.24閲覧)

https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2020/09/350-13dc.html
南アルプス市ふるさとメール: 開削350年 徳島堰(1)https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2020/10/350-2508.html
南アルプス市ふるさとメール: 開削350年 徳島堰(2)
(以上、2024.5.25閲覧)


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